オッド・アイTの猫とその一味第53話「能天気が一番」

私はY似で猪使いの巫女を起こさないように、静かに、そして速やかに五人分の朝食を準備した。猪が串刺しの丸焼きになって、Y似で猪使いの巫女の朝食となるのを避けるためである。食事といってもお湯を沸かしてアルファー米(乾燥した米)の入った袋に入れるだけなので手間はない。そしてお湯を注ぐだけのスープと。アルファー米は様々あるが、エビピラフと赤飯、五目とわかめと山菜の五つにお湯を注いで、赤飯をY似で猪使いの巫女にやることにした。お気に召さなければ猪は丸焼きになる。

「ありがとう。遠慮なくごちそうさま」

先ずは一安心ということだ。玄関先で寝ていた猪に朝食を運ぶと、さっと起きて食べ始めた。未来のことを考えてくよくよしない、のは能天気の長所であろう。

荷物をザックに入れて出発の準備をしていると、Y似で猪使いの巫女と管理人のSさんの話し声が聞こえてきた。猪の命運を左右する会話は次のようなものである。

「猪を預かりますよ。もう二匹捕まえるまで預かります」

「でも食べるでしょう。一匹追加で連れてくると一匹食べて、ずっと三匹貯まりません」
「ぐるぐる巻きにして小屋の柱に縛り付けますが、暴れて逃げようとした場合は丸焼きにして食べます」

「今回は連れていきますわ」

どちらになっても変わらない猪の運命だった。そんな明日をも知れない猪を先頭にして私たち5人は出発した。猪を繋いだロープを持つのは郵便夫、続いて郵便夫H、続いてY似で猪使いの巫女、私の順番で梅花皮岳を登る。すると郵便夫Hの尻の膨らみが気になるのか、Y似で猪使いの巫女は藪叩きの長い棒の先で突いたり押したりするようだ。但し、遠慮は無く、私がしたように登るのを助けるという体は取らないので

「やめてください。あまり突いたり押したりするとズボンが破けます」

「ではなぜそんなに膨らんでるの。何が入っているのか分かったらもう突いたり押したりしないけど」

「ここには羞恥と矜持が丸まっています。異形な尻尾なので隠しています」

「それはますます見たい!見たいですねえ」と言ってY似で猪使いの巫女は更に突いたり押したりした。

「それに手紙も入っています」

ズボンが破けて手紙がこぼれ、風に飛ばされて谷底に消える、私はそんな事態を恐れて順番を変えた。Y似で猪使いの巫女が先頭で、次に猪、そして二人の郵便夫。Y似で猪使いの巫女がしがない工場のしがない労働者Yなら、先頭を任されたらすぐ、どんどんと歩いてすぐ遠ざかるのだが、Y似で猪使いの巫女は棒で藪を叩いて猪を探すのに余念なかった。その棒で引きちぎられたハクサンシャジンの一茎を拾い、私は梅花皮岳の三角標石に載せた。

振り返ると眼下に今出てきた梅花皮小屋、その小屋を足元に置いて屹立する北俣岳が視界を覆い、右に空いた空間に水平な梶川尾根が伸びて、その先に続く山影の中に三角形の光兎山を同定することができた。父が晩年、一度は光兎山に登りたかったと言ったことがある。毎日見てきた山、いつでも登れるつもりでいて、その時にはもう登れるような体力は無かった。暮らしに追われ、余裕ができた頃に母の介護が始まり、そして介護されて終わった一生。期待を裏切り続けた私は石転びの深淵を覗いたが、その核心は藪に隠れ、門内の出会いの辺りから白く輝いて温水平へ続くのが見えるだけだった。口に含んだキャラメルはまだ溶け切らなかったが、先は長いので促して出発した。

「烏帽子岳に着いたら休憩しましょう。そこまで花の名前を七つ覚えてください」

これはタテヤマウツボグサ、これはウサギギク、これはヨツバシオガマと声に出して言って、ふっと目を上げると、前を歩く人数が増えているのに気付いた。