オッド・アイ Tの猫とその一味 第27話「探偵の報酬①」

昔は下関の駅前も賑やかだった。旅館があり、雑貨屋があり、八百屋もあったが、今はどれも店構えはそのままに閉じている。猫探偵事務所はその一角、やはり四十年も前に閉店したラーメン屋である。「七転八起亭」、当時のまま錆びた看板が虚しい。入口のガラス戸に『猫探偵事務所』と書かれた、カレンダーの裏を利用した紙が貼られている。『どんな調査も承ります。迅速・正確・秘密厳守が目標です』。客が来ればやはり当時のままの客席で応対する。テーブルが九つ、椅子は四つであったり三つであったり、どこに座っても構わないが、大概は窓際に案内する。その方が明るいからだ。でも客が来るのは稀なので、大概は厨房の中で、社長と従業員は鍋を囲んで研究をしている。収集してきた情報を鍋の中に、先ず広げて、次に混ぜて分析する。「傾向と対策」、 ひと昔前の大学受験のようだが、今なお探偵世界の基本である。いずれが社長でいずれが社員かは外見からは分からない。会話を聞いても判別できない。仕事の中身も同じである。もしどうしても知りたかったら彼らの目をじっと見ると良いだろう。金目銀目、オッドアイが社長のようだ。私が夢の啓示で知り得たのはそこまでだ。

駅前を徘徊するのに何分も掛からない。列車の発着時間でなければ人影も無い駅の前に車を停めて、信号までの百メートルばかりを歩けば様子が分かる。そこから裏通りに入ってすぐのところにラーメン屋を見つけた。ガラス越しに中の様子を見ようとしたが、曇りガラスのように汚れている。更に顔を近づけると顔が見えた。中から外を見ている人がいる。軽く会釈すると向こうも頷くように会釈した。すると戸がガラガラと開いたので、店に入った。入口のそばに原付バイクが停めてある。車庫兼事務所というわけだ。

「どうぞ。お待ちしていました。そこにお座りください」

「私らはしがない探偵事務所なので人生相談も承っております。悩み事一般です。的確なアドバイスが評判でひっきりなしに来客があります。ですから手短におっしゃってください。こちらも的確簡潔にお答えします。10分コース千ニャン20分コース二千ニャン30分コース三千ニャンです」

「ニャンってなんですか。円のことですか」

「ニャンはニャンです。二千ニャンです」

そう言って壁を指さした。

『どんな悩み事も口で解決します。10分1,000円 20分2,000円 30分3,000円』

やはりニャンは円で、えんと発音できないのか、ニャンと読むと勘違いをしているのかどちらかだ。

「二千ニャンは分かりましたが、そういう相談に来たのではありません」

「え、三千ニャンですか」

「いや、違います。ここに来たのはこちらの探偵、いつも草まみれでスキップして歩く探偵に会うためです」

「はい、花園ですか。花園は今日バッタ捕りです。夕方にならないと帰ってきません。彼でないと相談はできませんか」

「いや彼でも相談することはないですが」

「自己完結していますか。自己完結と諦観は違いますが」

「自己完結しているつもりもないし諦観もありませんが、相談することは特にないです」

「え、ではラーメンですか、やきそばですか」

「え、ラーメン屋もやっているのですか」

「はい、時々間違って入ってきて注文する人がいますので」

「では、ラーメンをください」

「はいはい、では少しお待ちください」

男はそう言って厨房に入っていった。私は改めて原付バイクを見、それから壁に貼られた、おそらく閉店当時のメニューを見た。『ラーメン300円』『チャーハン300円』

水を持ってきたかと思ったらアルミの四角の盆で運んできたのはカップヌードルであった。つまりお湯を注いだだけである。種類はマルちゃんのめん吉、しょうゆ味。

「どうぞ。でも4分待ってください。そう書いてますので」

「はあ、これでいくらですか」

「あそこに書いてある通り300ニャンです。北や南のアルプスでは500ニャンはします」

「そうですね。僕も水晶の小屋でカップヌードルを食べました。確か500ニャンだったかと思います」

「そうでしょう、そうでしょう。でもお客さんの中にはびっくりして腰を抜かす人もいます。ラーメン屋と勘違いして、更に普通のラーメンだと勘違いして、勘違いを重ねた結果びっくりします」

「びっくりしても食べますか」

「そうです。びっくりしたままの人もいますが、値段を言って、これなら調理師免許が無くても出せます、というような事情を説明するとちょうど4分経ちます」

私は結局カップヌードルを完食して店を出た。300円の代金を払う際

「このバイクは花園さんが乗りますか」

と聞いてみた。

「いや彼は乗りません。乗るのは主にふくらい(福来)です。これに乗ってラーメンの配達に行きます」

「えっ、カップヌードルの」

「そうです。一度召し上がっていただくと不思議と二度三度と注文があります。ただし配達は4分以内で行ける所に限ります」

スキップ鼻黒には会えなかったが、鼻黒猫の拠点は分かった。そこには3人の社員がいることも判明した。そして、天日で乾かしたバッタを炒って、それを細かく擂り潰した物をカップヌードルに入れて出す、そんな事を想像しながら車に戻った。私もまたそれを食べたい衝動に駆られたらどうしようかとも思った。衝動に抗うことに意味はあるのかと。

車を動かすと駅前の通りに人がいて、盛んに手を振っているのがすぐ目に入った。たった今まで話をしていた鼻黒猫だ。なにか忘れたのかと思ってゆっくり走っていくと、頭を下げ下げ、ただ手を振っているだけ、見送りのようだ。信号前で停まってドアミラーを見るとまだ手を振っている。非常に怪しい。多分、私が店を出るタイミングで何かしらの情報が入り、私の様態を確かめに慌てて飛び出して来たのだろう。髪がぼさぼさだったので「髪がぼさぼさの鼻黒」と識別して覚えることにした。二千ニャンでも良い。