オッドアイ Tの猫とその一味 第三回「人生に落とし穴はつきもの」

なぜか猪の代わりに穴に落ちたのは私だった。どしんと地面に落ちるとすぐ目の前に尖った杭がある。運の悪い猪なら、まっすぐこの杭の上に落ちて一巻の終わり。運が良かったとして2週間竹竿にぶら下げられて干物になる。自力では上がれそうもないので私は声を出した。「おーい、おーい」と叫ぶ声に呼応して上から穴を覗いたのはYでなく、数匹の猪だ。大小の猪が穴の縁から頭を出して落ちた人間を興味深げに覗いている。仲間を干物にして売り捌く人間の相棒、片棒担ぎだと分かれば私は木に縛られて猪突の的となるのは必至。これも運命仕方ないと諦めた時、上から覗いていた猪達がどどどっとまとめて落ちてきた。多分Yが例の竹竿で猪を後ろから突いたのだろう。私は窮地を脱したのか、更なる窮地に追いやられたのか判断しかねた。猪の下敷きになって息が苦しかったし、彼らが暴れるので、その牙がぐさりと体のあちこちを刺したから。

穴を覗いていた全部の猪を穴の中に落としたら、今度は竹竿の先端で落ちた猪の急所を突き始めるだろうから、その前に這い上がりたいと思ってもがいたが、周りの猪達ももがいているので、自分だけ上に行くということができない。おまけに「おうい俺だ」と叫ぶ声も猪達のピエーピエーという声にかき消されるどころか、私の声さえピエーピエーとしか叫んでいないような気がして、言葉の有難さを感じた。そして猪達の悪あがきの方が私のそれより激しかったので、私は徐々に下になって、猪のごわごわの毛が顔にぐりぐりと押しつけられてきた。牙にだけは気をつけながらやはり無駄な抵抗はすまいと観念した時に聞き覚えのある犬の声がして目が覚めた。
クマも穴を覗いていてやはり突き落とされたのか、穴に落ちた猪に私も交ざっていることに気づいて吠えてくれたのか定かでない。分からないまま夢は覚めたが、なぜかクマに対して感謝の気持ちが湧いてきた。穴を覗いていて突き落とされたにしても私の後を追ってそこまで来たに違いないし、猪の下になって観念した私を見つけて吠えたのなら猶更のことである。

今週から来週は忙しい。金曜日にやまゆり大学の南陽長井旅行とその準備、来週初めに大六展の片付け、そして藤島玄の展示、その中で木曜は人間ドッグ、その夜は文化協会の役員会、その書類も作らないとならないし、その週末には歴史館視察も入っていて、その資料も必要だ。だから収蔵庫の整理などしている暇はないはずなのに、なぜか収蔵庫にいる。

