人間は人間以外の物に生まれ変わるようだ。蛙とかもぐらとか、植物以外に生まれ変わる。大概は人間というものに見切りをつけてももんがとかあなぐまになる。けれでも中には過誤を犯し、その償いもできずに未練を残した場合、人間に戻りたいと考える。この場合に鼻黒になる。鼻黒になって、前世の己を知ることから始めないとならない。しかし、鼻黒になった所以を前世に探しても、せいぜい分かるのは名前だけで、名字までは分からない。たとえ来世に生まれ変わっても、同じ繰り返しが定めとなってるからで、名字まで分かってしまうと、前世の過ちを繰り返さないとは限らない。つまり馬鹿は死んでも直らない、が輪廻再生の根幹なのである。同じ繰り返しと知っても、なぜ鼻黒は再生を望むのか。私が知っているのは、朝昼晩、仕事の合間に長者平の池塘の傍に来て、前世を思い出そうとする彼らの姿だ。後悔なく生きることは不可能だ。後悔こそが生きる動機になっている。だから鼻黒はその後悔の内実を知りたくて池塘に通うのだ。池塘の周りで彼らは決まって深いため息をつく。思い出しても思い出せなくとも最後は深いため息をついて小屋に戻っていく。そのあと長者平には風が吹く。池塘に写った雲が動き、草原が波打つと、うたたねしていた猪たちも目を覚ます。
