オッド・アイ Tの猫とその一味 第24話「悲しきポーター犬」

漢字辞書が載っていたテーブルは大学に入って二年目、和光市から西船橋に引っ越した時に買ったもので、この後上板橋にも運んだ。そして14年間の東京生活にけりをつけて戻った時にも持って帰った。それが車庫の中にあるのに気付いたのは壁打ちを始めて間もない頃だ。車庫に二階はないが、二階くらいの高さの所に棚を作って農作業の道具を置いてある。四月になると、車庫から車を出し稲の苗を育てる。三百個位の苗箱に先ず土を入れ、種籾をそこに撒き、土を被せて水を掛け、また土を掛けてから温度管理できる育苗機に入れ、発芽するまでの作業を車庫の中でやる。発芽したらビニールハウスに移して育てる。その苗箱とか、ビニールハウスの中を温める七輪とかが多数置かれた中にテーブルと椅子二脚が積んであった。組み立て式のテーブルは卓と、束ねられた脚四本と、Sさんが運転するトラックで運んできたままで、組み立てて使うことはなかったようだ。一番長く住んだ西船橋の時代、多くの友人が座り、肘をついた廉価な家具。命なき物は残酷だ。記憶を留めて、後始末を求めている。

その下で老犬は16歳となる。生年月日は知らないが、母が倒れ、その半年後に親子の犬が相次いで死んだ後に買ってきたから、おそらく母が寝たきりとなった年月が犬の年齢だ。私から見てこの犬の欠点のひとつは体を洗う事を極端に嫌がることだ。夏の暑い日、年に一度くらいはシャンプーをつけてジャブジャブと洗ってやればどんなに爽快だろうと思うけれど、殺されそうな悲鳴をあげて必死に抵抗する。年に一度の狂犬病予防注射の時も私は何度も手を咬まれたが、注射は一瞬で終わるからなんとかなるが、洗うのは諦めた。だから少なく見積もっても犬小屋生活になってから一度も体を洗っていない。よってとても臭い。

ただ、「ボヴァリー夫人は私」なら、犬は私だ。つまりは、厭う人間の中にさえ私がいる。

広河原から先の山行が気になるところだが、実際は予定していた七月三連休の山小屋の予定が取れず(予約開始初日に既に満杯だった!)、北岳は今年も行けなくなった。私は三度登っているから固執していないが、何年も前から石松さんの目標になっている。確かに山は逃げないが、人は年々歳を取り、体力は衰える。平日の山小屋なら空いているのだろうが、子守があって無理らしい。仕方がないので想像の中で彼女を登らせることにする。

今年北岳山荘は改修工事で閉鎖しているが、空想なので2日目の宿泊はそこにする。北岳まで遠征して、横に並ぶ3位の高峰に登らないのはもったいない。もちろん現実を反映して肩ノ小屋の宿泊でも良いが、間ノ岳まで行って戻る距離が長くなることと、最終日に八本歯のコルから大樺沢へのルートを通れないのも残念だ。朝食は弁当にしてもらい、御池の小屋を5時に出た。御池の周りにはテントが隙間なく張られ、その脇を通ると背丈ほどの草むらの中に登山道が続いている。そして急坂の草スベリになる。ジグザクに切られた登山道に我々のパーティが登っていく。人数が多いので、先頭から確認すると、池畑会長、石松さん(本名石頭銀子/いしづぎんこ)、犬、田町さん、鼻黒猫、Y、夏元、綿野舞さん、そして私。田町さんも鼻黒猫も小屋に泊まれたようだ。それにザックも担いでいる。自分の物かどうかは後で聞いてみよう。明るくなってくると、犬がザックを背負っていて、石松さんが空身であることが分かった。犬をポーター代わりに雇ったのだと思ったが、更に陽が昇ってくると、その犬が二代目のジョンに見えた。野良犬の親子が飼われたことで、不幸な晩年を送った犬。茶色で、顔には眉毛が黒々と描かれている。母が悪ふざけてよくそんなことをしたのだ。確かにジョンなら自ら荷を負ったのかもしれない。不本意だった半生の悔恨のため、その贖罪のつもりで参加して、思いがけず荷を背負うことになった、そんな推測をした。全員汗だくになってこの草スベリを登ること三時間、ようやく尾根に出ると、その展望に歓声が上がる。いきなり目に飛び込んでくるのは仙丈と甲斐駒だ。甲斐駒の右奥には八ヶ岳、甲斐駒と仙丈の間の奥に北アルプスの山並みが見え、目を凝らすと尖った槍が確かに分かる。仙丈の左奥に中央アルプス。そして北岳へと続く尾根の左手の雲の中に富士が!振り返ると鳳凰三山。観音、薬師、地蔵のオベリスクの尖塔がくっきりと立っている。想像だとしても、ここまで見えれば申し分ない。石松さんは鳳凰三山以外すべて登っているから、そのひとつひとつを教えてあげようと彼女の方に近づくと、そんな景色に背を向けて犬に背負わせたザックから弁当を取り出し開くところだ。それを見て他のメンバーもザックを下ろし弁当を出した。朝食用の弁当だからもっと早く食べるべきだったのだが、急坂でそんな場所も無かったのだろう。鼻黒猫は見た目人間だから普通の弁当だろうが、犬はどうなんだろう、犬用があるのだろうかと見ていると、犬は器用に弁当を手と鼻で広げて食べ始めた。近付いて中身を見ると、隣の石松さんと同じだ。お稲荷と海苔巻き、おかずは鮭、卵焼き、コロッケ、唐揚げ。好きなのか、それとも食べないと登れないと思うのか、どんどんと食べる。石松さんが自分の唐揚げを犬の弁当に入れると、すぐそれも食べる。

