オッドアイ・第一部「笑って死ななければ生きてきた意味はない」

オッドアイ・Tの猫とその一味

私が中学生の頃、隣の叔父の家で犬を飼い始めた。もらってきた中型の黒い雑種だったと思うが、玄関に繋がれた犬を飼い主以上に可愛がったのは私の母だった。飼い主より母に慣れて、二年ぐらいで一袋のドッグフードをつけられて私の家に貰われてきた。それが私の家で犬を飼う始まりだ。隣に来た嫁を取ったみたいなもので、私は面白くなかった。母は以前、野良猫を飼いたいと言った小学生の妹の願いを聞き入れなかったことがあった。外で鳴く子猫の鳴き声を聞きながら一晩中泣いていた妹に対して自分がなにもできなかった恨みもあった。そんな母がよその犬を取るという行為が我慢できなかったのだ。それにこの中型の黒い犬には「まり」という名がつけられていて、それも気に食わなかった。誰にも言わなかったが私はその頃デビューした天地真理に魅かれていたからだ。横取りした犬をさすがに母は大事に可愛がった。畑仕事は常に同伴、集落内を世間話に行く時もそうである。ただ、ついでに連れて歩くという感じで犬の散歩はメインではないが、大事にしたことは確かだ。この犬は高校生の頃死んで、毎日母が連れていった隣集落との境の斜面の畑、その一角、キューイの棚の下に葬られた。犬の名の書かれた手作りの墓標と石が置かれた粗末な物だったが、お盆の墓参りにはそこにも母は回った。このあと、父は隣町のホームセンターから犬を買ってきた。茶色の中型、買ったものだから雑種ではなかったろう。この犬には近くの家の人がジョンという名を提案し、そのままジョンになった。ジョンは父母に可愛がられ幸せに前半生を過ごしたが、後半は母の気紛れで不幸が訪れた。集落を徘徊していた野良犬を母が飼い始めたからだ。いずれ保健所の人が捕えにきて殺処分だろうとたまたま帰省していた私が脅かしたせいもある。野良犬の身分で集落内をうろついていた時期からジョンとは仲が悪かった。素性の知れない犬が家の周りでうろつくのを見れば、血相変えて吠えるのは犬として当たり前なのかもしれない。その犬が突然自分と同等の身分に昇格して、飼い主の愛情を同等に受けることになったのだから、犬の度量でその感情をコントロールできるものではなかったろう。人間であれば間違いなく不良になる筋書だ。この野良犬には既に仔もいて、合わせて二匹が外で飼われ、それまで昼は外、夜は家の中で過ごして自由を満喫し愛情を独り占めしていた犬は、結果散歩以外家の中にいることになった。野良犬から昇格した犬が飼い主に甘えたような声を聞くたびに、嫉妬の炎はごうと燃えて、狂ったように大暴れした。障子を何度も壊し、家の壁のあちこちに大きな穴を開けた。東京で十四年暮らした私が帰ってきた時、二階の一番奥の私の部屋の床の間の壁にもかきむしって空けた穴があり、それを隠すためにテレビを置いて三十年が過ぎている。野良犬時代から野良と呼ばれた親子はそのまま「野良」という名前となり、野良の親、野良の仔の方、と呼ばれた。私のような元文学青年は野良と聞くと「人形の家」を思い出す。主人公ノラのように自立を目指して家を出たかどうか不明だが、放浪の果てに飼われることになってみれば犬には所詮限界があるということらしい。一方、もともと自立が念頭にない、不幸なジョンは時々家を脱出しただけだ。脱出しては外の野良親子に喧嘩を仕掛け、二対一で分の悪いジョンは獣医、仲裁に入った母もどさくさに手を噛まれたりして度々医者通いをしていた。その修羅場の様子をその頃には東京から戻って家に居た私は何度も聞かされた。そして不幸な半生を終えたジョンもまたキューウイ棚の下に埋められた。今思い返せば、ジョンにとって不幸な時代は我々三人の家族にとって最後の平穏な時代でもあった。残った親子は気兼ねない生活を謳歌していたが、母によると却って親子仲が悪くなり、時々噛みつき合う喧嘩をしたそうで、母はまた手や時には足も噛まれたりしていた。多分、共通の敵がいなくなったことで連帯感が薄れたのだろう。そんな親子も母が倒れた翌年の春先、相次いで死んだ。私が東京にいた頃、祖母死んでひと月も経たないうちに祖父が死んだように。

