オッド・アイTの猫とその一味 第22話「頗る前衛的~ホウオウシャジン」

「どうでもいいけどどうでもよくないドーナツ襟巻、夏はクールで暑さ知らず冬はホットで寒さ知らず、いざ呼べ奇跡のドーナツ襟巻さあきた魔法のドーナツ襟巻、マスクバンダナ天使の輪、気分を出して踊ろうよ」

その時の歌を思い出したのか、あるいは創作したのか、田町さんは襟巻の歌と称するものを歌い出した。例の踊りを真似るので、バランスを崩す度歌も途切れる。つまりやたら途切れて歌の体を成さないが、リズム感は運動にも歌にも共通だから、もともと音痴なのだろう。本人はアピールのオプションだと言うが、下手にさえ歌わせ躍らせることこそドーナッツ襟巻の力なのだ。そして、最初は退館する際には外していたようだが、着用感が全くないからといって、今では四六時中首に巻いている。

「湯船で眠くなってもそのまま眠れます。南国の海に浮かんでいるような気持になります。そしてついでに襟巻も洗います」

「すぐ乾きますか」

「ええ、こうやって頭まで上げて髪と一緒にドライヤーで乾かします」

「はあ、考えましたね」

「そうなんです。自然とアイディアが浮かんでくるのはこの襟巻のおかげです。私もっと宣伝しますわ」

そして田町さんはドーナツ襟巻の虜になった。

話は3月に戻るが、三寒四温の続く中頃、犬がいなくなったことがあった。散歩の折、Tは時々犬を逃がしてしまう。僥倖を得た犬を捕まえるのはたとえTでも難しいが、犬の方も自由には不慣れで家の周りをうろうろして、捕まえようとすると逃げるだけだ。そして翌朝には自主的に小屋に戻っている。ところがこの時は朝になっても小屋には戻らず、たまたま休みで山にも行かなかったので、車で周辺を探しに出た。除雪車で押しのけられた雪が道路の両側にまだ高い塀を作っていたので、車が来た時にその雪壁に阻まれて逃げられず、轢かれて死んでいるのではないかというのが私の推測だ。大型ダンプなどに踏まれてぺらぺらの皮だけになる前に見つけようという気持ちだった。この時期、少し暖かくなると、どの家でも家周りの除雪に有閑の老人たちは余念がない。落ち武者を追う農兵のように、残った雪を敵にして片付けにかかる。村外れの地蔵の前で熱心に手を合わせる老人もいた。傍にある押し車を使ってそこまで歩いてきたらいから、道路から祠までの雪を除けたのはこの人ではなさそうだが、まだ雪囲いを外さない祠の前でずっと手を合わせる姿がバックミラーに映っていた。偶像崇拝をしないと半猫は言っていたが、人間は多分そうしないと、ぺらぺらの皮だけになるのかもれない。

そんな様子を横目で見ながら、用ある者の体で隣の集落まで回ったが、犬の亡骸は見つからない。そして諦めて帰ると、何食わぬ顔で犬が小屋の中にいた。そして驚いたことにドーナツ襟巻をしていたのだ。Tが見つけて首に着けたのだと思ったが、今思えば犬自身が探し求めて見つけ出したのではないか。犬もまたなんらかの理由でドーナツ襟巻の虜になっていたのかもしれない。但し犬の場合は風呂には入らないので、茶色のドーナツ襟巻はわずかひと月で真っ黒に汚れている。

犬と田町さんと、二件の例を考えると、作って売れば案外と売れるのかもしれない。

「犬にもどうぞ猫にもどうぞ平和の証ドーナツ襟巻、大人もどうぞ子供どうぞ老若男女ワンダフル、あなたもどうぞ私もどうぞ仲良きことは美しき哉」

こんな歌詞を作るくらいだから私も相当用心しないといけないだろう。そして田町さんの妙な歌と妙な踊りに慣れてきた頃、春慎重派の私もヒートテックの下着を着なくなった頃に、鼻黒猫が久しぶりに訪ねてきた。スキップで枯草まみれの。

