オッド・アイTの猫とその一味第62話「風の便りは紙飛行機」

書いたかどうか忘れだが、夕方私はその日の出来事をノートに記し、その頁を切り取ってから近くのピークに行き、風の中にその紙切れを放つ。風が北西に吹くならひらひらひらりと舞いながら飛んでいくし、無風に近ければ紙飛行機にして家の方に放つ。一枚の文書はどんな奇蹟があっても家には届かないはずだが、昔私の家に巣を作っていた燕の子孫がそれを空中でキャッチして私の家の玄関に落としてくれる。燕は赤とんぼ(正式名称アキアカネ)を取りに高い山まで飛んできて、夕方帰る時に手紙を見つけて運ぶのだ。赤とんぼは暑い時期には高い山に集まり、涼しくなる秋が近付くと里に下っていく。燕より速く飛ぶ紙飛行機はないが、万が一燕が見逃した紙切れは里でうろうろしている鼻黒郵便夫が拾う。だから私の放浪する半身は逐一このような報告ができるのである。私は一日の概要を書き、もう一人が脚色してこの小説は成立している。

実は私の地形図は朳差の小屋から三国の小屋まで飛ばされたのである。私が朳差の頂上で広げて後悔の気持ちで見ていた時に、突風がそれを奪ってあっという間に空に消えた。三国の小屋の屋根まで飛んで、引っかかっていたのを見つけた登山者が、親切にも乾かす意図で壁に張ったので公開されているという顛末だ。誰にでも後悔はある。後悔だけが人生かもしれないが、それを公開されるのはまっぴらごめんというわけで、私は道を急いでいた。

どんな後悔があるのだろう。私は人を見る時いつも思う。到底分かるものでも推測さえできるものではないが、そう思えば私の心は安らぐようだ。管理人を装い、我々にゆり根を食わせて材木運びに使役しようと企てた猪でさえ色々な後悔でいっぱいだろう。隅の方でしょぼくれた彼の首には大きな大きな鈴のように薬缶がぶら下げられて、それには水がたっぷりと入っていた。重い水を持ちながらそれを飲むことができない!なんという業苦であろう。アジトに着かなければその業苦から解放されない。実(げ)に恐ろしきY似で猪使いの巫女の策謀。

Y似で猪使いの巫女を先頭にして三国の小屋方面に一行は歩き始めた。先頭は時々振り返って、二番目を歩く薬缶猪の薬缶を棒で叩いた。ブヒと鳴けばそのまま進め、ブヒブヒと鳴けば止まれの合図、だがしかし、猪が素直にアジトに案内するとは思えない。