そして、今度は私が新しい犬を買ってきた。ジョンが売られていたのと同じホームセンターで半額になっていた犬をたまたま見つけたのだ。倒れた母とそれを介護する父、新しい犬が来れば寂しさも紛れるくらいの気持ちだったと思う。真っ黒な豆柴に父は熊五郎という名を付けて可愛がった。「熊五郎」はやがて「クマ」と省略させて呼ばれ、犬の登録票もその名になっているから、割と早い時期にクマになっていたのかもしれない。父はクマを溺愛し、一緒に寝ていた。

だから、母の倒れてからの年月とクマの年齢はほぼ一致する。母は寝たきり十三年、当時生まれて半年位だった犬もそれ位の年齢だろう。なぜ半額だったか、それはだいぶ経ってから分かってきた。

しかし、母を介護する父も、年とともに衰えてきて、朝夕の犬の散歩の夕方の方をTに頼むことになる。Tが猫の餌場を私の家の作業所にしたのはその頃からだと思う。

Tは同じ集落に住む従弟だ。私の知っている限りでは、若い頃から引きこもりで、ちゃんと仕事に就いたことはない。母と二人暮らし、猫を飼っていたが、その猫が増えて、猫同士の仲が悪くなり、仲間外れで怪我ばかりしていた猫の避難所をわが家の作業所としたらしい。社会から遠ざかっていったTは小さい時から動物好きではあった。初代の「まり」の時代から代々馴染みで、無聊な時は犬の顔を見に来て、徒に頭を撫でつけていた。無職になってからは一層そんなことが日常であったので、父は散歩をTに頼んだのである。

散歩の半分をTに委託してから、更に父は体力を失くした。クマに引っぱれて転んで怪我をしたのを教訓に四輪の台車を使用した。台車に犬の紐を括りつけて散歩する姿を私は良く二階から眺めていた。木工の仕事の運搬に使っていた台車は頑丈であった分重かったので、自由に動かしづらかった。私はその四隅に蛍光色のテープを巻いて遠くからでも車の運転手に目立つようにした。しかしいずれそれを押して歩く体力にも陰りが生じ、家を出てすぐの田の畔に腰を下ろして先ず一休みする。台車はやがて三輪車になり、そしてシニアカーになった。シニアカーは電動であったので、今までにない遠方まで犬を連れて行くことがあったが、その時代も長く続かなかった。

Tは小さい時からナイーブな男だった。父親は頭の良い人間で村会議員などもした名士ではあったが、酒癖が悪く、Tが思春期を迎える頃はアル中となり集落を回って酒を請うような為体、そんな父親を恥じ、益々内向的になっていったように思う。私が家を離れ東京で暮らすようになってから何年かして、そんなTが高校を中退したことを知った。貧しさもまた人を消極的にする要因になる。私は浪人の身でありながら復学するよう手紙を書いた。そのためかどうか、Tは復学したそうだが、その後のことについては詳しいことは知らない。遠くに働きに出て長く家を離れるようなことはなかったと思う。いつの頃からか家に居て、ニワトリを飼い、猫を飼い、よその犬を無暗に撫でる毎日。Tのことを思うとき、頭が良い悪いなんて人生の幸不幸には関係ないと思う。必要以上の繊細さは重荷になるだけだ。

