オッド・アイTの猫とその一味第60話「贋猪の企み」

全てが愚劣だ、とそう思えなくもない。生きている限り何もかも素敵だと思うこともある。死ぬまで生きる定めにあって、どちらが楽でどちらが合理的なのか。悔いて悔い切れない後悔だけが生き長らえる代償なのか。答えはハクサンフウロを揺らす稜線の風に聞こう。その風がこの日最初の登りに喘ぐ我々を癒してくれた。

猫なんてものは大概家とその周辺をうろうろするだけだから、やはり持久的な歩行はできないだろう。やがて猪の背負う薪の上に飛び乗って、右に左に揺られても不安げな様子も無く四囲を眺めていた。谷を隔てた御西の雪田越しに大日岳と牛首が良く見えてきた。草履塚に着くと猪が例の呪文を唱えた。

「ハリギリハマナスハリエンジュ、ナツメタラノキアリドオシ、サンショウサンザシサルトリイバラ、カラタチサイカチピラカンサス」

すっかり忘れていたのは筆者か猪か。但し、呪文を覚えていたからといって、この猪がホリディとは限らないだろう。覚えの良い猪なら何回か聞いて覚えるということもある。どちらであっても構わないが、猪なんてものはだいぶ乱暴な動物に思ってきたが、こうして従順に薪など担いで歩くところを見ると、怒りっぽいだけで、刺激さえしなければ大人しい動物なのかもしれない。私は拾ってきたハクサンフウロとハクサンシャジンとを輪にして、その猪の首に掛けた。猪はそれには関心もなく、ただこれから向かう切合の小屋の方をじっと見ていた。小屋から、ぷかぷかもやもやと白い煙が上がっていた。吉兆なのか凶兆なのか、ぷかぷかもやもやの煙は屋根の上でぐるぐると回って、大きな一本のゼンマイのように見えた。そのゼンマイに関心の無いY似で猪使いの巫女を追うように草履塚を下り始めた。

もやもやぷかぷかのゼンマイの正体は焚火であった。小屋の裏手、灌木の生えていないザレ場で焚火をしている者がいた。ここはテント場のはずだが、今日は誰も幕営する者がいないので、自由に使っているのだろう。

「どうもどうもどうもセニョールどうもセニョリータどうも。寒くても暖かくてもこちらに寄ってきてください」

「私はここの管理人です。しがない避難小屋のしがない管理人がここを通過する人たちにこんがり焼けた焼き芋等を提供しています。さあどうぞあなたもどうぞそちらもどうぞ」

ちょっとした観察力があれば、このしがない管理人が滑落して離脱した猪であることは分かるであろう。髪の毛は茶色で棕櫚の皮のようにもじゃもじゃだし、長袖で隠した腕から出た手にももじゃもじゃの山芋のような毛が生えている。

Y似で猪使いの巫女が差し出された芋のような球体を躊躇わず食べて、その本人に異変のない事を確かめてから、それぞれが手に持った芋のような球体を食べた。齧ればユリの根だとすぐ分かる。つまり鱗片の集合体だ。勧められるままY似で猪使いの巫女は二つ目を受け取ると、どかっと座って食べ始めた。郵便夫も座ったが、猪と猫は立ったまま、二つ目を食べ始めた。私も二つ目を受け取ったが、それは食べないで下ろしたザックの雨袋に入れた。しかし、結果は一緒だった。目が覚めた時、満天の星の下にいた。なぜか身動きが取れないのは、後ろ手に縛られていたからだ。暗がりに目が慣れてくると、Y似で猪使いの巫女も郵便夫も柱のような木材を背負わされて座っているのが分かった。猪だけは薪を担いだまま横たわっていたし、猫はその薪に括り付けられていた。私は尿意を感じ、なんとか解けないかと手を動かしていると案外と容易に解けて、草むらに入って、大日岳と牛首のシルエットを見ながら放尿した。多分一個しか食べなかったから目が覚めるのが早かったのだろう。二人と一匹の縄を解いても良いのだが、企みを知るためにそのままにして私はまた眠ることにした。ここに来たのは何度目だろう。積雪期こそ来たことはないが、五月の連休、残雪の頃に来るのが常だった。夏も秋も何度か泊り、あるいは通過したことがある。誰がいて天気はどうだったか、そんな事を思い出していれば大概また眠れるのだけれど、夕食がゆり根一個だけだったせいか、空腹を感じて寝付けない。なにか食べようと思って立ち上がって、ついでにしがない管理人の様子を見に、そっと小屋の戸を開けた。ゆり根で眠らされた沢山の登山客がやはり背中に木材を一本背負わされて眠っていた。猪は管理人室にいた。服もズボンも脱いで猪の正体を露にして大の字になって寝ていた。傍の柱には本物の管理人らしき人間が縛られて首をうなだれている。いずれも熟睡しているようだ。今猪をぐるぐる巻きにしてしまえばすべては解決するが、真相を話すかどうか分からない。だからそのままにして、私はひとり深夜の食事を星明りの下でとったのである。