オッド・アイ Tの猫とその一味 第十一話「鼻黒猫の偽スキップの巻」

高級葡萄の最後の一粒が私の口に運ばれる頃、私は一つの推論をまとめ上げた。名前と容姿からして宮尾宮子は鼻黒猫の化身だろう。化身ができるなら葡萄を買うぐらいの金の工面は容易だろう。社長になっても良し、銀行員に化けるのも簡単だ。ただ、原付でしか移動できないのが難だが。それから、なぜ私に特許の取ってない特許、オッドアイ回しを教えたか。多分私にオッド・アイの喉につかえている玉を取ってほしいからだ。三匹回し削除の依頼はあくまで口実に過ぎないのだろうから、そのままにしておけばまた葡萄を持ってやってくるだろう。

 すると案の定、次の日に私を訪ねる者があった。

男は髪はぼさぼさだったが、きちんと黒のスーツを着て、受付の前に立っていた。そして差し出した名刺には「猫股木薬局取締役宮尾宮雄」とあった。先日の宮尾宮子と同様の紙袋を持っているのを見てから事務所に招き入れると、彼は小さくスキップをしながらついてきた。猫はスキップができないというのは先入観かもしれないが、人間らしく見せようとして習得した技なのかもしれない。
「先日も宮尾宮子さんという女性が来られましたが、同じ要件ですか」
「えっ、宮尾宮子ですか。宮尾宮子、宮尾宮子・・」

「ここへは原付バイクで来られましたか、それとも車ですか」
「いえ電車で参りました。下関駅まで電車で、そこからは歩いて」
「ずっと小粋なスキップを踏んでここまで」
「そうです。スキップは癖です。嬉しいとか楽しいとか感情に関わらずスキップで歩くのが癖になっていまして」

「疲れませんか」
「慣れてしまうと普通に歩く方が疲れます」

「でも人目が気になりませんか」
「ええ。でも駅からここまでは誰にも会わなかったです」
「しがない村のしがない資料館ですからね」
「はい、そうお聞きしております」
「で、ご用件は」

「あっすみません。これを館長さんに届けるようにと言われまして」

宮尾宮雄は紙袋から箱を出した。期待通り菅井農園の葡萄である。
「どなたの御指示ですか」
「社長です」
「社長さんというと」私は改めて名刺を見ながら「猫股木薬局の社長さん」
「そうです。浅間朝夫です。では私これで失礼します」

「えっ、もう帰られる」
「はい、これをお届けするだけでしたので。それにタクシーも待っているはずです」
「え、タクシー。やはりスキップは疲れるんですね」
「そうではないんですが、尾行されないようにだと思います」
「尾行ですか。尾行されることがあるんですね」

「はい、尾行と鼻炎に気をつけるように常に言われています。それに尾籠な話はしないように」
そう言って鼻黒猫男(彼も鼻黒であった)は出ていった。私は尾行するつもりでタクシーの去った方向を確かめ、自分の車で後を追ったが追い付けず、駅舎の待合室も見たが彼の姿は無かった。
 私は先日と同様、ひと房の緑色の葡萄を机上に置き、一粒二粒と口に運びながら二人の訪問について考えていた。彼らが尾行ばかり警戒しているのはなぜだろう。それが分かるまでは三匹回しの記述はそのままにしておこうと。それにしても彼らが持参したシャインマスカットは一粒がゴルフボールのように大きい。そして頗る美味しいので、閉館して田町さんが帰ってからも食べ続け、ついには満腹になって動けず、ひと眠りしなければならなかった。それが宮尾宮雄の作戦だとも知らずに。

 私が目を覚ました時、残暑の西日が事務所のブライドから漏れていた。庭で遊ぶ子供たちの歓声が聞こえる。ここの庭には天気の良い夕方になると小学生や子供連れの親子が来て、ブランコや滑り台に興じる。私はその数名の子供を誘導してコイの餌やりやガラス磨きをさせるが、今日は勤務時間をとうに過ぎていたので、速やかに帰ろうと館内の巡回を始めた。すると、一番奥のラウンジの窓から外を歩く男が見えて、それは先ほどの宮尾宮雄であった。スキップをしている方が楽だと言いながら普通の足取りで歩いている。私は急ぎ足で玄関に行き、何食わぬ顔で待った。そこにスキップしながら宮尾宮雄が姿を見せ
「おやおやまだお帰りでなくて助かりました」
という彼のスーツは草だらけだ。

「どうしました。忘れ物でも」
「いや、ひとつ大事なお願い事があったのを忘れていまして」
「というと」

「金色銀色から私の過去を取り戻してほしいのです」
「私が、ですか。どうして私なんでしょう」
「私が知る限り金目銀目と向かい合って過去と未来を取られなかったのは貴方ぐらいです。大概くるくる回って過去も未来もない猫か人間に変わります。貴方はくるくる回りもしなかったし、猫にもならなかった。取られるほどの過去も未来もない特別な人間と推定できました」

「あっそう」
「もし私の過去を取り返してくださったら、これから毎日九月いっぱい菅井農園のシャインを持参するでしょう。菅井農園のシャインはご存じのように食べている間はどんな屈託も忘れるほど美味で、屈託が多いほど止められなくなり、ついには腹いっぱいになって眠くなるという代物です。先ほどは失礼ながら貴殿の姿を窓から拝見していましたが、全くその通りの様子でした。なかなかお目覚めにならないのでここらを散歩していた次第です」

だいぶ芝生で寛いでいたらしい。それで草だらけなのだ。

「なるほどね。分かりました。それでどうやったら貴方の過去を取り戻せるのですか」
「過去と未来はセットなので、両方取り戻してください。それはまず金目銀目を見つけたら大きいバケツを目の前に置きます。バケツの中には封筒を一枚入れて置きます。金目銀目は臆病なくせに好奇心が強いからバケツを必ず覗きに来ます。そして手紙が入っていると分かると、自分宛でなくても必ず見ようとしてバケツに入ります。そしたら蓋を閉めてください。そして蓋の隙間からこれを入れてください」
「何ですかこれ、手紙ですか」
「いえ、中に私の頭の毛が沢山入っています。これを金目銀目に振り掛けるようにして中に撒いてください」
「はあ、そうするとどうなりますか」
「金目銀目は反省して私は元に戻れます」
「すると貴方は猫なんですか」
「そうです。本当ならこんな事をしている場合でない猫なんです」

「どんな猫なんですか」

「鼻黒の虚しい三太郎と云えば確かに私のことです。猫に戻っても一生恩に着ますよ」
「そんなに猫に戻りたい」
「はい。猫界は簡単で良いです。こんにちわとさよならの挨拶と、似たようなものだ、で片が付きます。似たようなもんだ、と言えばそれで終わりです」
宮尾宮雄はそう言って背を向けた。そしてスキップしながら去ったが、振り返って私が見ていることを確かめるとまたスキップして進んだ。多分私が見ていなければ普通に歩くのであろうが、私は敢えて見えなくなるまで見ていたので彼は大変疲れたであろう。鼻黒猫にはスキップが似合う。

それにしても、猫界での私の評価は人間界より一層低いことが分かったので、金目銀目によって猫にならなかったことにほっとした。