母の介護にも限界が来て、施設に預けることになった。私は三人分の朝食作りが二人分となったが、自身のことも全うにできなくなった父の介護も少しずつ始まる。ひとりで風呂に入れなくなったので、週三回のディサービスに行くことになり、毎朝の食事もベッドまで運ばないといけなくなった。そして胆嚢炎になって胆嚢の切除手術と入院で体力が更に衰え、退院してからは自力で排尿できなくなって、フォーレ(尿道留置カテーテル)をぶら下げることになる。陰茎に管を入れて尿を排出させ袋に溜める装置で、寝ていても自然と尿は出るが、色々と不便なことも多い。一番大変なのは時々詰まること。詰まって痛がって、深夜に病院に連れていくようなことも度々あった。それから一年半後、今度は胆管炎で入院してまた手術、そして寝たきりとなって家に戻ってきた。父が寝たきりとなって、私の生活も一変した。猫と私という観点で云えば、それまで曖昧にしか知らなかったTの猫の全貌を知ることになり、猫と私の関係が変化した。
車椅子の出入りが容易な母が居た部屋に寝たきりとなった父親を入れ、時々施設から戻る母のベッドを今まで父が居た部屋に移すという大移動に付帯して家の中を片づけ始めた。月二回のショートスティ、週四回のディサービス、それが無い日はヘルパーさんが来てくれることになって、きれいにしておかなくてはならなくなった。片づけた荷物を取りあえず作業所に運んでいるうちに作業所が溢れ、作業所を片づけ始めた時に、現実をまざまざと見ることになった。それは累積した糞である。新旧、古い物は固形化しあるいは粉末に風化し、新しい物は臭い立つ。顔を顰め、しばらくその累々たる様に呆然とした。その状態は二階も同様で、糞便を片付けるのに丸一日を要した。作業所は元々農作業のための別棟である。昔はここで脱穀をし、稲刈りと脱穀を一度にする機械、コンバインが使われだしてからは大型の籾の乾燥機がここに設置された。また、出稼ぎの替わりに木工業を始めた父はここにいくつもの機械を並べて作業もした。私が地元に戻って働く頃にその木工業から手を引き、母が倒れてから農業も止めることになったので、作業所は使われなくなり、猫が住み着いたとしても支障はなかったのだ。無償ではなかったが、犬の散歩をしてもらっている手前、父はそれを看過し、いつの間にか繁栄して数を増すのもまた黙って見ているしかなかったのだろう。
Tは毎日ここに餌を運び、猫たちはぞろぞろと作業所の奥から出てくる。この光景を見ただけでも餌場はつまり住まいであることは一目瞭然だが、管理人が常駐しない住まいはつまり排泄場になることまでは考えなかった。動かせない大型の木工機械の裏に潜り込んで排泄物を搔き出し、物置になった作業所から不要な物を軽トラに積んで、小一時間掛かる隣の町の処分施設に何度か運び、こんなさっぱりしたところに脱糞はしないだろうと高をくくっていたのだが、残念なことに猫に私の意図は通じず、生々しい物を発見する日が続いた。そしてある日、人から聞いた猫忌避剤を通販で大量に買って、作業所の至る所にその白い顆粒を万遍なく撒いた。これが反猫の狼煙を上げた日である。果たして効果のほどは、と帰宅してから覗いてみると、猫が白く撒かれた忌避剤の上でのんびりと寝ていた。

結局、その後も便を片づける羽目になり、もしも猫と話し合いができるなら、作業所内で排便はしないという条件で今まで通りの使用を許可したのだろうが、お察しの通り猫との話し合いは無理だ。出入口の戸を閉めるという簡単で完全な方法があったが、猫も困るし飼い主も困惑するだろう。それに、作業所の天井には燕の巣があり、親鳥が盛んに出入りしていた。だから閉めるとしても彼らが南に帰る日を待たなければならない。

