4月も過ぎて 2021/5/2

3月20日に弥彦山の雪割草は満開だったから、関川の桜も早いと思っていたが、上旬には満開を迎えた。その桜の下を何回かランニングできたのは、咲いてから寒い日が続き、強風の日も無く、長く咲いていたからだ。

4月5日。昼のバドミントンの帰り、ドームに寄ると、石山さんもいたので、三人で高瀬堤防へ花見ラン。この後、何度かバイパスの桜並木の下を一人で走った。

4月8日、大峰山下見の時、登り口の公園の桜も満開だった。

 3月下旬に残雪登山の大平山、下見と本番。4月は初心者登山の大峰山下見(本番は雨で中止)、さざれ石の講演会の打ち合わせと本番。かな漢字5人展の撤収と返却、続けて平田大六展の準備、健康登山の下見19日、本番24日。それが終わると引き続き平田大六展の展示準備。自分が組んだスケジュールだがとても過密であった。勤務時間6時間という短さも忙しさに要因の一つだが、要は無駄な時間を無くしててきぱき片付けること、そうすれば自ずと進むのが時間の有難さ。
忙しさの合間にふと施設の母親のことを思い出す。もう一年と2ヶ月も会っていない。昨年の二月下旬の訪問後に面会ができなくなり、事前に予約すれば面会できることを晩秋になって知ったが、わざわざ別室に連れてきてもらっての面会であったため、職員に面倒も掛けるし、寝た子を起こすようなことにもなりかねないと躊躇っているうちにまた面会ができなくなった。週二回は、と自分に義務付けて訪問していたから、最初は仕方ないと思いながらも解放感はあった。しかしこのまま会えずに、などと思うことがある。父親も同様面会できないが、通院の際は付き添い、届け物がある時は様子を聞けるので、そう離れている感じはないが。
今年の大雪で竹もだいぶ折れた。ここに戻ってから30年近くも頭を刈ってもらっている大島の床屋さんが今年も筍を掘りに来ると言うので、少しきれいにしておこうかとその折れた竹や竹藪の中に生えた小さな雑木を切っていると、シャトルを一個見つけた。壁打ちをしているうちに外に出たのが風に吹かれてここまで飛ばされて来たんだと思い、竹藪の外に抛ってまた作業を続けていると、車庫の方から出てきた猫がシャトルを咥えてスタスタと駆けていくのを目撃した。つまり猫の仕業だ。ガチョウの羽だから欲しくなるのだろう。人間には分からないが、鳥の匂いがして、小鳥でも捕まえた気分で咥えていくのだろう。私ののシャトルは集落のあちこちに運ばれているのかもしれない。
バドミントンは公民館の方が週二回に増えたのでパルパークの方は3月で辞めた。車庫内でやる練習もこの頃はフットワークがメインだ。面白みのないフットワークを続けるために音楽を掛けている。30歳前後に上板橋のアパートでヘッドホンを付けて踊りながら聞いていた久保田利伸を押入から探し出した。「どこにいてもそこで生まれた気がしてる」で始まるアルバム。それは悪い事じゃないが、私はここで生まれてここで死んでいく。
毎朝早起きに努めて「オッドアイ」を書いている。「未来は過去、過去は未来、夢だけが現在」とオッドアイに言われて始まる錯綜の毎日を少しずつ書いている。
四月は旧暦卯月、卯の花は東北では6月に咲く。ここら辺では見たことがないが、いつだったか東根マラソンの翌日、東黒森山の麓の公園に咲いていたのを思い出す。

2018/6/2

卯の花 匂う垣根に ほととぎす 早も来鳴きて 忍び音もらす 夏は来ぬ 作詞は佐々木信綱、作曲は大潟出身の小山作之助。