二宮尊徳の頭を持って女川小学校の校庭に立っていた。元の所に戻せば何もかも解決するような気持になったのだろうか。しかし校庭には高原のように霧が流れ、どこに首の無い二宮尊徳像が立っているのか分からない。大体首の無い像をいつまでもそのままにしておくわけもない。そう思っていたのになぜ来たのだろう。私は霧の立ち込めるグランドを足元に気を付けながら歩き始めた。廃校となってだいぶ経つのに白線が地面に残っているのが不思議な気がしたが、とりあえず線に沿って歩けば全体が分かる。今も二宮尊徳が立っているとすれば白線の外側のはずだから、白線がカーブになったらその外側に注意していれば良いだろう。ところが、白線はどこまでも真直ぐで、コーナーになって曲がる気配がない。せいぜい一周200mのグランドのはずだがと訝しがりながらも歩いていると、なにか足りないような気がしたのは尊徳の頭を持っていないことだ。すると後ろでドドドと地響きがして、霧の中から猪が三匹飛び出してきた。何かに追われているような気もしたし、競走をしているようにも見えた。猪は数本に増えた白線のコース内をはみ出さず真直ぐ必死に走っていったのだ。何かに追われて逃げているのなら、自分もとりあえず猪の向かった方に逃げた方が良いのかと思っていると、また一頭、猪が走ってきた。遅い理由は明白で、その猪は何かを引きずって走っている。私がさっきまで持っていた尊徳の頭を引きずっている。猪の胴体と尊徳の頭を繋いだロープを咄嗟に踏むと猪は反り返るように倒れた。そのダメージが回復しないうちに尊徳の首を拾って片腕に抱え、猪を繋いだロープを片手で持った。つまり犬の散歩の形態になった。尊徳の頭さえ取り返せれば猪は逃がしても構わなかったのだが、せっかくロープで繋がれていたので、成り行きでこういう形になった。仲間から遅れたためか、尊徳の首を取り上げられてしまったためか、あるいはここまで引きずってきて疲れたためか、前の三頭と比べて覇気も迫力も無い。この猪に先導させれば尊徳像に辿り着くとは思えなかったが、障害物とかは避けてくれるだろう。盲導犬のような役割を担わせたつもりで進むと、盲導猪が足を止めた。そしてフガフガと地面の匂いを嗅いで動かなくなった。ここにはYの作った落とし穴があるなと瞬間的に悟った私は、抱えていた尊徳の頭を猪の先の地面に放り投げた。投げてみると意外と重くて、目標地点に届かず、役目を終えたつもりで寝転がっていた猪の腹に落ちた。猪は寛いでいる場合でないと思ったのか、今度は立ち上がって私の投擲を見守った。さっきよりは先に飛んだ尊徳の頭は私の見当が悪かったのか固い地面に当たって、そして割れた。多分私以上に猪は動揺しただろうが、猪の気持ちは顔には出ない。出ているかも知れないが私には読み取れない。私は読み取れない猪の表情を一瞥した後、平然を装って割れた尊徳の頭を回収しようとした。すると一片の紙も落ちていた。折り畳んだ紙片が二つに割れた尊徳の頭のちょうど真ん中に落ちていて、つまりは頭の空洞の中に入っていたのだ。今まで気付かなかったのは、その紙片が頭の内側に貼られていたからだろう。私は猪に見栄を張ったわけではないが、これが目的であったように紙を拾って広げてみた。字が読めるわけでもないのに猪も寄ってきた。食べ物かと思ったのかも知れない。万が一喰われても困るので、その鼻面を肘で押しのけてから紙片を開いた。
「これを読む人は尊徳の頭を壊した人に限ります。つまり、壊した人はこれを見る権利もあり義務もあるということです。さて、私たちは公共交通機関などは一切使わず山に登ります。言ってみればクル―の付かない田中ヨ―キです。靴も履かずストックも持たず、空身で登山する風来坊です。そして食糧も自給自足、ヒメサユリの球根などは大好物だから、見つけたら躊躇せず掘って食べます。その点貴君らの娯楽の山登りとは違います。私らの登山は生きることそのものであり、悟りの道への修行です」
私は初め自分が行間を読んでいるように錯覚した。しかし紙片は白紙、行間も無い。どうも横の猪が喋っているようだ。それにしても猪は自分の考えを言っているのだろうか。それとも暗記した文章を喋っているのだろう。いずれにせよ、猪というのは意外と理屈っぽい、面倒な生き物だと分かったので、口達者で生意気な猪の鼻面をまた肘で突くと、大袈裟にドタンと倒れた。するとそれが合図でもあったかのように笹薮の中の一本の登山道を仲間の猪が一列になってこちらに進んでくるのが見えた。逃げるべきか、迎え撃つべきか。落とし穴を作る時間はない。そこにYがもの凄く長い槍を持って登場した。そして、細い登山道を一列になって進んでくる猪に向かってその槍を突き刺すと、猪は団子のようになって何匹も突き刺さった。Yは反対側を持ってくれと言う。私は突き刺さった猪の脇を通って、その数を数えながら後ろに回った。五匹か六匹いた。そして槍の端を持って、文字通り片棒を担いで小屋まで戻ることになった。後ろから囮となった猪が悄然としてついてきた。あんなに生意気な口をきいていたのに、Yが出てきた途端青菜に塩のようにしょぼくれている。多分Yに何か弱みを握られているに違いない。
「俺なんかは運が悪いだけで猪になっているけれども、本当なら君らみたいな人間になって仕事もせずぶらぶらとこんな山を良い気になって歩きたいものだ」

そんな独り言が後ろから聞こえてきたので
「君らも気楽なものだろう。食べ物のことだけ考えて毎日過ごしていれば良い。道が無いから迷うこともない」
「なに気楽なものか。徒党を組めば煩わしいし一人になれば寂しいだけだ」

また小理屈を喋り始めたので

「君はYの手先か。なにか弱みを握られているのか」

と聞くとまた黙ってしまった。

不思議と五六匹の猪を括った片棒は重くなかった。ただその分哀れな気もしてくる。仲間を救おうとしてやってきて、あっという間に団子のように串刺しになってしまった。多分このまま丸焼きにされる運命だろう。
丸焼きの猪を食べる前に、階下で私を呼ぶ田町さんの声で夢想から醒めた。尊徳の頭が割れてはいないことを確かめ、紙片が入っているか覗いてから、そっと床に置いた。好きな山でずっと過ごせること、ユメサユリを猪から守れること、猪の丸焼きで大儲けができること等、Yの仕事の特典をひとつひとつ指を折って数えながら階段を降りた。