新潟シティマラソン2022

9月23日のハーフは白鷹町、蚕桑(こぐわ)小学校がスタートとゴールで田園、山間を走る長閑なコースだった。1:52:42の為体の結果だが、昨日の新潟マラソンの結果を想うと、この「ていたらく」が普通になりつつある。白鷹のハーフはキロ5:20。フルの以前のタイムより遅いが、それがせいぜいの頑張りであった。新潟は20キロ過ぎてから足が攣って、後半はほとんど歩いた。ちょっと走ると攣って、を繰り返しキロペースは10分、今までにない苦しいレースで、歩いてもマラソンと言えるのか、そんな事を思いながら救護のバスを探して後半20キロが過ぎた。

因みに私より練習していないYはせいぜい半分の20キロが限界でリタイヤ、バスに乗ってゴールに戻って「佐藤の焼餅」(並べば何個でも食べられる)でも美味しくいただいているだろうから、私の方が5時間も6時間も掛けて遅くなって、あんまり太らせても悪いと気になってはいたが、仕事中のイメージトレーニングが功を奏してか5時間52分で完走してきた。全く歩かずの完走で、すんでのところで私が抜かれるところであった。最後はゴボウ抜きしてきた、とやや興奮気味であったが、キロ8分で走って「ゴボウ抜き」というのは「ゴボウ抜き」のイメージにはかなりそぐわない気がする。

Yのことはともかく、四年振りのフルマラソンで、体に耐性がないこともあるが、なんといっても練習不足、フルに出るには圧倒的に練習量が不足している。たまたまマラソン前の一週間、体育館が使えず、週二回の夜のバドミントンができなかったのだが、このバドミントンがないと急に暇になって、直前に走り込むというわけにもいかず、以前はランニングが中心であったことをつくづく思った。二つのマラソンの間に一泊の登山が二回、白馬と朳差。荷を背負っての長時間の行動だから、多少マラソンの役に立っているとは思うが、とても些少なのだ。やはり走ることの地力は走ることでしか培えない。

フルの記録は2015年のこの大会の3時間35分台が最高で、その後新発田と五泉で38分台で走っているが、それからは4時間さえ切れないレースが続き、コロナで大会も中止になると練習のモチベーションも持てなくなった。ようやく昨年秋から大会が再開され始め、魚沼のハーフには出たが、今年前半の村上元旦10キロ、笹川ハーフは開催されなかった。四月と五月の白根と燕のハーフはいずれも15キロ過ぎてからの膝の痛みで失速した。その点白鷹も新潟も膝の痛みが無かった分だけ改善されたのかもしれない。

私のような生涯老成できない人間は、やはり大会目標でないと練習できない。だからなるべく多くの大会にエントリーして至近の大会のため練習するのが、練習量を増やす唯一の手立てだ。

今年はこの後11月の魚沼が最後。多分来年は全ての大会が予定通り行われるだろうから、元旦、新潟、笹川、五泉、燕、東根、白鷹、新潟、魚沼に加えてもう一本、10大会出場を目標に精進しよう。