「ふむふむほうほうはふはふ」は聞きようによっては「にゃーにゃにゃーにゃにゃーにゃにゃー」となる。そんな声を出して鼻黒猫は田町さんの歌と踊りに大変感心していた。

「ティラティッテティラティッテ、ティラティッテティラティッテ」

声を出して伴奏もする。

「昨日も今日も愉快に暮らす、歌いましょう踊りましょう、夢見る気分でステップ踏んで気分を出して踊りましょう」

「歌う喜び踊る楽しさ、気儘な歌を気儘に踊る、気分次第でカモンカモン、あなたも私もベリーグット」

残念ながら作詞の才も無い彼女にそうさせるのはすべてドーナッツ襟巻の成せる業だ。

そしてもはや百万円の営業も忘れている。

「ブラボービューティフル素晴らしい美しい」

鼻黒猫は拍手して褒めた。

「ブラボービューティフル素晴らしい美しい」

「ところで今日は何の御用ですか
「歌う楽しさ踊る喜び、ブラボービューティフル素晴らしい美しい」

鼻黒猫は復唱して言葉を覚えるのだ。

「違います。歌う喜びですわ。歌う喜び踊る楽しさですわ」

「いやあ失礼、歌う喜び踊る楽しさですね。ブラボービューティフル素晴らしい美しい」

そして田町さんはレッスンを始めたので私は机に戻った。自信を持った下手な踊りは不思議と前衛舞踊に見える。ただそれを習うのは容易ではないだろう。

私はバスに乗っていて傍らには大型のザックがあった。南アルプスの広河原に向かう登山バスのようだ。ようやく、石松さん念願の北岳登山かと後ろを振り向くと確かに彼女もいたが、口を大きく開けて上を向いて寝ていた。四時出発だから三時起き、ろくに寝ていないのだろう。Yも綿野舞さんも池畑さんも乗っている。Yは本物かそれとも猪使いの方かとっくりと見たかったが、ずっと後ろを振り向く姿勢が苦しくなった。すると女性の車掌が

「右の方に咲いているのがホウオウシャジンです。紫の釣り鐘状の小さな花で、南アルプスの固有種です」と言う。ホウオウシャジンはここにはないはずと私は思いながら窓の外を見た。場所は近いが鳳凰三山の、しかも稜線にしか咲かないはずだかと。車掌は左手と言ったので左を見たが、左側は川に落ちていく崖で、たとえ咲いていたとしても見えないだろう。それをどうしても見ようと乗客は左の方に寄る。運転手も崖ぎりぎりを走行する。石松さんだけ相変わらず上を向き口を開けて眠っているので、横光利一の「蠅」や「サブウェイ・パニック」という映画を思い出した。その筋ならバスが崖に落ちて助かるのは石松さんだけだ。

「ホウオウシャジンはここには咲かないです。咲くとしたらヒメシャジンかミヤマシャジンで右側の崖でしょう」

ちょうど良くシャジンに似たホタルブクロが右側の崖に咲いていたので、全員が右に寄りバスも右に寄った。するとYが

「あれ、ヤマホタルブクロじゃない!」と言う。全く浅薄な知識をこんな時にひけらかしてとイライラしたが、運転手はその言葉を聞いてまた左の方にバスを寄せた。私だけが不安なのは、車掌も運転手も鼻黒猫だと気付いたからかもしれない。二人が鼻黒猫でももろとも崖に落ちることはないだろうと私は腹をくくった。それにホタルブクロをシャジンだと言ったことで私は信用を失っていた。それでも私は自分一人だけでも右側の席に移ってバスの荷重を少しでも右側にしたいと思ったが、それはいかにも幼稚な行動に思われる気がした。つまりホタルブクロをシャジンだと言ったことに依怙地になっているととらえられかねない。