オッド・アイTの猫とその一味第46話「水場の秘密」の巻

前世も現世も不十分に思われた猪であったが、水汲みに行こうとする私に進んでついてきた。つまり、逃亡すれば単なる猪となり、Y似で猪使いの巫女の捕獲の対象となるが、ここにいる限り蟹券とその命を交換した猪であるから安全は保障されていると、充分でない頭で考えたのであろう。滑っては転び転んでは滑って、最後は特に急なのでドボンと落ちて水場を濁したが、水場の前はどんな炎暑でもひんやりとした空気で気持ちが良いので、水が澄むまで待つのは苦でなかった。きりりと冷たい水を大五郎に注ぐ間、脇で猪はゴビゴビと水を飲む。浮いている葉っぱや小枝をその鼻先に誘導してみると、それも一緒に飲み込んで、やっぱり猪も人間同様むせるようだ。登りは下りほど苦手ではないようなので、さっきは首から下げてずり落ちた縄を口に咥えさせてみた。そして傍に咲くタニウツギを折って、その枝で尻を叩くと這い上がる態度を見せた。この畜生も畜生なりに、自分の立場を多少なりとも理解している。Y似で猪使いの巫女の串刺しから命拾いして、ここで生きていくためには何かしらしなければならないと感じているようだ。尻をさんざん叩かれてなんとか小屋にたどり着くと、こてんと仰向けに倒れて喘ぐ。彼が運んだ二本のうちの一本をバケツに注いで鼻先に置くと、むくっと起きて一気に飲んだ。そこに猪とヒメサユリの探索に長者平に行ったY似で猪使いの巫女が戻ってきた。

「朳差から三国岳の主稜線を一日走っても捕まえられる猪は多くはありません。走り過ぎる私をやり過ごしてから活動するからです。ですから私は三匹セットの団子を目立つ場所に立てて警告するのですが、この頃は効き目も薄れました。長者平もヒメサユリの数は年々減っていますね」

私もう一本の大五郎をY似で猪使いの巫女に渡した。飯豊連峰保安局と言うのであればたとえ嘘でも丁重に扱わなければならない。

「ここの水場の水は飯豊の中でも一番冷たくて一番美味しいです」

役場職員であり長年この小屋の管理をした私と同年の故TK氏によれば、ここの水が殊更美味しいというならそれは、トイレに排された糞尿が数億年前に形成された硬い岩盤によって何年も掛けて濾過された結果だということだ。だがこの事は推論に過ぎないと解釈して、その水を飲むものに話すことは控えている。そのトイレの脇のニッコウキスゲが揺れている。三十六計逃げるにしかずというから、猪はそうして生き延びてきたのであろう。

「今日はここで泊まりますか。泊まるなら食事は提供しますよ」

「ありがとうございます。でも今日は門内の小屋に泊まります。そして明日、飯豊連峰保安局特命主任は休暇を取って下山しますわ。下山して寺泊の蟹を食べますわ」

そう言ってポケットからカニコウモリの葉を出して、三枚あることを確認し、またポケットに押し込んだ。

「もし、途中で郵便夫に会ったら確かに読んだと伝えてください」

「分かりました。まだ死んでなかったらそう伝えます。この棒を雪に突き刺して進めば見つかるかもしれません。でもそれは運が良い場合です。大概は春になって雪が解けるのを待つしかありません。ここらの春は5月の終わりですね。その頃になると光兎山のユメサユリは咲き始めます」