Tは猫の餌場を複数個所、わが家の敷地に設置していた。多分、派閥みたいのがあって、一ヶ所では穏やかでない雰囲気になるのだろう。1つは作業所、1つは作業所に付随した、主に冬囲いの木材などを置く屋根付きの細長い物置、もう一つは納屋である。作業所以外の二つも糞便の場所となっていることは免れないだろうが、そこまではまだ手が回らないし、それはそれで構わないと思っていた。しかし糞便の被害は全く別の場所に及んでいることが間もなく分かった。それは犬小屋が入っている物置兼車庫である。犬の寝起きする犬小屋はシャッター二枚で開閉する建物の内側に置かれている。車庫の門番のような位置取りだが、人間の門番と違って犬は繋がれている。その綱の長さ、つまり自由の範囲を猫は的確に把握して、台風でも吹かない限り閉めない、常に開けっ放しのシャッターの下を自由に行き来し、ここをねぐら兼休憩場所、あるいは遊び場としていた。つまりは排泄場所にもしていたのである。この建物の内部の壁際に二段の棚を作って雑多な物をごっちゃに父は置いていたが、糞便はその雑多な物に隠れたコンクリの床と壁の隅に列を成していた。これもまた、いつからあるものなのか、風化した物もあれば昨日今日の物もあった。ここを片づけようと思ったのはバドミントンの壁打ち練習のためだ。あちこちの壁で試したが、ここのモルタルの壁が最も適当に返ってくる。完全に糞便を排除してから、無駄だと分かっていながら、まだ沢山残っていた例の顆粒を撒き、それから犬の綱を長くして、犬の動ける範囲を広げる工夫もしたが、犬が鈍なのか猫が敏なのか、猫の侵入は変わらず、よって新しい糞便は絶えない。

更に猫に対して面白くない感情を生み出す事件が起こった。ここを夜のねぐらとしていた燕が猫に食われたことである。
燕は農家にとっては益鳥、虫を取ってくれるからだ。良い薬剤の無かった昔は害虫を取って食べてくれるこの鳥は大事にされた。だから家屋敷のどこに巣をくんでも喜んで看過された。燕の巣は泥でできていて、巣作りの時は巣の下が泥で汚れる。子育ての時期になれば糞だらけになるが、巣の下に薄い板を泥避け糞避けとして張って、巣を作ることを拒まなかった。今どれだけ益鳥としての働きがあるかは不明だが、どこの農家も相変わらず燕には愛着を感じているはずだ。燕は春に来る渡り鳥、長い冬が終わってようやくやってきた春の象徴、そんな気持ちもあるかもしれない。

この車庫にはなぜか沢山の来訪者がある。蝶、蛾、蜂など種々の昆虫はもとより、蝙蝠、狐、ハクビシンなど、私が入っていくとすぐ逃げていくもの、逃げられないもの。犬が散歩で留守の時は犬の餌を食べにカラスも出入りする。燕は季節限定でずっと居る。おそらくはここで生まれて巣立ちした燕が夜を過ごす場所とするのだろう。夏までに何度か雛を孵すので、段々と家の周りは賑やかになり、ここを塒とする燕は増える。彼らはなぜか僅か1m弱の電気コードだけにとまる。やがて五羽、六羽となって体を寄せ合いぎゅうぎゅう詰めとなるので、細い棒を隅に渡したこともあったが、それは利用しないでやはり電気コードでぎゅうぎゅうのまま、私はゴーシュのような気分になって練習を続けたのであるが、ある晩、車庫のコンクリの床に見たことのない黒いふわふわした物が沢山あって、よく見て暫時考えると、それは燕の羽毛だった。不意を襲って、逃げ惑って壁やガラス戸にぶつかり落ちる燕を捕まえるのだろう。作業の二階にも迷い込んで出られなくなった野鳥の羽が散乱していたから、こういう事態を危惧していたが、電気コードにぎゅうぎゅうだった燕はすかすかになり、やがて一羽もいなくなった。

これまで猫の事は大して気にならなかった。いや、沢山いるなと思うくらいでほとんど接点がなかった。夜中に猫同士の喧嘩で目を覚まし、それに犬が吠える声で眠れなくなり、近所迷惑だと思ってシャッターを閉めに出てまた寝床に戻ると、ますます眠れなくなることがたまにあるくらいだった。時々閉め忘れた玄関から猫が入って、台所を荒らすようなこともあったが、金品を盗るわけでもない、散らかった物を片付けるだけのことだ。それが、父が寝たきりとなり、私が屋敷の管理全部をやらざるをえなくなって初めて、一体何匹いるのだろうということになる。

