オッド・アイTの猫とその一味第51話「もっこりの秘密」

門内小屋の二階の窓から双眼鏡で我々を見ている者がいたが、近づくといなくなった。小屋の重い扉を開いた時に、玄関に立って迎えたのはその男だ。

 

「門内小屋にようこそ」

首から双眼鏡をぶら下げた男は言った。飯豊の小屋の管理人の顔は大概知っているが、この男は見たことがなかったし「ようこそ」なんて言われたこともないので、とても違和感があった。

「水の補給に寄りました」「そうですか。どうぞ、あの笹薮の中の道を行けば二、三分で着きます」「はい、ありがとうございます」「今日はどこから来ましたか。梶川ですか足ノ松ですかそれとも丸森ですか」「朳差の小屋から来ました」「ああ朳差ですか。それでは失礼ですが通行手形を見せてください」「通行手形ですか」「そうですそうです通行手形です。朳差が離れ山になってから通行手形が必要になりました。あそこを通過してどこかに行く場合に所持しなければなりません。それを見せながら歩きましょう」「通行手形は持っていません。スコップなら頼母木の小屋に置いてきました」「いやスコップではありません、手紙です。朳差からどこかへ行く時は手紙が必要です。その手紙を拝見します」

後ろにいた鼻黒郵便夫が前に出てきて鞄を開けた。

「この手紙ですか」

「そうです、そうです、その手紙です」

「でもこれはあなた宛ではないので見せられません」

「いいんです、いいんです、それが通行手形なのでちょっと拝見」

双眼鏡の男は鼻黒郵便夫が鞄から出した手紙を取ろうとした。鼻黒郵便夫は渡すまいとしたので、手紙は真ん中で半分に切れた。両者とも尻もちをついたので、半分に切れた手紙を片手で持ちながら片手で尻についた汚れを払う動作をした。その時に双眼鏡の男の尻がもっこりと膨らんでいることが分かった。つまり彼も鼻黒猫で、修行精進の不足で尻尾まで化身できない類の鼻黒だと知れた。

「手紙が半分です。これは大変郵便夫として不名誉です。是非その半分を返してください」

「私も大変不名誉です。半分だけだと何が書いてあるのか分かれません」

「貴方が引っ張るからいけません」

「貴方が放さないからいけません」

二人は水場への往復の間も手紙の取り扱いについて議論した。一方はちぎれた半分を無条件で変換し、丁重な陳謝を要求した。一方は書かれた内容によって通行させるかどうか決まめるのでちぎれた半分も見せるよう主張した。

「困ります」

「困ります」

お互いに困って埒が明かなかったが、我々も先を急がなければならなかったので、双眼鏡の鼻黒が手紙の半分を持ったまま同行することになった。

「あなたがいなくて小屋は大丈夫ですか」

「大丈夫です。なぜなら私は管理人ではありません。一時の留守を頼まれただけで、本当の管理人は二つ峰の方に行きました。昔の道跡がどれだけ残っているか見に行きました」

ハイマツの陰でぐるぐる巻きにされてもがいている管理人の姿が浮かんだが、たとえそうでも死ぬことはないだろう。己の非力を嘆くだけだ。

「越えてきた峰後ろに背負い 越えていく峰仰ぎ見る 先を望めば限りはないが 戻る道より遠くない いざ行けさあ行け郵便夫 留まることが楽ならば留まることも悪くはないが 行くも帰るもまた同じ 流した汗が雨となり、今日の水場で待っている いざ行けさあ行け郵便夫 歌えば嬉し踊れば楽し あれを見なさいギルダ原 やれ嬉しあな有難し」

二人の郵便夫と猪は適当な歌を歌って陽気に歩いた。能天気の特長である。けれどもやがて疲れて北股の上りになる頃には双眼鏡の鼻黒さえも猪のロープに頼らないでは進めなかった。

「がんばって明るいうちに梅花皮の小屋に着きましょう。そうすれば明日のうちに三国まで到着します」

私は左に石転びの雪渓を覗き見ながら彼らを励ました。猪が馬力を出すと私の足にぶつかり、私は鼻面を蹴って距離を保つように暗に示したが、それも面倒になって後ろに回った。鼻黒双眼鏡の尻はぷっくりと膨らんで、その本性とともに我々に同行した意図も隠していた。思うに、通行手形などというのは出まかせで、我々に同行せんがため、敢えて手紙を半分にちぎったのであろう。私は後ろから助ける風を装い、その膨らみをストックで押したり突ついたりした。

北股岳は飯豊連峰の中央にもっこり盛り上がった山なので、登るも下るも急である。その斜面にはありとあらゆる夏の花が咲いて、そこを登り下りする者を慰めるけれど、慰められて癒える疲れもないのである。

「山ももっこり尻ももっこりモロッコモンゴルモーリシャス、歌えば嬉し踊れば楽し、あれを見なさい頂の鳥居 やれ嬉しあな有難し」

そして頂上に着いて休憩する。日本海に傾き始めた夏の陽がそれぞれのピークに濃い影を付けて夏の山並みを一層誇張した。北に今日越えてきた峰々、門内、扇ノ地神、地神山。頼母木は地神に隠れて見えないが、朳差が一番奥に小さく見えている。石転びの雪渓を覗き見ながら南に向きを変えれば梅花皮岳、烏帽子岳、その奥に大日、御西、飯豊本山を結ぶ稜線が横たわっている。西側は湯の平温泉につながるおういんの尾根。やっとこすっとこ這う這うの体でここを這い上がってきたのは何年前だろうか。