幾人かの人と約束とも言えない約束をしてきたが、どれもこれも、なに一つ果たせていない。どれもこれもなにひとつ。長者平の池塘には夏の雲の中にイワイチョウが咲く。それを見ながら思うことは、生き方を変えた彼らの消息さえ知らない私とは何者かということ。傍のくさわらで鼻黒や猪が寝そべっている。彼らは半日分の水汲みをすると昼までここで寝て、小屋に戻る。昼食の後、しばらくここで寝てから午後の水汲みに出かけ、それが終わるとまたここに来て、夕方まで寝て過ごす。そして夕食後はまたここに来て、夜の帳を纏って眠る。百人の鼻黒郵便夫が小屋に泊まって、小屋からはみ出した分が長者平の草原を寝床にしてから始まった習慣。生来怠け者で、なるべく楽な過ごし方を選ぶが、これは目的無く生きる者の、とても自然な在り様である。最初はそう思っていたが、彼らは彼らなりに目的を持ってここに繁く通うのである。池塘を覗くとそこに前世の自分が映るのだと言う。空だけ、雲だけ、そして草の葉だけ写っていると、それは見上げた空の色でなく、雲でもない。いつかどこか、その下で生きた日の空なのだ。そしてずっと見ていると一瞬人が現れる。最初は驚いて周りを見るが、誰もいない。池塘に佇む自分だけ。前世の因果で鼻黒になり、その前世を忘れることが代償なのに、なぜ前世のたよりを求めるのか。池塘のみなもに映る人は今の自分かも知れないし前世の自分かも知れないし、前世で関わった誰かも知れないが、風が吹くと消えてしまう。風が吹かなくても消えてしまうが、夢の中に現れることもある。忘れた約束を思い出すようにと。
と同様時々池塘を覗くのは、思い出せない後悔を思い出そうとしているのか、おのがじし顔に後悔を読み取るのか。夏のあとに夏が来る。同じ繰り返しに厭いた時、私らにもはや桃源郷は無い。
