オッド・アイ Tの猫とその一味第70話「縦走はとてもとても」

週末のためか、本山から下ってくる多くの人とすれ違った。切合小屋に泊まったという人もいるし、本山小屋に泊まったという人もいるが、犬と猪と人間のパーティは珍しいので、最後尾を行く私に質問した。
「猪と犬とは喧嘩はしませんか」
「今まではしませんが、これからは分かりません。今のところ喧嘩をする余裕は無いようです」
「どこから来てどこに行きますか」
「朳差から来て朳差に戻るところです」
「猪や犬が担いでいるのは何ですか」
「あれはヒメサユリの球根です。あの女性が登山道に植えるために担いでいます」
 この種の質問と回答を会う人ごとに繰り返したのである。そして同じ回数こんな話を聞いた。
~本山から先、御西岳までの稜線は百年に一度のニッコウキスゲの大群落が花盛りで、向こうから来る者、こちらから行く者いずれも、その花に目も眩み道も阻まれて行き来ならない。無理に通ろうとすれば花粉に塗されてまっ黄色、耳の穴も鼻の穴も花粉が詰まって、ほうほうの体で出てくる~
「ですから朳差岳まで行くのは無理です。ほら、あの人もあの人も、ふらふら歩いて頭やザックが黄色っぽいのは無理に通ろうとして抛り出された人達です!」
我々一行が御西から本山を歩いた時は、雪渓で猪が滑ったくらいで、ニッコウキスゲの群落などは無かった。このニ三日で満開になったとすれば、文字通り、あっという間に雪が消えてあっという間に花が咲いたことになる。
「もし、どうしても通るつもりでしたら、予め鼻と耳にテッシュをぎっしり詰めると良いでしょう」
「でも息苦しそうですね」
「そうです、そうです。そうして突破しようとする人はかえってふらふらになって戻ってきます」
すれ違う人の中には一部黄色い人や、一本のバナナのように全身まっ黄色の人もいた。しかし、こういう人でさえ、我々のパーティーについて上記のような問い掛けをする。私は答えてそして聞き返す。
「縦走しようとしていましたか」
「そうです、そうです。でもこんなまっ黄色になると、とてもとてもできません。体力というより気分の問題です。本家のニッコウキスゲより黄色いわけですから」
私にはそれが言い訳にしか聞こえなかった。草わらに入って寝転がり、ゴロゴロっと横回転すれば、大概の黄色(花粉)は取れそうに思えたからだ。彼らの後姿を見れば、尻の部分だけ黄色くない。つまりこれは休憩時に腰を下ろしたために花粉が落ちたのだ。誰もが引き返す理由を考える。そうしてそれを教えたがるが、もし今驟雨となれば、黄色の言い訳は流し落とされて、むしろ彼らは戸惑うだろう。
 鼻黒が御秘所を登り終え、猪達も岩場にへばり付いた頃、私も姥権現の前に立った。行きと帰りでは表情が違うと言われる老婆の顔の、頬と鼻が黄色くなっていて、若干柔和になった気がした。