真っ黒なのが二匹か三匹、三毛が多分二匹。一番多いのは白黒の乳牛模様で、判別が付かないのが五、六匹。可能なら一列に並べて数えたい。一列に整列させて仔細に違いを点検したい。競馬のスタートの時のようなケージなら、一旦入れたら前向きになったり後ろ向きになったりできないので点検には好都合だ。

車庫の燕が全滅したのを契機にシャッターの片方を常時閉めることにした。一枚だけの入口であれば犬を警戒して猫は入って来ないだろうと考えたからだが、老いた犬は完全になめられていて、二mの至近距離でも悠然と通っていく。つまり糞便は絶えなかった。犬小屋を外に出せばシャッターは閉められるが、運命に従順だったクマにこれ以上の過酷な事は強いられない。父と寝起きを共にしていたクマは父が寝たきりとなった時に、それまで昼だけ繋がれていた今の犬小屋に移したのだ。家の中に入りたくて夜は哭くのだろうと思っていたが、全くそんな様子はなく、昔からそうであったようにここで寝起きした。だからたとえ犬小屋を外に出しても文句も言わずまた従容として順応するのもしれないが、猫の糞のしわよせがクマにいくのはやはり不合理だ。

シャッターを閉めないで猫を中に入れない方法、衝立みたいな物を立て、奥に行けないようにする仕組みを考えてみたが、風ですぐ倒れそうだし、衝立の上をいくらでも往来しそうである。これは難題に思えたが、あちこち片づけているうち見つけた網で難なく解決した。育苗箱に被せたものなのか、十畳二十畳もあるようなビニール製の緑色の網、これを天井から垂らせば犬小屋から先に入らせないようにできたのである。もちろん文字通り脇の甘さから侵入されて脱糞されたこともあったが改良を重ねて完璧な守りになった。
犬の息抜き、楽しみが散歩だとすると、唯一の仕事、主張は吠えることである。散歩は残念ながら他力でしかできないが、吠えるのは任意、自由なので、気儘に吠えるのがこの犬の特徴だ。生まれた時から馴染みのはずの新聞配達員にも決まって吠える。郵便配達にも必ず吠える。害はないことを知っていて吠えるのは、吠える機会を減らしたくないから吠えるのだろう。毎日来る彼らに吠えなければ吠える機会は極端に減る。吠えることこそ唯一の社会的存在意義だとうっすらと感じてそうしているのかも知れない。ただ、私にもときどき吠えることがあるから、本当のところは目か頭が十分でないのかもしれない。しかし、狸とかハクビシンとかアナグマとか、猫以外の動物を見極めて本気になって吠えるところを見ればあながちそうとも言えない。あと、H家の犬が吠えても、それに呼応して吠える。吠えている理由が分からなくとも付和雷同で吠える。H家の犬が吠えるのを止めてもまだ吠えていることもある。猫の喧嘩にも吠える。それは猫の喧嘩よりうるさい。もちろん通常生活を送る猫にも吠えるが、あんまりうじゃうじゃいるので、吠えたてならないのか、大概は無関心の体だ。ただ、近くを通る時だけ威嚇するように飛びついて吠えるが、猫は犬が追っては来られない身分であることを知っているので、ちょっと速足になって通り過ぎるだけだ。

