オッド・アイ Tの猫とその一味第50話「歌を歌えば」

重荷だったスコップがなくなったせいか、あるいは花輪が頗る気に入ったのか、ホリデーはいい気になってずんずん歩いた。関川村の方言でこういう状態を「いさる」という。いさって鼻が私の足にぶつかる時もあるので、次の休憩の時にザックからスリング(短いロープ)を出した。それを首輪に結び、遅れがちになる鼻黒郵便夫にその端を持たせた。

「そんな引っ張ったら苦しいです」

「そんなに引っ張ったらついていけないです」

それから二人はそんな会話を繰り返して進んだ。

扇ノ地紙はなだらかな山、頂上は梶川尾根の登山道が合流して広い広場になっている。

「あれが三国岳ですか」

「いやあれは大日岳です。飯豊で一番高い山です。三国岳はここからは見えませんね」

「あの山が三国岳だけですか」

「いやあれは飯豊本山です。三国岳はここからはまだ見えないですね」

人の話を聞いていない二人は正面に突きあがった山、北股岳の左右にある、一番遠くの山をそれぞれ指差したが、そのどれよりも三国岳は奥にある。

「遠くてまだ見えないですが、歩いていればいずれ着きます。楽しく歩けば思った以上に早く着きます。どうですか、なにか歌でも歌いましょう」

「人みな花に酔うときも 残雪恋し山に入り 涙を流す山男 雪解の水に春を知る」

私はぼうがつる賛歌を歌った。歌には自信はないが、猪と猫の前なら恥ずかしくない。すると

「どうも調子が出ませんね。歩くスピードと合いません。むしろ回顧的です。私もひとつ歌います」

 と言って猪が

「夢でも会いたい夢でも会えぬ遠い記憶を踏みながら ハクサンフウロハクサンシャジン、イイデリンドウタカネナデシコ 風に吹かれて雨に打たれて、うたかたの夏、束の間の花は 濡れて乾いて散って咲く 一生懸命生きてきたつもりでも 振り返れば後悔ばかりの花弁が道を覆う ミヤマカラマツミヤマママコナミヤマホツツジ 風に吹かれて雨に打たれて束の間夏の飯豊の道は 濡れて乾いて散って咲く 」

「行進曲のようで花の道を歩くのに相応しくないです。こんなのはどうでしょう。越えてきた峰後ろに背負い 越えていく峰仰ぎ見る 先を望めば限りはないが 戻る道より遠くない いざ行けさあ行け郵便夫 留まることが楽ならば留まることも悪くはないが 行くも帰るもまた同じ 流した汗が雨となり、今日の水場で待っている いざ行けさあ行け郵便夫」

「どうですか。歌を歌えばあっと言う間に門内の小屋です。管理人に挨拶してから水を汲みに行きましょう」