オッド・アイ Tの猫とその一味 第25話「展望台にて」

北岳山行の仮想は難なく終わったが、私はなぜかジョンのことが気になっていた。この犬の事は何度か書いたが、墓は隣集落とを分ける河岸段丘の斜面にある。ジョンの前に飼われていた犬、マリの墓もそこにある。冬以外彼らはそこの畑に毎日連れていかれて、繋いだロープが許す範囲で無聊な時間を過ごしていた。母が倒れてからその畑は分家の叔母が耕作している。昔の面影を残すのは、その一角にあるキューイの棚だけである。晩秋になるとそこになった毛むくじゃらの果実をひと籠叔母は持ってきてくれる。お盆の墓参りの時、ついでに二匹の犬の墓にも母は回っていたが、今や草だらけで墓標も朽ちたであろう。そう思いながら、私は酔狂にも車を停めてその畑へ歩き出した。父が組んだ鉄管のキューイ棚の脇を通った先の斜面に犬の墓があったはずだ。蓬と酸葉と蕗とが生い茂る斜面に足を踏み入れると、大きな青っぽいザックを背負った男がこちらに背を向けて座っていた。私はなぜか池畑さんだろうと思った。北岳での犬のことを気にしてここに来たのだろうが、なぜここにジョンの墓があると分かったのだろう。私が近付く足音にさえ気づかないほど瞑想する風であるので、声を掛けて脅かしてはいけないと思い、傍らの蓬の葉をむしって放つと、風に吹かれて彼の頭にふりかかった。けれども気付く様子はない。更に沢山の蓬をむしって放つと重過ぎて飛ばずに落ちた。

「池畑さん、ここがポーター犬の故郷だと良く分かりましたね」

と声を掛けたが振り向かない。振り向かない代わりに

「犬が人間に生まれ変わることはありません。そう望む犬がいないからです。人間の犬希望は沢山います。犬と猫とパンダが人気です。あの憎たらしい白黒くらい、ちやほやされる生き物はいませんからね。だから多分人間はだんだんと減り、犬や猫とパンダは増えますね。増えたパンダは笹しか食べない面倒な生き物です」

 その声は池畑さんでなく、鼻黒猫だった。

「パンダが嫌いなんですか」

「いや、でも好きではないです」

「ところでここでなにをしていましたか」

「いや、貴方の生まれた集落がここからだと良く見える。ここで生まれてここで死んでいく貴方の人生の縮図を鳥瞰的に見る絶好の展望台ですね。飯豊で言えば二王子か倉手山です」

「生まれた場所と死んでいく場所を俯瞰するのがせいぜいです。それがせいぜいの人生でした」

「死んでいくのに場所はとりません。大の字になっても畳一枚分です」

集落の中ほどからここに続く道に台車を押す父と、それに繋がれた犬が現れた。坂に向かって近づいてくると、その台車に沢山の猫が乗っているのが分かった。意図的に乗せているのか、猫が勝手に乗っているのかは分からないが、この坂道を猫を乗せたまま登るのは無理だろうと見ていると、犬が急に頑張りだして台車を引き、順調に坂を進む。ただ台車が傾くので猫たちは下に方にぎゅっと詰まった。

「帰りはバスが無いのであれに乗って帰ります」

「貴方が乗って動きますか」

「大丈夫です。帰りの期限は無いし、それに動かなくなったら僕も押します」

鼻黒猫が台車に飛び乗ると、台車はズルズルと一旦下がったが、またじりじりと登り始めた。鼻黒猫に押されて猫たちは更に凝縮した塊となった。白と黒と三毛とが混ざった楕円のソファーに鼻黒猫が寄りかかる。大きいタモがあれば猫達を一網打尽に塊のまま捕まえて、それからばらばらに解いてみれば、その中には金目銀目も交ざっているかもしれない。坂道には無数の穴が空いていて、それに落ちないようにジョンは台車を誘導しながら引っ張る。猪が山芋を掘った跡なのか、台車が往来するのを妨げようとして意図的に掘ったものなのか分からないが、父は台車を押すというより掴まっている程度なので、ほぼ犬の力だけで坂を登り切った。多分ジョンはポーター犬として働きながら力をつけ、本業に役立てているのだ。隣集落へと向かう一行を見送りながら、父親の腕時計のバンドが壊れたので直してほしいと、施設から電話があったことをふと思い出した。それは昨日のような気もするし、だいぶ前のような気もした。だいぶ前ならもう直しただろうし、まだなら通販で買わないとならない。手先が自由に効かないので、伸縮式のバンドでないとうまく腕にはめられない。今が何時なのか、それが今や父が自分で見て判断できる全てだ。