つまり、この犬はいかにも孤独だ。孤独で自由さえないので、私のように走ったり登ったりラケットを振ったりもできず、徒に吠えてその孤独を紛らわす。

車庫の完璧な守りに満悦していた頃、不思議な光景を度々目にした。一匹の猫が犬小屋に近付き、それに対して犬が全く吠えない。その距離はどんどん縮まり、ついには犬小屋で同居するまでになった。どういう手段でたぶらかしたのか。犬小屋の前には常にドッグフードが山盛りになった皿があって、あるいは近付く要因であったかもしれない。このドッグフード、買うのは私だが皿に盛るのはTだ。Tが散歩の前に犬小屋の上に置いた袋から補給する。深鉢に山盛りにするのが常で、犬の分としては多過ぎ、一部の猫が犬の隙を見て食べ、犬が散歩中にカラスが食べてちょうど良い量になっている。これは他も同じで(猫用の餌はTが自宅から持ってくる)、猫も食べるが、カラスも食べ、狸もハクビシンも食べている。しかし、このことをTはもとより犬も猫も知らない。知っているのは私だけだ。なぜなら、犬や猫の目を盗んでカラスはやってくるし、カラスの寝ている夜にハクビシンや狸はやってくるから。特に納屋の餌はそのほとんどをカラスとハクビシンが食っていると、餌を皿に盛りにくるTに言いたいが、言わないでいる。様々な動物が集まってくるサバンナの泉のようで面白いからだ。

犬と同居するようになった猫は多分この車庫で産まれた猫の一匹なのだろう。夜壁打ちにやってくるとさっと隅の物陰に隠れる彼らを上からぎゅっと鷲掴みにするのが楽しみだった。三匹のうち、一匹だけとろいのがいて、背中を掴んで持ち上げると空中にだらんと四肢を投げ出した、その猫かもしれない。彼らは一人前になるまでここをベースキャンプのように活動していたから、犬には大して恐怖感がなく、犬も敵愾心が薄いのかもしれない。それにクマは孤独だ。生涯初めての友達なのかも知れないと思うと引き裂くことは躊躇われる。私がシャッターを開けて入ると逃げることもあるが、壁打ちを始めても犬と一緒に寝ていることもある。ただ、気まぐれで毎晩来るわけではない。来ない日もあって、平安時代の通い婚みたいだ。来ない晩、クマは外に出て待っている、というわけでもないので、この犬は所詮、何事にもとらわれない性格のようだ。

そうこうしているうちに作業所の天井の巣から燕の姿もいなくなり、ある吉日、私は餌をくれに来たTに真新しい便を指差して作業所の戸を閉めると宣言した。繰り返し掃除をしてもこんな状態だから閉めるしかないと。無論Tに反論の余地は無く、ただ「ああ」と小声で言っただけだ。そして、猫たちは縄張りを犯し始めた私を警戒するようになった。車庫から追い出され作業所から締め出された猫たちは当然ながら私の気配に振り向いて警戒する。近づくと距離をとって遠のく。さらに近づくと逃げ出す。ばかばかしいようだが、逃げ出すと追いたくなる。もともと意地悪な性格を根底に隠している私のような人間は、猫にならその本性を隠す必要がないと思うから、猫のたまり場に死角からこっそり近づいてわっと声を出して脅し、逃散する様子に喜んだりする。夜は夜で別な楽しみも見つけた。暗闇に紛れて見えない猫もライトで照らすとその目が光って存在が明らかになる。収集場にゴミを置きに行く際(私は常に収集日の前の夜に出す)、ヘッドランプを点けていくのだが、猫の両目が暗闇のあちこちで光るので、それを追跡する。猫は自分の姿は闇に隠れて相手に見えないと思っているのか、あるいはヘッドランプに目が眩むのか、かなり近づくまで逃げない。逃げてもすぐ止まって振り向くと光る。それをまた追う。また逃げる。これを10分位繰り返すとちょうど良いウォームアップになってその後の壁打ちを始められる。

