オッド・アイTの猫とその一味 第45話「蟹券発行の顛末」の巻

この蟹券と猪を交換したいと思います」

そう言って鼻黒医師は朳差岳の標柱の上にカニコウモリの葉を置いた。それは濡れていて四角い標柱の先端に張りついた。多分新鮮さを保つために途中の水場で濡らしてきたのだろう。

「カニというのは骨が無くて脚が五本あって、その足も食べられるやつですか」

「そうです。骨が無くて脚も食べられるやつです」

「それなら私の大好物です。それは寺泊の蟹ですか」

「そうです。寺泊の蟹です」

「それはいつ食べられますか」

「それはいつでも食べられます。あなたがこれを持って千客万来亭に行けば、すぐ食べられます」

上にいる猪はこのやりとりを聞いてほっとしただろう。それにしてもY似で猪使いの巫女としがない女工のYの嗜好は変わらないようだ。ただ、Y似で猪使いの巫女は融通が利かない。

「でも猪はまだ一匹です。三匹で一串なのでまだ交換できません」

「いや、この棒に縛られてじたばたしているやつだけで良いです」

「いやそれはだめです。だって団子を想い浮かべてみてください。多い場合は5つ、少なくても3つは並んで刺してあるでしょう。ひとつなんて見たこともないです。だから必ず三匹セットです。そうしないと目標を失います。もう少し待ってください。すぐに仲間がのこのこやってきます」

そう言うと石を拾って頭上の猪にぶつけた。猪はギャンと悲鳴を上げた。

「いや本当にこの猪だけでいいんです」

「いや目標を失くしてまで蟹を食べたいと思いません。そうして食べた蟹は失った目標の味しかしませんから」

また旗色が変わって、上の猪の気持ちや如何。

すると鼻黒医師は標柱の蟹券の上にもう一枚蟹券を載せた。Y似で猪使いの巫女はそれを黙って見ていたが、更にもう一枚重ねると跳び上がった。

「失った目標の味しかしない蟹もまんざらでないですねえ」

そして三枚の蟹券をポケットに入れようとして

「あっそういえばこれを預かりました。この手紙です。大石山と鉾立峰の鞍部の雪の中に埋もれていた郵便夫から頼まれました」

それはまた近況を伝える私への手紙だった。

「年末に来ると予報されていた寒波は雪を伴わず助かりました。天気が良かった大晦日に母家の一部と作業所の下屋の雪を下ろしました。元旦は雨。雨でしたがコース上には雪は無く、その点は走り易かったです。記録は4641秒、元旦では最も悪いタイム、59歳の時に出した自己最高から毎年1分ずつ落ちている勘定です。ただ順位は60代で二位でした。コロナで参加者が減ったのと当日の悪天候で不参加の人も多かったからでしょう。雨で体が冷えて、特に後半2週目はかなりタイムが落ちましたが、尻にも響かず完走できたことに感謝しています。さて高坪から連絡があり、母の下着と上着を各四枚ずつ買って届けました。シャツも上着もボタンの無い物という指定がありました。母がボタンを取ってしまうのだそうです。その話を聞いてミシンの内職をしていた母を思い出しました。母親の唯一の勲章は家庭科の教師の免許があることで、裁縫は唯一得意なことでした。その母が私が高校の頃から始めたミシンの内職、その頃開通した上越新幹線の座席のカバーを作る仕事だったような気がしますが、夜中までやって朝も暗いうちから電動ミシンを動かしていました。睡眠時間を削っての内職で私を大学にやったわけです。その内職を止めてからは笹取り、細かい手先仕事が得意な母は無意識のうちに触れて自由になるボタンをいじって取ってしまうのでしょう。手先仕事の画家は総じて長命です。母もそうあって欲しいと願います。では私の放浪する半身、ずっと7月の貴君へ」

私が手紙を読んでいる間、Y似で猪使いの巫女も鼻黒医師もバカンスとバケーションも私の周りで手紙を覗き込むようして黙っていた。黙っていなかったのは上の猪だけだったので、それから猪を下げる作業に取り掛かった。死んだ猪なら標柱に縛った縄を解けば棒はバタッと倒れて終わりだが、Y似で猪使いの巫女が棒を支え、私が縄を解く係、他は倒れてもぶつからない所で待機した。ところが猪があんまり暴れたからか猪を縛っていた縄が緩んで棒を伝って落ちてきた。そして棒を支えていたY似で猪使いの巫女の頭にゴツンと当たったので、Y似で猪使いの巫女は咄嗟の反射で落ちてきた猪を放り投げた。猪は登山道をコロコロと勢い良く転がって小屋の前で止まった。私らは呆気に取られてその一連の光景を見ていたが、ジタバタしても良い結果は出ないと皆思ったでのである。