オッド・アイ T の猫とその一味第63話「飯豊連峰備忘録」

これは前に書いたかもしれないし書かなかったかもしれない。それほどこの小説は長いものになってきたし、もっと長いものになるだろう。忘れたって構わないし、忘れることも大事だ。だから飯豊連峰の概要を昔書いた文章で紹介する時間を頂くこととしよう。

 

「四十半ばで行き詰って、ふと昔を思い出して山登りを始めた。東京に居た頃友人に誘われるまま山梨や長野の山に年何回か登っていた。駅から登山口まで一日掛けて歩くようなストイックな登山で、水場を求めては幕営する気儘な山行でもあった。再開して数年は単独行、ひと月に十日山に登ることもあった。飯豊に登ったのは二年目、杁差岳の頂上で見たタカネナデシコを自然に生えた花だとは思えず、誰かが植えた園芸種だと思うほど花には疎かった。その後気の置けない仲間と登るようになったが、独りは修行、徒党を組めば娯楽だと思っている。日常を背負って喘ぎながら登ることに変わりはないが。

飯豊連峰は新潟、山形、福島三県に跨って南北に連なる山脈で、主峰は飯豊山2,150m、大日岳を最高峰として2,000mを越える山々が連なっている。日本海に近いため冬は豪雪となり、真夏でもあちこちに雪田雪渓がある。稜線にはテント場を隣接する八つの避難小屋があるが、基本寝具持参の自炊である。深田久弥の「日本百名山」にも名を連ね、花の多い山としても有名であるので、山岳誌の人気アンケートでは例年上位となる。四つの登山口がある飯豊温泉の駐車場は夏の週末には全国からの車で溢れるが、大概は行き交う人も稀な静かな山域である。そんな山に近くの我々が登らないのは浦安に住みながらディズニーに行ったことがないようなものかもしれない。おまけに山は無料である。

苦しい息抜きが登山だが、特に飯豊はどこから登っても登る人の覚悟を問うような、いきなりの急坂で始まる。重いザックを担いでの登りは、「山登りは日常を忘れさせてくれる」と云いながら終始世間話に余念がない人さえも黙らせる。しかし苦労して辿り着く稜線はさながら桃源郷のように登山者を迎えてくれる。延々と続く雄大な緑の稜線、風の吹き渡る草原に色とりどり花々が咲き乱れる。

雲の湧く稜線に私の桃源郷がある

どんな感傷も許される場所

歩けなかった道も

再びは会えない人も

花のように

風のように

やさしい

どんな思いも

残雪に光る雲のように

眩しいだけ

 

永劫と刹那は、岩稜に人が連なる山では感じることのできない感覚だ。

御沢から入って大石に下る縦走をした際、送ってくれたのも迎えてくれたのも横山征平さんだった。登れるうちに登った方が良いと、送迎を買って出てくれたのだ。最終5日目、西俣のへつりの先で冷たい飲物を沢山持った彼が待っていた。2時間も歩いて迎えにきてくれたのだ。それから6年後の2012年の同じ8月、同じ西俣で彼は命を落とした。沢山の事を彼から教えてもらったが、登れるうちに登ることだけ忘れないで守っている」

 

もしもこの一行に彼がいたなら、猪なんかはY似で猪使いの巫女よりも早くとっくに丸焼きにして食ってしまったろうか。酒の飲めない征平さんにノンアルだと言って注いだビール、「最近のノンアルは結構酔うね」と顔を真っ赤にして猪の肉を切り分けするのだ。

「そんな地形図は役には立たないからそのまま貼っておけばいい。昔は俺も地形図を大事に持っていたけれども、こんな結末はそれにはなかった。明日の事は分からないと思っていればそれでいいこと、それ以上のことは人間できない」

 

8月30日、征平さんの命日も近い。