猫とのこうした接触の中で、前述したように一体何匹いるのだろうというのが最初の疑問だ。犬小屋に同居する白黒、狸のように目の周りだけ黒いやつ、真っ黒いのが多分二匹、三毛が二匹、それらは大体特定できても、他は難しい。そして、彼らはなぜあんなに立派に肥えているのかというのが、二番目の疑問。これに付随して、夜はどこをねぐらとしているのかと思うのだ。遠目、彼らは大概肥えて、でっぷりしている。Tがやる二度の食事の量を十数匹で割ると、こんなに太れる食料事情ではない。もしかして二足の草鞋、二重の生活をしているのかもしれないと推測するようになった。つまり、一方でTの猫でありながら、一方でどこかの猫としても飼われている。そして夜はそのどこかの家で眠るのだ。また別に、Tの猫が繁殖して今の多数になったと思っているが、他家の猫がTのやる餌の噂を聞きつけて集まってくるのかもしれないとも思う。一匹ずつに発信機を付けてねぐらを特定できれば面白いが、私が自力で追跡できるのは自分の敷地内までで、いくら同じ集落とはいえ、敷地を侵して猫を追うのは憚れる。しかし、私に追跡された猫は隣の家や道路を挟んだ向かいの家の敷地に振り返り振り返り去っていく。だからと言ってその家で飼われているとは限らない。私の家と同様、その家の作業所とかを無断で寝場所としているかもしれない。そんなふうに、猫の謎は深まるばかりだったが、父親の話によると(ちょくちょく差入れを父に届けてくれる前の家の叔父の妻、つまり叔母から聞いたのだろうが)、叔母の家でも猫は飼っているが外には出さないようにしているということだ。実際私も回覧板を持っていく際、台所の食器棚の上にいる二匹の猫をガラス越しに見たが、Tの猫の中にはいないタイプであった。毛並みが良く、もっと肥満だった。苦労知らずの愛玩用動物の雰囲気がして、興味は持てなかった。

猫を飼っているか、その猫はどんな模様か、と一軒一軒聞いて回るほどの問題でもない。

天気が良い日、猫は犬小屋と作業所の間で、くつろぎ、じゃれあいながらTが餌を持ってくるのを待つ。私はそれを二階から眺めて、数を数える。時には双眼鏡で個体差を調べる。私がいなければ、このように平和な風景が繰り広げられている。平和は大変結構だが、猫の排泄物は片付ける先々で見つかって辟易する。自分の車を入れる車庫は作業の東側にあるのだが、ここの物置のあちこちに小便が掛けられていた。埃避けに物を包んだビニールの袋にされた小便は乾かずに濃くなり大変臭う。また、この車庫の外側には幅メートル50㎝、長さ5m程の、芍薬やグラジオラスなどを植えた花壇スペースがあるのだが、ここには水道メーターもあるので草を取ろうとしたところが、敷石のようにびっしりと大便があって、大げさでなく腰を抜かしそうになった。特定の猫の実績でなく、多くの猫が何年も掛けてここを糞便場所と定めなければこうは成らない。花好きで家の周りをきれいにしていた母が倒れ、父がその世話に忙殺され、長男が家の管理を等閑している間に猫は自由気ままにこの屋敷一帯を住処にし遊び場にしていたことをその大量の排泄物が教えた。
猫対策、本気でやるのは馬鹿馬鹿しいが、適当にやっていても解決はしない。

言葉が通じず交渉が不可能なら排泄を物理的に妨害するしかないわけで、作業所を閉め、車庫に網をはったように、水道メーター周りには長い板を何枚も横にして立てかけて通行できなくした。それから壁打ちのついでに夜の巡回も始めた。物置に扉を付けるなんてことは到底私にできる仕事ではないので、トレイニングラケット(倍の重さ)で素振りをしながら小便の被害の続く物置を中心に家の周囲を一周する。但し、餌場の猫は脅かさない。雨の日はしない。雨の中を逃げていく姿は忍びない。そうすると納屋のハクビシンだけはめったに見なくなった。でもたまに出くわすとかえって驚く。及び腰になりながらラケットを前に出して警戒しながら、ハクビシンを大きなシャトルと想定してぐりぐりと接近する。近くで見るこの動物はタヌキやアナグマより毛が短いせいか骨格が逞しく見えるが、闇の中で近づく光にうろうろするだけで、やがてぼろぼろの納屋の隙間から逃げていく。暗闇に紛れて食べ物を探し、ついでに寝床にしたってなんの支障もないようなものだが、このハクビシンなのか別に狸もいるのか、この納屋の二階(ロフトみたいな部分)に大量の溜め糞があり、ほぼ一輪車一台分のその糞便を片付けると、その下の板は腐っていた。ここが動物園なら私が飼育員で、糞便の処理を苦にすることもないのだが。
生きることはつまり気持ち次第であることは知っている。幸せも安寧も条件ではない。心の在り様次第だ。だから、そういうものだと受け入れてしまえばかえって面倒臭くないのかも知れない。でも、糞便を片付ける私の横を、いかにも暢気に尻尾を振りながら通り過ぎる猫を憎たらしいと思わず見ることができるだろうか。

