オッド・アイ Tの猫とその一味 第55話「御手洗ノ池」

烏帽子岳は2017m、次の御西は2012m、二つの山頂に標高差は無いが、その間には地図では分からない大小のこぶが続いているのが見えている。そのこぶを登ったり下りたり、稜線といっても御西岳まで三時間は掛かるだろう。Y似で猪使いの巫女は左右の叢、あるいは低灌木の藪を棒で叩きながら進む傍ら、焚き木拾いも余念がない。枯れかかったハイマツなどはその枝をボキッと折る。そして片手で抱えきれなくなると、猪の背中に括り付けるので、やがて二匹の背中には山ほどの焚き木が積まれ、自らが磔となる十字架を背負ってゴルタゴの丘を登る聖者を彷彿させる、残酷で荘厳な光景だ。その背からこぼれ落ちる薪は二人の郵便夫が拾い、私は私で叩き折られたハクサンフウロやコバイケイソウ、イブキトラノオなどを集めて花束にした。いずれかの頂上で、標柱を中心に三方向、縦に括り付けられた三匹の猪は、周りを自ら背負ってきた薪で囲まれ、導火線となる自分の尻尾に火を付けられて、そうして三つの丸焦げとなる、その時に供える三つ花束。荷がどんどん増えていけば、猪でさえ三匹目の猪が早く捕まれば良いと思うのかもしれない。私はイブキトラノオを捨ててウサギギクを拾った。クルマユリも追加した。紫と白と黄色と赤と。

 御手洗の池の脇を通る時、二匹の猪は足を止めて池の水を飲んだ。イワイチョウの白くて小さな花が池の縁には沢山咲いていた。Y似で猪使いの巫女は草をむしって水に浸け、その濡れた草でもって水を飲んでいる猪の頭をペタペタと叩いた。丸焦げにする前の儀式なのかもしれないし、熱中症対策かもしれない。

「ここには沢山の大きな魚が棲んでいます。雨が長く降らないと池が干上がって魚も干物になります。だから私、七月の終わりから八月の終わりまではここを何回も通って干物を拾います。大きいのは十段の跳び箱くらいです。小さいのは鉛筆くらいです」

「それはなんという魚ですか」「十段の跳び箱をどうやって運びますか」

二人の郵便夫は質問した。

「大きくなるのはゴロゴロゴロタロウです。雷が鳴る夜に成長します。小さいままなのはボヤです。どんなに大きくても干物なので、畳二枚分に平たくなります。それに紐をつけて東風(だし)の吹く日に飛ばします。すると胎内ヒュッテ辺りに落ちて、千人分の干物になります。一枚一万円です。小さいのは私の行動食です。行動食をどうぞ」

私たちはY似で猪使いの巫女が差し出す行動食を貰った。それはさきイカで、味もさきイカだった。そしてそれを咥えながら、びしょ濡れになって頭から雫を垂らす猪とともに出発した。