「この犬は石松さんの犬ですか」

「違うわよ。御池の小屋のポーター犬よ。私今朝雇ったの」

「へえ、一日いくらですか」

「出来高払いよ。音を上げて逃げた場合お代は無料だし、全うしたら一日6千円よ」

「でも帰りは御池の小屋は通らないけど」

「どこで放しても自力で小屋に戻るそうよ。雇われた登山者になついて家までついて行って、そこで一年過ごしたこともあるそうよ。私の家は猫がいるからだめだけど」

「次の小屋ではどうしますか。小屋の中には入れないでしょう」

「入れるみたいポーター犬は。足元に潜り込ませればあんかになるし、頭の位置なら枕になるの。それ込みで六千円よ」

「へえ」

私はポーター犬に関心を持ち過ぎて弁当を広げる時間も四囲の山々を説明する時間も失くして出発した。そして一行は肩ノ小屋を通り、北岳山頂に立った後、1時間でその日の宿、北岳山荘に到着。荷を置きサブバッグを担いで2時間後間ノ岳頂上を踏んだ。三度の間ノ岳で眺望の良かったことは無い。最初は風雨、おまけにまだ残っていた雪が硬く凍っていて転び、カメラの先端を岩にぶつけて、以降ずっとフィルターが外せない状態となった。二度目は頂上の看板だけを写している。多分雲の中で真っ白だったのだろう。三度目Yと来た時は辛うじて農鳥まで見えたが、他は湧き上がる雲に隠れてしまっていた。だから今回ばかりは(征平さんの言葉を借りれば)恥ずかしいくらい丸見え、だったことにする。但し、描写は割愛、農鳥の向こうに塩見、そして荒川三山、赤石と見えたとだけ言っておこう。最後尾を歩きながら、そして空腹を紛らわすためビスケットなど齧りながら、私はなぜジョンがポーター犬に転身したのかを考えていたが、ビスケットぐらいでは空腹は満たされず、納得できる推測もできなかった。北岳山荘ではポーター犬の扱いは特別で、暖かそうな毛布の中央に犬が横たわると、頭だけ出して四方から包み、それを今度は大きなバッグに入れた。小屋の中では犬の歩行は禁止だということで、池畑会長と綿野舞さんと夏元の三人でバッグから頭だけ出した犬を石松さんの寝床まで運んだ。そんな面倒なことをするくらいなら外で繋いでおけば良さそうなものだが

「あんかと枕の役目を果たしてポーター犬です」と管理人は言った。ポーター犬の仕事はここ北岳一帯では周知されているふうだった。

石松さんはマニュアル通り、最初あんかにして足元に置き、やがて頭まで転がして枕にした。こうして使いこなせば六千円も高くないのかもしれない。

夜中用を足しに起き、受付の前を通る時、薄暗がりに人が居て、本を読んでいた。その足元にバッグがあって、そこに足を入れている。

「雇い主が熟睡したら管理人のあんかになります。ポーター犬は人の役に立たないと死んでしまいますから」

「はあ、そうなんですか」

「沢山の後悔を残すと、人の荷物を背負いあんかになったり枕になったりしなければなりません。お気をつけて」

寝床に戻って石松さんの方を見ると、やはり枕をしていなかった。足元の方に犬の膨らみもない。多分彼女が目を覚ます前にポーター犬は毛布とバッグを咥えて戻り、布団に潜り込むのであろう。ポーター犬に安らぎの時間は無い。

翌三日目も快晴、小屋の正面に昇る朝日は富士を徐々に赤く染めてテント泊の人、小屋泊まりの人のため息を誘ったが、石松さんは生きたあんかから離れられないようで外に出てこなかった。北岳のトラバース道を通り、八本歯のコルを越え、正面に鳳凰三山を見ながら、そして時々バットレスを見上げて、花の盛りの大樺沢を下る。ポーター犬が担ぐザックが昨日より膨らんだように見えるのは山荘で買ったお土産を入れたせいであろう。石松さんは今朝もTシャツを見ていた。自分と孫二人のと三枚買ったに違いない。大樺沢は花の名所だ。以前Yと来た時、花の多さに圧倒され、特にミヤマハナシノブの可憐さに浮かれてしまい、足元も良く見ないで写真を撮り崖から滑り落ちてしまった。そのコバルトブルーの花が群生する二股で早い昼食をとり、1時過ぎ広河原に戻った。そこからバスで芦安まで行き、車で5時間無事関川村に戻った。石松さんは宿願を成就した達成感でバスでも車でも熟睡していた。もっとも来る時も大概寝ていたので達成感とは関係ないかもしれない。その様子から察して、広河原で別れたポーター犬のこともすぐに忘れてしまったのだろう。首からぶら下げた袋に二日間の手当て1万2千円を入れてもらったポーター犬は、広河原山荘前から振り返り振り返りしながら御池小屋へ続く道を帰っていった。その姿が私は忘れられなくて、もし本当にジョンならば、なぜ犬にまた生まれ変わったのかと、改めて思ったのである。