オッド・アイ Tの猫とその一味 第35話「人間には無理です」の巻

ポーター犬の九月の稼ぎは一万六千円だった。土日が八日間に祝日二日、その内二日は雨だったので8日分の日当である。11月半ば、霙が降る頃まで働いてもらって、その金で大工さんに犬小屋を作ってもらうのはどうだろう。石間家の玄関で吹雪に晒されては可哀そうだから、上野のSさんに小洒落た住家を作ってもらおう。それから手紙はどうしたものか。飯豊の猪も雪が降る頃には山を下るだろう。山が白くなる前、10月いっぱいが期限だが、私が同伴しなければならないということは私と犬と合わせた料金ということになる。

私は広い部屋の中で革の匂いのする、ゆったりとしたソファーに体を沈め、葉巻をぷかぷかやっている。どうやら景気の良い会社の社長になっているようだ。そんな羽振りの良さがマスコミの話題になって取材を受けている様子だから、しばらく傍観してみよう。

「この会社を始めたきっかけはなんだったんですか」

「ある年の晩秋に北の方の山に登った時にね、吹雪に遭いまして、今生とおさらばバイバイと思った時に犬に顔を舐められました。最後に食べたあんドーナツの砂糖が口の周りについていたようです。それで凍死せずに戻ってきて、その犬もついてきました。利口な犬だったので地元の光兎山に登る人の荷物を運ばせることにしたところが、大変好評で、それから捨て犬も拾ってきて訓練してポーター犬に育てることにしました」

社長になると嘘もつくようだ。

「今ポーター犬は何匹くらいいて、どれだけの山に出張していますか」

「256匹います。県内と群馬と山梨と長野と、山の多い県に配置しています。朝早く登山口に置いてきて夕方迎えに行くので、登山口が離れていても不都合なので」

「一匹一往復5千円とお聞きしましたが、一日の売り上げはどれくらいになりますか」

「5千円×256匹なので128万円ですね、一日。128万円×30日でひと月3840万円ですか。一年で46憶円くらいかな」

「だいぶですね」

「そうだいぶです」

「犬には給料は要らない、ただ働きなので奴隷制度だという人もいますが」

「そうです。犬には一文も給料は出していません。欲しいという犬がいませんから。ただ彼らは生き甲斐を得ています。金より生き甲斐、大概の人間より生きることを謳歌していますよ」

「人間の方の従業員は何人ですか」

「県内3人群馬5人山梨6人長野7人、それにポーター犬養成所TCPDAAに5人、事務員が6人で32人です。すべて正職員で関川村民、給料は東京の一流企業に引けを取らないようにしています。もちろん出張組には出張に見合うだけの手当てを出すので誰もが行きたがります」

「その出張組が長野の更埴の夜の街で羽目を外してポーターの配置や回収を忘れたという話も聞きましたが」

「そういうことはままあります。人間だもの過ちの繰り返しです。そういう場合はすぐ交代します。TCPDAAに入って、逆に犬に教育し直してもらうシステムです。口の周りに砂糖をまんべんなくつけて、犬に舐めてもらうことから始めますね。そして懺悔の値打ちもない懺悔を続けているうちはTCPDAAから出られません」
「すみません。TCPDAAですか、それは何の略ですか」

「トレイニングセンターオブポータードックです」

「最後のAAは」

「僕のイニシャルです」

「はあ、なるほど、それから、ポーター犬の事故も報告されていますが」

「そうですね。昨年の事例だとか雇い主の鼻を齧ったのが1件、他の登山者の手を咬んだのが1件、荷物を落としたのが12件、雇い主もろとも迷子になったのが62件、その他52件、合計128件ですが、全体91136件の0.1%です。それにポーター犬には対人保険を掛けています。犬は喋れませんから事情を聴く手間が要りません。全面的に犬の責任として常に賠償金をお支払いしています。鼻を齧られた75歳の八王子の御婦人には3千万円お支払いしました。その他の中には犬の糞で滑って捻挫したケースもあります。捻挫して歩けなかったので救護のヘリ代、治療費と洋服代もお支払いしました。ですから事故は起きてもトラブルはありません。所詮犬には弁明の余地はないので」

「そうですよね。弁明せずにひたすら生きる、人間も見習いたいですね」

「いや、見習いたくても人間には無理です。犬だからできることです」

「そうですか、そうですね。犬だからできることですか。最後に将来の夢をお聞きしてもよろしいですか」

「そうですね。1年に殺処分される4千匹の犬を全部ポーター犬にして全国に配置することですね」

「なんかすごい儲かりますね」

「はい、愛玩動物として飼い主に媚びてへらへらしている犬を見るのは大嫌いです。犬の本当の意味の自立ですね。犬に投票権があれば私はいずれ総理大臣になります」

「なるほど」