オッド・アイ Tの猫とその一味 第九回「両手も回せない」

 例の猪が例の襟巻をして前を歩いている。気に入って巻いているのだろうか。それとも一味の証みたいなものだろうか。猪に毛の襟巻はいかにも暑苦しいので

「それは君、仲間で流行の襟巻か」と聞いてみた。

「欲しいのか、欲しければやるぞ」

猪は先を急いでいるのか振り向きもせず答えた。
「欲しくはないがちょっと触らせてくれないか」
私は襟巻にはたいして興味は無かったが、以前見た背中の烙印を確認したかった。しかし、猪はそれを背中で感知したらしく更に足を速めた。そしてだいぶ走ってから振り返り

「やなこった、触りたかったら触ってみろ」と大声を出す。私はむかっとしたが、猪に本気で腹を立てるのも馬鹿馬鹿しいと怒りを抑えた。すると猪は間隔が空いたことで安心したのか歩を緩めた。どうせ追っかけてはこないと高をくくった態度が気に食わないので、足音をたてないように速足で近づいていくと、気配を感じて道の脇の草むらに逃げた。腰くらいの高さの草むらで、猪とすれば自分の姿が隠れると思ったのだろうが、それは畜生の浅はかさで、猪が歩くと草は倒れて道ができ、私は容易に追跡することができた。しばらくすると疲れた猪は振り返って言った。

「猪の道を歩けば猪になるよ」

私は気付いていた。最初見えていた草原の中に咲く花が見えなくなり、だんだんと草の中ばかり見えてきたから。そして見えるはずのない自分の鼻先、それも毛むくじゃらのやつが視界を遮っていたから。
「人の価値は歩く道で決まってしまう。だからもう君は能書の多いただの猪だ」
私は悲しい気持ちで、引き返せるうちに引き返そうと思った。まだ時間があるかどうか分からないが、元の道に引き返そう。

「君のようにいたずらにプライドの高い人間は猪になった方が楽だろうよ。今日までできなかったことは明日からもできない。希望を持つのは言い訳のためだ」

口数の減らない猪には腹が立ったが、今やこの猪と同類なのだと思うと更に悲しく、切なくなった。だから反論する気持ちも失せた。両手を回して帰りたい気分だったが、四つ足となってはそれもできない。希望を持つのは言い訳のため、という言葉が身に詰まった。

「君は二級の猪だ」

という言葉を、猪は私の背中にぶつけたが、猪の中でも二級なのか、猪全体がなにかの二級になっているのか、収蔵庫の中で考えていた。

分かっていることをずけずけと言われることは最も不快な事だ。今度は猪の口にクサギの木を咬ませてマンサクの枝でぐるぐる巻きにしてやろう。長い胴体と一緒に短い脚もマンサクでぐるぐる巻きにしてやろう。しかし、マンサクの木は高い山には生えないから、荒縄を一巻、担いでいくのが現実的だ。