2024年睦月如月のこと

2月13日、畔(くろ)は見え、稲の切株も出てきた。2月としては異例。

2月13日。この後も晴天が続き、家の周りから雪が無くなった。庭木の囲いは今年初めて私がやった。家周りの正面と東側はコンクリなので、この地下の水道管漏水箇所を見つけるのは大工事になるだろうと思われたが、左側(写真には写っていない)の作業所脇の花壇の下の元栓のそば、同じ花壇の下に漏水箇所が見つかり、簡単に済んだ。

「むつききさらぎ」と「き」が重なって響きが良いのでそう書いた。去年の12月、それも年の瀬になって庭木の雪囲いをした。今までずっと業者に頼んでいたが、父が亡くなった今年から自分でやることにした。年末の休みになってからでもできたのは、雪が降らなかったからである。20日過ぎに降って2日除雪したが、以降は降らず、元旦マラソンも雪の無い村上市街を走れた。今年になって除雪したのは寒波が来た1月24日からの2日間だけ、2月になっても降らず、家周りや田んぼの雪は少しずつ消えて、この時期としては異様な景色だった。村のスキー場は数年前に閉まり、以来私もボードはしていない。毎年こうでも良い、有難いとは思うが、そうはいかないだろう。
1月の松も取れない内に同じ集落の従兄が亡くなった。その葬儀の日にその母、つまり伯母が亡くなった。伯母は高齢95歳で従兄の葬儀にも体調不良で出てなかった。その葬儀で感染したのか、17日にコロナの罹患が判明し、五日間家で療養したが、喉の痛みは更に一週間ほど続いた。
2月15日は父の一周忌。分家の御夫婦と妹と四人。その日の内に帰る妹と母に面会、電車まで時間がまだあったので、村上にお土産を買いに行く往復の道中、田んぼの中で落穂をついばむ白鳥の群れを見て喜んでいた。これも少雪の恩恵だろう。
少雪の恩恵と云えば、2月の末に水道の漏水を修理してもらった。家周りから雪が消える3月下旬から4月に、と業者は言っていたが、雪が全く無くなったので早めに来てくれたのだ。漏水箇所は元栓のすぐそばで、コンクリートも剥がす必要もなく、1日と掛からず修理が終わった。1日4回の元栓の開け閉めをしなくて良くなった。
山はコロナの症状が出る直前の1月14日に五頭、2月24日に武尊に登った。いずれも前後は荒天で、この日だけ快晴という僥倖に恵まれた。麓に雪は無くても山はやはりいつもの冬山、群青の空と白い雪稜が切ないほど美しかった。
ジムにはほぼ毎日通っている。仕事場の隣で近いこと、廉価であること(65歳以上は年間17,000円、1日換算50円)、特に短パンTシャツにで汗だくになれることに強く誘惑される。3月20日には新潟市でハーフマラソンがあるので、本当ならそこから国道を隔てた先のドームで、あるいはそこで着替えて堤防を走っていなければならない時期なのだが、ジムの方に曲がってしまう。ジムが休みの水曜日だけはドームに行こうと思うが、買い物など用事を理由に信号を左折してしまう。利便性を考えると、このジムは私のために建てられたものだと感じている。あるいは私が大谷くらいの大金持ちで、自分で自分のためのジムを作り、管理人を雇い、一人で使うのはもったいないので一般開放もしている、そんな感じ。オーナーはオーナーであることを従業員にさえ隠して一般客の体(てい)で通うのである。いろんな意味でとても贅沢。
この3月に入って冬に逆戻りしたように寒い日が続いている。深くはないがまた一面真っ白になっている。