父の芍薬

関川のマラソンが終われば間もなく夏至となる。あの大雪の冬至から半年が経ったことになる。一番寒い二月の最中に父が死んで、また同じように夏が来ようとしている。今も実感がないのは最後の三年間、施設に入った父とコロナでほとんど面会できなかったからなのかも知れないし、東京で十八から三十二歳まで一人で暮らした経験があるからかもしれない。5月の下旬、田植えの終わった田の畔の草刈りが始まったので、私も何日か家周りの草刈りをした。晩年父は母の介護をしながら、ビニールハウスのあった場所にトマトとか茄子とか野菜を育てていたが、それもできなくなると芍薬を植えた。芍薬は宿根草なので、父が施設に入って家に戻らなくなっても毎年咲いた。芍薬の背丈ほども伸びていた周りの草を刈って、改めて芍薬を見ると、株によって花の色が違っていた。赤と白とピンクと、濃い赤もある。花など育てたことのない父が、色とりどりになるように選んだのかと思うと、なにか切ない気持ちになった。
作家にでもなれれば、八女まで行って墓参りをしたいと思っていた。和光市も訪ねてみたいと思っていた。諏訪の街もひとり歩いてみたい。イキやヨシバさんに会っても良い。作家になれれば、と。
 それは父が光兎山に一度は登りたかったと言うのと同じかもしれない。曾祖父の故郷、富山の入善町に一度は行きたいと言いながら、実際に計画を立てると消極的になった。連れていけば良かったと今は思っている。