オッドアイズTの猫とその一味98-復路「食べられない凍み豆腐」

覚めてしまえば泡の如く消えるたった今見ていた夢。幸い私はそれを百話の物語に留めておいた。その百話目が頂上だとすると、雲が湧くだけ、なんら眺望は無く空しく引き返したのだ。登ってきたのと同じ道を下るのを登山ではピストンという。忘れていた事を思い出す時間、齷齪と登った後ろ姿を振り返る道。
掘ったばかりのさつまいものように汚い猫についてもう少し説明しよう。
だぶだぶになってから彼らに決まったねぐらは無い。タイヤの下や植木の下で寝る。泥の中で眠らないだけだ。
以前も書いたが、掘ったばかりのさつまいものように汚いだぶだぶ猫も昔は三食付きの飼い猫だった。それがどうしてこうなったか、理由なんかはパンにでもつけておけというのが私の持論だ。とにかく掘ったばかりの芋になってしまったと気づいただぶだぶ猫は暗い夜空の下で考えた。
私はもう1ヵ月ばかりもその猫の行方を捜している。捜すといっても、水場までの往復と、朳差岳の頂上の反対側、長者平までの往復だけだ。登山道以外は草と藪、だぶだぶの猫が入り込める訳もない。池塘を覗くと青い空があるだけだ。
前の話を続ければ、掘ったばかりの芋になったことを自覚して、暗い夜空の下で考えたことは、悔やんでも仕方ないということ。別な生き方ができたかのように悔やむのは馬鹿げている、そう思ったので、汚いまま、だぶだぶのまま生きようと決めたのである。いろんなことが制限されるが、忍耐が必要というほどでもない。大概の事はうまくいかない。嫌なことだけ思い出し、悪い夢ばかり見て、心地良い目覚めは無い。これまでもそうだった。そうしているうちに捕まって、朳差に到着した。
そしてある日、水場にハンカチ位の大きさの凍み豆腐が見つかって、それは紛れもなくだぶだぶたった。つぎの日には池塘に浮いていて、また次の日は水場に浮いていた。ある風の強い日、西日に乾されていただぶだぶは突風に吹かれて小屋の屋根の上に飛ばされた。そこで夜露に濡れ、日中には乾いた。乾いて膨らんで、膨らんで乾いて、彼らはもう掘ったばかりのさつまいもというより、野球ベースのような凍み豆腐なのだ。時期が来て、その凍み豆腐が風向きによって水場に落ちたり、朳差岳を越えて池塘まで飛んだりしたようだ。一切のき毛がゴワゴワなので、桶に張った水の中に漬けておく。水は正午には熱くなって浴槽になる。それから石鹸をつけて洗って、水を入れ替える。に時間でお湯になるから三時と五時にまた洗う。目標が無ければ無駄な時間というのも無い。道を間違えず、ただ歩いていれば、下山することはできる。