オッド・アイ Tの猫とその一味 第21話「ありふれたパラドックス」

私を呼ぶ父の大きな声がして階段を降りると、茶の間に人が集まっている。介護会議の面々のようだが、すっかり忘れていた。それに、施設にいるはずの父がなぜ戻っているのかも思い出せない。回復して家に帰ることになり、これからの対応を検討する集まりであったろうか。外で犬が盛んに吠え始めると、白内障でほとんど見えず、なにか気配があればやたら吠えるのだと車椅子の父は言い訳した。玄関の戸が開いて、遅れて来て犬に吠えられた男が大きな箱を持って入ってきた。介護器具を世話してくれているKさんのように思えたが、首に見覚えのあるドーナッツ型の襟巻をしている。今年は雪が多かったこと、ようやく温かくなってきたことなど話題にして会議が始まるのを待っていたが、その襟巻に話は移った。

「冬は暖かいし夏は涼しいです。それに姿勢も良くなって、そのせいか肩こりがなくなりました。眠くなればこのまま枕になるし、ちょっと上に上げれば、ほらマスク代わりになります。運動する時はこうやって頭まで上げて汗止めのバンダナです。ちょうど良い締め付け感で頭もすっきり動きも機敏になります。頭痛なんかもすぐ解消します」
「ほう!いい事ずくめですね」と介護士のNさんが言った。「どこで買ったんですか」

「いやあ、ただです。沢山もらってきたので差し上げましょう」

そういうと小林さんは玄関に置いた箱を開けてドーナッツ襟巻を出し、配り始めた。それを手渡しで回して私以外父も含めて全員がドーナッツ襟巻をした。茶番であることは明々白々、いずれも鼻黒猫の扮装で、私を仲間に入れようとする芝居である。顔はそっくりだが、芝居は下手だ。

「ひとつと言わず二つでも三つでも持っていってください。家族の分もどうぞ。そうそうそうです、二つ三つと重ねて着けると浮袋の代わりになって溺れなくてすむんです」

「ほう!命も守ってくれるんですね」

「魔法の襟巻、奇跡のマフラーですね」

「そうそうそうそうそうなんです。魔法の襟巻奇跡のマフラー、毎日奇蹟毎日魔法、生きてることはワンダフル、目にするすべてがビューティフル、後ろ向けない前向き襟巻」

父も鼻黒猫だ。両手を上げて踊っている。怪訝な目で見る私に気付いて、父は二つしていた襟巻をひとつ外した。

「食事の時は外しますか。邪魔になりそうだけれど」と聞くと

「いやいや食事の時こそワンダフル、このようにタオル手ぬぐいの類を一枚こうして差し込めばエプロンになります。大事な毛に汚れが付きません。あとでなめてきれいにしなくていいんです。首周りの毛が一番なめづらいですからね」

「私は猫でないので大丈夫です」

私が語気を強めてそう言うと、蛇足に気付いたKさんはそそくさと段ボールを持って出ていった。他の人もそれに倣い、父も車椅子から立ち上がると、その車椅子を自ら押して出ていった。後には三つ、誰かが忘れた襟巻が残っていた。私はそのひとつを犬にくれた。犬の本当の気持ちは分からないが、そのまま何日か首に巻いた後、無くなっていた。多分散歩の時に外れたことにTが気付かなかったのだろう。

 あとのふたつはYと石松さんにやろうかと思ったが、二人とも頭の構造が複雑でなく、洗脳されやすいタイプなので、資料館に持っていって鼻黒猫が来た時に渡すことにした。受付の下に置いたのを見つけた田町さんが問うので

「襟巻ですよ。冬は暖かいし夏は涼しいです。それに姿勢も良くなって、肩こりがなくなるそうです。眠くなれば枕になるし、ちょっと上に上げればマスクになります。運動する時は頭まで上げてバンダナ、ちょうど良い締め付け感で頭もすっきり動きも機敏になるそうです。頭痛も治るそうです。あなたにあげましょうか」

「結構です。ここに置くと気になるので袋に入れておきますわ」

「ではそうしてください。そして百万円で売ってほしいという人が来たら売ってください。貴方に一割差し上げます」

「山分けにしてください」

「分かりました」

この村に桜の名所というほどの場所はないが、高瀬の桜堤、113号線バイパスがそれだろうか。いずれも満開の時期にはその下をランニングするのが近年の恒例だが、桜越しに見る遠くの山々、飯豊の山並みは真っ白で、陽に当たれば確かに銀色に輝く。人が入らない資料館は人が入らなければ入らないほど忙しい。なんとなれば、客を増やすため、企画展(ギャラリー)の回数を増やすので、その準備と展示替えがあり、他の行事も増やすからだ。今年度の企画展は8回、行事は多種で、峠歩き5回、美術館巡り2回、巨木探索会1回、講演会1回、常設展の入れ替えと解説会、加えて公民館事業としてここで受け持っている登山が3回、高齢者大学講座が7回、その他に田町さんは週一で古文書講座も持っている。客が少ないから忙しいというパラドックス、これは金持ちが吝嗇であることと同様、理屈の通った事象なのだ。だから、彼女も私も決して忙し気に見えないかもしれないが、私らの十倍二十倍のスピードで内実の無い事を喋っていく啓介さんやS先生よりは遥かに忙しい。本当に忙しい人間は忙しいなんて言う暇もないので忙しいなんて言わないようだ。

 そんな4月、田町さんが「館長、これを着けてアピールしても良いですか」と聞く。なにかと思ったらドーナッツ襟巻のことだ。私はすっかり忘れていたが彼女は多分「山分け」が気になっていたのだろう。しかし

「さっき館長が役場に言っている間に来た人がちょっと変で、スキップしながら入ってきてギャラリーの方にスキップで行って、それから受付の前で何か歌を歌いました。スキップと歌は両立しないのか、歌う時はスキップを止めて、こんな風に片足で立って、少し曲げた腕を交互に前後させて腰を振りながら歌いました」

彼女は運動神経が零なので、そのまねをしようとして腰を机にぶつけたが、大体の様子は想像できた。

「それで私、なにか変な人だと思ったので事務所のさすまたを取りに行ったんです。そして戻ったらまたスキップで出ていきました。あの人多分、百万円です」

「えっ。襟巻のことを言ってましたか」

「いえ、でも、歌が、その歌が館長の言ってた口上でした。肩こり解消とかマスクの代用とか夏はクールで冬はホットとか言ってた気がします」

「その人は去年の秋に何度か来た人ですか」

「いえ、見たことない人です」

「あっそう」

「だからまた来た時に私がこれを着けていれば話が早いかと」

「分かりました。どうぞアピールしてください」

その日から彼女はドーナッツ襟巻を着けて仕事をした。私に奇異に映ったくらいだから事情を知らない来客にもそう見えたはずだが、誰一人それに触れることはなかった。孤高の学芸員である。多分、人にはそれぞれ適切な接し方があるということらしい。