猫対応にさえ私は人生を問われている。これまでの生き方と今後の生き方さえ問われている。

その猫は最初からいたのかも知れないが、僕が気付いたのとは突然だった。第一餌場の暗闇の中の二つの目に近づいていくと、その猫は逃げなかった。二つの目は暗闇で光り続けるから私に気づかないわけではなく、じりじりと距離を詰めていくと、ヘッドランプの光の中に浮かび上がったのは右と左で色の違う目だった。ひとつは薄い青、もうひとつは薄い茶色。「へえー」と感心してしばら見入って、それからまたゆっくりと後ずさりして離れた。離れて見ても二つの目の色が違うことが分かった。

虹彩異色症、オッドアイ、金目銀目。幸運の使者と書いている記事もあった。幸運の使者・・・私はシニカルに笑ってパソコンを切った。そして、その夜であったかもしれないし、その夜ではなかったのかもしれないが、確かにその頃から妙な夢を見るようになった。

最初は全く気付かなかった。夢を見るのは毎夜のこと、同じ人間が出てきたり、同じような事態になったり、同じ科白を誰かが、あるいは僕が言ったり、とかなら、気づいただろうが、その共通性を教えるのさえ、夢の中での話だった。

私の夢は啓示に満ちている。だから夢で覚めればしばらくは眠れない。内容は支離滅裂だが感情だけが露骨な真実だ。
「笑って死ななければ生きてきた甲斐もない」と男は言った。侮蔑とも同情ともとれる、伏し目がちな目でそう言った。一般論でそう言うのか、私の何かを知っているのか、私は探りを入れる言葉を探したが、適当な言葉が見つからないうち、歩き出した男は遠ざかる。離れていくのは私の荷が重いからで、男のは小さかった。私を追い越していったのだから、そのことには気づいたはずだ。行く場所、小屋泊まりか幕営かで荷の重さが違い、歩く速度も違う。荷の軽い男になぜそんなことを言われなければならないのか、私は自分の正当性を考えるにつけ腹立たしくなってきて、登る足に力が入る気がした。傾斜が緩み、草原の中の道になった時、その道が広くなったところに男が蹲っている。休んでいるのかと思ったが、墓標に手を合わせていた。また彼が追い越すときに荷の違いを見ればよいと思い、先を行こうとしたときに、その慰霊碑の字が目に飛び込んできて、私は歩を止めた。「Kここに眠る」Kさんは昔親しかった人だった。男はたまたま手を合わせたのか、この花を添えたのは彼で、Kのことを良く知る間柄なのか。そのことと私に投げかけた言葉との関係はあるのか、心急き男の後を追うと、草原は花畑に変わって、私はカメラを出した。ハクサンイチゲ、チングルマ、稜線一面に広がる向うに麓の町が見え、それがなぜか諏訪に思えた。
あれが諏訪ならと目覚めてから考える。登っていた山はどこだろう。蓼科か霧ヶ峰か、その辺りの山を考えたが、判断する材料がない。そして、夢の中で思った疑問が蘇る。「笑って死ななければ生きてきた甲斐もない」とは、私の何かを知っているのか。

諏訪は大学の時付き合っていた女性を送ってきた街だ。年末に帰省する彼女と一緒に電車に乗って、この町の駅で降りて、街の中に見えなくなるまで見送った。でも諏訪なら諏訪湖が見えるはずだ。それなのになぜ諏訪だと思ったのか。
それにKさんのこと。苗字はありふれているが、名はそうではない。いつここで亡くなったのか、それが遭難ならどういう内容だったのか。私は供養碑の裏に回って見なかったことを悔いた。