オッド・アイ Tの猫とその一味 第33話「ポーター犬その後」

肉球ラーメンで活力を増し、温泉と川魚三昧で軟弱になったYは結果プラスマイナス0で、10月のマラソンに向けて練習している。綿野舞さんも同様だから、見た目に大沢小屋逗留の影響はない。ただこのまま練習を続けても制限時間内に完走できるかどうか、微妙である。彼らのレベルだとあまり暑くても寒くてもリタイヤする。20キロ30キロ辺りでバスに乗って私より早くゴールに戻って、大仕事でもした後のように満足した様子で何か食べている。そしてリタイヤせざるを得なかった事情や経緯を声高に語るのである。しかし、それも可、諦めず挑戦することの意義は何事にも勝るから。

 ある日、久しぶりに鼻黒スキップが資料館を訪ねてきた。持ってきた大きな紙袋は玄米30キロを入れる専用の袋だが、中身はぐるぐる巻きにされた三毛のオッドアイだった。但し、私が指定した、私の家の周りに出没するそれかどうかは判断できない。ミイラのようにぐるぐる巻きにされて、わずかに見えている耳とか肢とでなんとか三毛だと分かるだけだからだ。よほど抵抗した結果、こんな姿になったのだろう。私は念のため、矢筈(掛軸を掛けるために用いる長い棒)でぐるぐる巻きの一部を押してみた。すると「ギャン」と声を出したので死んでいないことが分かった。以前鼻黒は私に金目銀目を捕まえてほしいと頼んできた。捕まえた金目銀目に振り掛けてほしいといった封筒に入った髪の毛もどこかにあるはずだ。それなのに自分で金目銀目を運んでくるとはどういうことか。別の鼻黒だろうか。そしてまた、この鼻黒スキップと肉球ラーメンの店主とはどういう繋がりなのか。猫猫探偵団は名を変えて全国に展開する探偵業で、駅前の千客万来亭もその傘下にあるのだろうか。

「確かに三毛の金目銀目です」と私は一語一語はっきりと言って鼻黒の顔を見た。

「代金は二千八百ニャンでしたね」

私はいつ来ても良いように用意していた代金を袋ごと渡した。鼻黒スキップは袋を開けて紙幣を数え、袋を逆さにして掌に貨幣を並べた。

「はい、ちょうどいただきます。ありがとうございました」

その口調がラーメン店主とそっくりだ。だから以前来た鼻黒スキップではない。目の前に居るのはラーメン店主絡みの鼻黒だ。

私は鼻黒スキップを玄関まで見送り、スキップしながら去っていくのをしばらく眺めていた。視界から消えるぎりぎりまで見ていて、最後までスキップをしてもらおうという意地悪な動機だったのだが、なぜか急に二宮尊徳の頭が気になりだして、大急ぎで鍵を持ち、収蔵庫の扉を開けて二階に駆け上がった。すると不安は的中して箱の中に尊徳の頭は無かった。置き場所を変えたかもしれない、と冷静に努めて頭を整理したが、そんな記憶はない。首を傾げながら階段を降りて事務所に戻り、もしかすると、と思い、応接の椅子の上の袋を覗くと、尊徳が入っていた。

つまりこれは夢か詐欺か・・・・。夢であれば覚めるのを待てば良いし、詐欺なら2800円で尊徳を買い戻したという話だ。私はもう一度尊徳の頭であることを確かめてから袋を閉じ、二階に運んでそのまま箱の中に入れた。袋の分だけ容量が増え、箱の蓋が締まらず開くので、ガムテープでぐるぐる巻きにした。

この日分かったこと。鼻黒スキップは何人もいて、己がじしさまざまな事情を抱えている。

そして、今度は金目銀目に加えて白黒と黒も頼んで、届いたらすぐ、その袋のままぐるぐる回してやろうと考えた。

ところで、先般中央アルプスの木曽駒から空木岳までを周回縦走する機会があった。山の専門天気予報では悪くなかったから決行したのだが、実際はほぼ雲の中、概ね雨の山行であった。眺望が得られたのは2日目の朝だけであったので、ただひたすら岩山の上り下りだけ。そして一番覚えているのは山のことでなく、同行したYの何気なくもらした言葉であった。要約すると、

「しがない菓子工場で働くしがない女工のYは、確かにしがない女工ではあるけれど、仕事に必要ないくつかの易しくはない国家資格を努力して取得したので、その甲斐あって、普通のしがない女工ではない立場にある」 

