このままのスピードで(W氏の走歴)

渡辺さんがマラソンを止めると聞いてだいぶ感傷的になった。しかし、診断の曲解だと分かって、走ることを続けることになった。止めると聞いて書くつもりでいたブログは、これからの彼へのエールになると思い、載せてみる。少なくとも私へのそれにはなる。「渡辺さんが健康上の理由でマラソンを止めると言う。無論命を削ってまでやることではないと私も思う。渡辺さんが私たちと共にレースに参加してくれるようになったのは2014年からだから、ちょうど去年で10年となっていた。前年に阿賀北山岳会の会員となり、一緒に槍ヶ岳に立っている。マラソン大会の参加も誘うと二つ返事で了承してくれて、その年6月の東根マラソンからデビューした。学生の時空手をやっていたというから元々体育系の血も流れている。それからドームに練習帳を置くようになったが、月間、年間の走行距離が一番多かったのは大概彼だった。その甲斐も無く、大会前に故障したり体調を崩したりして、実力を発揮できる場面は多くはなかったが、常にボクシングでいうところのファイティングポーズ(空手でなんと言うか分からないが)をとり続けてきた。10年前ということは68歳だろうか。今の私より二つ上でマラソンを始めたわけだけれど、それが今の私には考えられない。60歳を過ぎてからの私は年々練習も難儀になり記録も落ちているからである。68で始めた10年間の、気力と体力は驚嘆すべきものだったと今更感心している。彼が走るのを止めて、なにかひとつの時代が終わったような、一抹の寂しさがある。一緒の大会に出ても一緒に走るわけではないので、登山の時のように写真を撮ることはできなかったが、その中から選んで、走り続けた彼の健闘を讃えたい」

最初のマラソンは2014/6/8東根ハーフ。東根は登山と観光を兼ねて二泊で行くのが恒例だった。東根小学校にある国指定特別天然記念物の大ケヤキ。樹齢1,500年で日本一の大きさ。

東根は自衛隊中央病院がスタートゴールで、テントを張るのが恒例

大会後の昼食

宿を天童高原キャンプ場に移すも、翌日は生憎の雨。

面白山登山は止めて散策

帰り道、楢下宿観光

その年二つ目は湯沢コスモスハーフ。

2015年元旦マラソンの激走

2015年東根ハーフのハーフの前日、朝日町の大沼の浮島(国指定名勝)見学

マラソン後、この年も天童高原に向かったが、坂道で車が故障し動かなくなった。その車を直しにやって来たのは大きなトラックで、それに車を乗せて運んだわけだが、我々を故障した私の車に乗せたまま、天童高原のキャンプ場まで運んでくれた。翌日は快晴で、昨年登らなかった面白山登山、下山すると修理を終えた車が届いていた。

2016年元旦マラソン

2016年笹川

2016年笹川

 

笹川ハーフのゴール直前

笹川ハーフの待機場所は旧小学校

2016年東根の後は月山登山。志津のコテージに泊まった。

まだ残雪多い月山、夫婦はロープで結ばれている。

2018年雨の笹川ハーフ、スタート前

2018年東根マラソン

2018年東根の翌日は東黒森山

2019年雪の元旦マラソン

2019年笹川ハーフゴール直前

2019年東根ハーフは、大江町大山自然公園のコテージに二泊、ヒメサユリが満開

2023年白根、ゴールまであと少し、後ろから追走する年配の婦人

2023年白根、直前に年配の婦人に追い越される。

2023年、10年ぶりの湯沢コスモス

2023年魚沼コシヒカリ紅葉マラソンのゴールは高橋さんと一緒に

ゴールテープの向こうにシャングリアがある。マラソンは常に人を再生させる。どんな記録でも、否、記録が悪ければ悪いほど苦しんだわけで、ゴールの後の疲労と達成感が何かを覚醒させ再生させるのだ。この先何年三人で走れるか分からないが(高橋さんは既に10キロ転向声明!)、走れる限りはファイティングポーズをとり続けている。