オッド・アイ Tの猫とその一味第68話「猫棒」

看板の下には鼻黒と猪とが好奇心を募らせて集まってきた。しかし、一様にがっくりと肩を落とした。看板の下にぶら下がった値段表には「飲み放題食べ放題。但しヒメサユリの球根5個也」と書かれていたからだ。そこに大きな袋を担いでY似で猪使いの巫女が来た。そして袋を広げて見せると、鼻黒も猪も大変喜んで万歳をした。猪の万歳はブヒブヒと鼻を鳴らしながらその鼻を上下する。私も喜んだが、不安もよぎった。なんとなればこの大量の球根は猪から巻き上げたものか、ここの管理人かマダムが貯蔵しているのを失敬したと推測できたからだ。
荷物を二階に置いて階段を降りてくると、既に宴会は始まっていた。つまり階段から降りてくる順番にマダムから酒の入ったコップを渡され、管理人から何かを口に入れられた。そしてまた階段を上って順番を待つのである。但し猪二匹は荷物も無いし階段に座ることもできないので、階段の下で待ち、自分の順番が来たら酒と肴を口に入れてもらう。
「これはオートマティックで便利だけれどすぐ酔うね」
その通りであったので、三回か四回目になると、階段に腰かけながら順番を待つことになる。早く酔わせるためにこんなシステムにしたのなら目的は何だろう。自分の球根を貰って騙された振りをするなら、我々も酔った振りをして相手の本性を探らないとならない。しかし、一番上にいた鼻黒のどちらかが酔いのために階段を滑り、雪崩式に他の三人も押されて落ちて、マダムの机の前に4人の高さで積み重なった。
「ほうほう、なるほどなるほど、みなさんだいぶ酔いましたね。それではこちらに移動しましょう」
猪も加わって円座になって、その中心に居るマダムと管理人は恰も時計の針が動くように順番に酒を注いでいく。秒針のスピードなので全員が更に酩酊するのに時間は掛からない。すると
「行きたい山に花が咲く、立ちたい頂(ピーク)に風は吹く」と誰かが歌い出した。それはマダムと管理人だ。その歌に追唱し輪になって踊ることはむしろ自然であった。
「行きたい山に花が咲く、立ちたい頂(ピーク)に風は吹く」
これは確か北岳の登山口広河原に向かうバスで鼻黒が歌っていた歌だ。
それぞれ思惑はあったろうが、酩酊して歌い踊るうち、一人二人とその輪から外れて寝込んでしまう。そしてふと気づくとY似で猪使いの巫女の姿が無い。四隅を見てもいない代わりに犬が一匹加わっていた。つまり頭数は変わらない。ただ新参の犬をよく見ると背中に何かを括りつけている。それは手紙だ。北岳で働いていたポーター犬が石山さんについてきて光兎山で働くことになったのはこの小説の設定でもあるが、その犬なのか、あるいはポーター犬を扱う会社が郵便の仕事も始めて、やってきたのがこの犬なのかは分からない。手紙を入れたビニール袋は、犬がどんなに速く走っても、気まぐれに山鳥を追って藪に入っても外れないように、胴体に帯状のゴムでしっかり括り付けられていた。且つビニール袋はチャック式で、繰り返し使える仕様である。つまりは書簡配達用に開発されたものだろう。
「貴殿がコロナに罹かって朳差の小屋に隔離されてから何回目かの冬が来ました。
報告①Tが行方知れずとなりました。警察にも話しましたが晩秋の夕方、雨の中なぜか傘もささず、ずぶ濡れになって猫の餌を持ってくる姿を見たのが最後です。私も作業所、納屋、家の周りを探しましたし、警察も同様の事をしに来ましたが、見つかりませんでした。二十年近くも前、Tが光兎山に行って戻らないというので夜になってから和幸と二人探しに行ったことがあったので、もしかと思い光兎山にも行きましたが徒労でした。その結果Tの猫が私の家の周りに拠点を移動したようです。何らかの方法でTは猫の数を操作していたのでしょう。そのTがいなくなったことで猫は増え、出勤する時は猫を何匹も蹴とばさないと車に乗れません。ドアを開けると入ってこようとする猫もいるので、挟んだまま出発することもありますし、既に入ってしまった猫は下関という上野よりは賑やかに場所に解放するわけですね。郵便配達の人も門の前でバイクを停め、専門の猫棒のような物で猫を掻き分けながら玄関まで往復しています。ずうずうしいやつはその往復の間にバイクの荷台に乗りますので、その猫棒で叩いて落とすようです。こればかりは戻ってきた時驚かないよう第一にお伝えしておきます。また参考までにお知らせしますが、今や集落の人は「Tの猫」でなく「Aの猫」と呼ぶようです。報告②水道が漏水しています。11月の下旬、直近の水道代が急に多くなっているので、すべての水道を止めてから元栓のメーターを確認してくださいと役場の担当課から連絡がありました。メーターが少しでも動いているなら漏水しているということでしたが、その通りだったので業者に電話すると、水道管が通っている面積が広く、そこを覆ったコンクリを全部剥がし、そしてまたコンクリで被せる工事で日数が掛かり、雨や霙、そしてこれから雪が降る時期では難しいので、春まで待った方が良いということでした。それまでこまめに元栓を開け閉めするしかない、という結論です。今出勤時に猫を蹴散らし蹴飛ばしながら閉め、帰ってきたら猫を蹴飛ばし蹴散らしながら開け、寝る前に同様、起きてすぐにも同様、の生活を続けています。煩わしさと同時に今までの便利さ有難さも感じます。また、水道の無い外国で毎朝夕、バケツを頭に載せて水汲みをする少年少女の日常を思います。雪が降って元栓が雪の下に埋もれてしまうまで続けるつもりです。
報告③