 眺望が無いからそんなことを想ったのか、登山そのものがそういう種のもの(日々の生活を負って登り下りする)だからかは分からないが、少し気の毒になった。

もちろん私は知っている。彼女の働く工場が全国有数の菓子メーカーで、この田舎町の一工場だけでも数百人の労働者がおり、その中でも幅を利かせる管理職の端くれにまで出世したことを。けれども私の了見としてはそれも含めて、しがない工場のしがない女工なのである。確かに登場人物のモデルとなっている人間の、もっともな感想だが、私にしてみれば、そして物語の主旨からすれば余計な紙面を割いてしまったことになる。

「生まれ変わるのは無理、生まれ変わっても無理、現世で無理なら来世でも無理」

そんなフレーズを繰り返しながら鼻黒スキップがやってきたのは三日後である。

玄関の排水溝の掃除をしていた私は顔を上げて

「随分と反宗教的な歌ですね」と言った。

「はいどうも。先日お持ちした三毛猫は元気ですか。それとももう何かに使いましたか」

「元気ですよ。犬小屋に犬と一緒に繋いでいます。犬と繋いでいるので散歩も一緒です。Tが同情して二匹を別々にしない限り、今日も犬小屋で一緒に寝ています」
 金目銀目が尊徳の頭に変わったことには触れずにこう言った。2,800円を詐取しておきながらまたのこのこやってきた理由を知りたかったからである。

「それは結構です。いい塩梅です。三毛猫なんかは猫の中でも特に怠け者ですから存分に使ってやってください」

「それで今日はどんな御用で」

「いやそれが探偵業はなんでも屋なもんですからね。実は荷物を運ぶ犬を探してまして、どうもこちらで斡旋しているような話を聞いたもので」

「ああ、ポーター犬ですね。ポーター犬ぶたぬき」

 

 以前書いた通り今年も北岳には行けなかった。だから私は架空の話で石間さんの北岳山行を描いて自らの慰めとしたのは第24話である。山小屋の予約が取れない週末を外して来年こそは北岳に行きましょうと言うと、もう年だから無理かもと言う。「大丈夫ですよ、山小屋で二泊なら楽勝の湖です」「でもね、年々体力は衰えているから無理だと思うわ」とやはり弱気になっている。そこで私は24話の内容通りにポーター犬を勧めた。雇用の仕方、料金など説明すると、リアリティがあったのか石間さんは大変乗り気であったので、ポーター犬の話をもう少し敷衍して書くことにした。

石間さんがポーター犬を気に入ったのか、ポーター犬が石間さんを好きになったのか分からないが、二泊三日の北岳山行を共にした後、ポーター犬はそのまま新潟までついてきて石間家で飼われることになった。ただ、家の中には高齢の猫、ススがいるので玄関前で寝起き、生活している。

 

ある日石間さんが歴史館の庭に五歳の孫とポーター犬を連れてきたので、私は変わりはてた様子を目にすることになった。おぼろちゃんは「ぶたぬき」と呼んでいたが、石間さんがポーターと呼んだので分かったのだ。恐らく二倍も三倍も太って、そして生気が全くないように見えた。広河原と北岳の往復、高低差1600mを自分の体重と同等の荷物を背負い運んでいた生活から一変、労働無し寝たい放題食べ放題の生活になったわけだから、様子が変わって何の不思議もない。

「あれは北岳のポーター犬ですか」

「そうよ、今は畑に連れて行ってジャガイモとサツマイモとを掘らせているの。自分の背負える分だけ掘ってくくればいいのに、掘り過ぎて私も背負って帰ってくるのよ」

「芋掘りはいつまで続きますか」

「沢山掘るからとっくに終わったわ」

ポーター犬にとっての生き甲斐はお金でもなし食べ物でもない。人のために尽くして感謝されることだろう。前身を知る私には今の姿、生活はいかにも不憫に思ったので、光兎山の登山者の荷物を運ばせることを提案した。これから紅葉のシーズン、登山口に繋いでおけば利用者は少なからずいるだろう。

「この犬はポーター犬です。南アルプスは北岳で働いていましたが故あって現在関川村住です。左右の袋にバランス良く均等に荷物を入れてください。頂上までお運びします。途中、分岐と虚空蔵峰と観音峰と雷峰で水を飲ませてください。虚空蔵峰と雷峰ではなにかしらのおやつも与えてください。頂上では600カロリー以上の食物をお願いします。料金は往復で2,000円です。犬の袋に入れてください」