オッド・アイ Tの猫とその一味第16話「空のせいで陰鬱」

 行く先々で鼻黒猫と出会うのは妙だとふと思った私は、談合坂を登り切った所で車を降りた。そして杉の木の間からグラウンドを俯瞰すると、相変わらず余念ない様子で白線引きを押す鼻黒猫が見えた。鼻黒猫の後ろにはもう二人、順番を待つように歩いている。多分教室でスキップ万歳じゃんけんの特訓をしていた二人だろう。石灰が無くなって石灰袋まで戻って補給するタイミングで交代した。彼らが引く白線は上から見てもやはりぐしゃぐしゃで、何の意図もないようだ。

 翌日歴史館に出勤すると玄関に白線引きが置かれていた。持ち上げると重いので、石灰が入っているのかと蓋を開けて見た。すると沢山の土器片が入っていた。土器片の他に石も。多分鼻黒猫は石と土器片の区別が付かない。開館操作を終えてから重い白線引きをゴロゴロ押して裏庭に回り、土器と石とを分け、土器の方だけ水洗いし乾かした。

11月14日魚沼コシヒカリマラソン。昨年の元旦以来のマラソンだから正確には一年と十ヶ月ぶり。その期間、大会が無いことでモチベーションが保てず練習量は激減、この二ヶ月で取り戻せるものではないことは日々の練習で実感してきた。頑張って、せいぜい5分ペース、と思っていたが、その予想通りのタイム、1時間43分11秒。2008年に初めて笹川を走った時と同じくらい掛かった。ただ、例年5月の東根は暑さのために40分を越えることがほとんどだったから、そんなに悪くはないのかもしれない。

 後ろで待ったこともありスタート1キロこそ6分掛ったが、あとは4分50秒前後で走りきれた。クラス別60以上で65人中15位、全体男子451人中206番。苦しかったが、天気が良かったこともあり、楽しかった。小出から入広瀬に向かって走って、折り返すと越後三山が正面に見えた。8月に越後駒、9月に八海山、10月に中ノ岳、いずれも今年登った山なので励ましてくれるようにも見えた。完走して、走る喜び、達成感、動機などを改めて思い出し、感じもした。元旦は既に中止が決まっているが、三月の笹川では4分半を切るペースで走れるよう、これから練習していこうと思う。ハーフベストの33分に近づき、破る気持ちで取り組もう。

 ちなみにYは2時間17分でゴールした。折り返してすれ違った時、意外と元気だったので完走はできるだろうと思っていたが、それでも2時間半以上は掛かると思っていたから、それらしい姿がゴールに近づいてくるのを見てもすぐには分からなかった。シャツの色も短パンの色も似ている。走り方までそっくりだ。もしや猪使いで巫女のYかと思ったが、ゴールして私に気付き手を振ったので間違いなくYだった。Yのハーフの記録は2009/5/16の柏崎の潮風マラソンでの2時間9分10秒が最高で、それからは良くて24分台、悪いと32分掛かっている。東根は2時間半が制限時間だから常にギリギリだった。今回の練習でも制限時間の3時間を想定して7分ペースの10㌔走が中心、最後の1キロだけ6分で走っていたから、どうしたって30分前後のフィニッシュになる勘定だった。「中ノ岳より楽だった」と本人は言っていた。

 スタート前、鼻黒猫がいないかと周りが気になったが、それらしい選手はいなかった。沿道の見物人に混じってはいないかと最初は思ったが、途中から鼻黒猫のことは忘れてしまった。多分、原付でここまで来るのは無理なのだろう。
 このマラソンの日が全き晴天の最後、晩秋の新潟には陰鬱な空模様が続く。錆色に変わった木々の葉が霙交じりの雨にうたれて落ち、冬に向かって日々寒くなる。そして時たま晴れると、冠雪した朳差岳が雲間に覗いて間近に迫る冬を教える。

 冬にいいことなんて一つもない。でも冬は否応なしに来るからなんとかいいところをつくろうとスキーをしたり登山をしたりするけども・・・。

 冬が来るのは仕方ないので、生きる場所を変えれば良いだけだ。だから来世は南国にする。元来私は南国向きなのだ。陰鬱な越後の阿賀北に不向きな性分なのである。また、この性分で生きるなら是非南国、少なくとも神奈川とか静岡とか雪の無い土地に生まれたい、行きたいと思っている。

「人間になってからずっと恥ずかしいことばかりです。今日でさえ、明日になれば恥ずかしく思える。それで鼻も黒くなります」

「そうか。そうでしたか」

「鼻黒は生まれつきです」

「そうか。そうでしたか」

「人間はときどき本当でないことを言うでしょう」

「でも、本当の気持ちです」

「そうか。そうですよね」

「時間だけが残酷に過ぎました。残ったのは諦観だけです。それを得るためにこんなに一生懸命人間は生きるのですか」
「馬鹿馬鹿しいようですが、そういうことになります」

「私はやはりひなたぼっこをして一日を過ごしたい。金も名誉も愛も要りません」

「土器と石の区別はつかなくても、白線引きを返すことの方がずっと大事ですね」