オッド・アイ Tの猫とその一味 十三話「カラスの乾物」

時計を持たない犬は時間の感覚が希薄なのだろう、Tの散歩は夏だと6時過ぎ、日の短くなりつつあるこの頃は5時前後なのに、大概は2時間も3時間も前からTが登場する方向を向いて待っている。時計が無いから遅いとか早いとか文句も言わないし、頓着もない。犬の人生も鼻黒猫の言う猫人生と同様、人間の何倍も長いのかもしれない。時間を節約し、沢山のことをやる、やりたいと願うあまり時間に縛られる。沢山のこととは何だったのだろう。
 白内障が進んでか、少し離れていれば私にも吠える。近付いていけば吠えるのを止めるが、この頃また姿を見せ始めた胴割れ猫にも吠えて近づけさせない。以前同居していた猫だが、この猫も気まぐれで、しばらく来なくなっていた。原因はともかく、頑迷になるのは歳をとることの弊害のひとつだ。小屋の中に敷いていた茣蓙の座布団を捨てて、毛布にする。もう使うこともないだろう、母の毛布が沢山ある。薄めのやつを折り畳んで入れる。犬も15歳、母も倒れて15年。

「現実にあり得ないことを想像するのが好きですわ」と彼女は言った。

「たとえば兎の耳を兎の頭の上でリボンみたいに結ぶの。でもすぐ解けて、解けた勢いでプロペラみたいに回って兎は空を飛ぶのね。するとカラスが怪しいやつが来たと思ってちょっかいを出してくるから、そのカラスを片っ端から兎は蹴るの。カラスは屋根の上に次々と落ちて、夏だったらすぐ乾くから、それを集めて畑の肥料にするわ。カラスも役に立つのよ」

一人ごとなのか我々に言っているのか分からなかったが、ここは啓介さんに受付を任せて私は立ち去ろうとした。しかし、どうもこの女性、見覚えがあるような気もして、それが分かるまで少し離れたところから見ていることにした。

「ほいやあカラスはいい肥やしになるんだがね」

「良い肥やしになりますわ。オクラとかウルイとか桃とかいちごとか」
「へばんめさんもオクラにカラスの肥やし使ってらんだがね」

「だから現実にはあり得ないことって言ったでしょ!」
そう言って啓介さんの頭を黒い何かで叩いた。こういう時、大きい頭は不利だ。過たず当たって外れがない。黒い何かとはその形からしてカラスだろう。毛と毛がぶつかったはずなのに意想外にカーンという高い音が出たのは、片方が完全な乾物である証拠だし、片方に空洞が多い証だ。自らの頭に当たって、その勢いで地面に落ちた乾物を拾って仔細に眺めていた啓介さんは

「ひとつ見本にくんねがねんし」と言う。
「上げますわ。良かったらもっと沢山差し上げますわ」

痩せ我慢なのか相手を気遣ってなのか、あるいは実際石頭で感じないのか、啓介さんは痛いとも言わず叩かれた頭に手をやるということもなく、何事もなかったように話し続ける。

「いやそんなに沢山は要らねやんだども」
「でもすぐはできないの。乾かすのに半月、叩いて粉にするのにまた時間が掛かります。一日十羽しか粉にできないから」
「このまま土に埋めて肥やしにするわけではねやんがね」

「そうです。そのまま土に入れると狸が見ていて掘り返します。でも固いので狸は食べずにほったらかしのままです。狸は埋めたカラスは全部掘り返します。柔らかいのが必ずあると思うのか、頭にきてそうするのか分かりませんが、畑は滅茶苦茶で、頭にきた私は狸退治をしますが、狸は殺してもなんの役にも立ちませんわ。こういうことを何度か繰り返して、粉末にすることにしましたの」
そう言って彼女は啓介さんの手から乾物を取ろうとした。
「これは俺にくんねがねんし」
「いやこれは粉にするので差し上げられません」

二人は一羽のカラスの乾物を引っ張り合った。いざこざの結末に興味を持てなかったので立ち去ろうとした背中に更に大きなカーンという音が響いて、彼には気の毒であった。なんにでも関心を持つということは悪いことではないが、それなりの覚悟が必要だ。

2021/10/3 作業を終えた啓介さんが閉館後寄り、駄弁。秋になっても花壇の仕事は続いている。やはり、十分でないか十分過ぎるからあんな音がするのだろう。彼が隣町からここまで来て乗り換える軽トラは私の父母が農作業に使っていたもので、今は不用品の処分に檜原へ行く時にしか乗らないが、こうして彼が使ってくれると、なにか第二の人生がこの軽トラに訪れているような気がする。

 彼女が誰に似ていたのか、夢であっても現実であっても、彼に聞いて分かるわけはないが、カラスの乾物の行方も気になったので

「カラスを干物にして肥料にはならないだろうか」と、脈絡なしにズバリ聞いてみた。

「いやカラスで肥やし作ってえか」とへらへら笑ったので夢だったと分かった。

「だいたいどうしてカラスつかまえらんで」

駄弁を否定するわけではないが、多弁に付き合うのは御免だ。私は話を切り上げて彼を見送り館を出た。人生そのものがそうだとしても自分の駄弁に精を出せば後悔は少ない。そして、予定調和のようでもすべては脈絡なく唐突だ。それはつまり何も知らないで死んでいくことだ。

約束は守られ優勝はできたが、夢の約束は夢でしか果たされない。それに二位三位が猪なのも納得いかない。全体一番は現実では不可能だが、クラス別なら夢ではないだろう。二年振りのマラソンはもうひと月後、私はドームに向かった。4分半のペースで走っている感覚でも実際は5分、本気で練習を始めてみると、大会のなかったこの二年で体力が顕著に落ちていることを感じる。年のせいだとも思うが、大会が無かったことで練習量は激減したし、大会毎に追い込んでいた質の高い練習も無かったわけだから落ちて当然なのだ。30分アップした後の4分半のインターバル5本が続かない。これには大袈裟に言えば愕然とした。インターバルならなるべく4分に近づくように努力していたのに、今は半を切るのがやっとで、それも三本まで。魚沼のハーフはせいぜい5分ペースの1時間45分だろう。村上元旦は中止、多分笹川は開催されるだろうから、三年前の七位入賞の記録1時間37分55秒に近づくよう、これから半年努めよう。これがつまり私の駄弁だ。