「私らは半猫なので影が薄いです」
「私は半人前なので半猫より悪いですが、影は人並み、一丁前です。だから影のことは気にしない方が良いでしょう」
「私らはだめですだめですまるきりだめですからきしだめです後悔だけが生きる証です」
目の前の山は烏帽子岳、その後ろに見えていないが梅花皮岳があって、そこを下れば梅花皮小屋に着く。太陽の位置からして暗くなる前に小屋に着くのは難しい気がした。やがて、半猫が気にする影も薄闇に溶けてしまう。今が七月だとしても、7時半には暗くなるだろう。
所詮は夢の中の事、電波の無い稜線で、電話番号も知らない管理人のSさんに電話した。
「今まだ烏帽子岳の手前です。全員で七、八人です」
「大丈夫です。他に誰も泊まり客はいません。ところで夕食はどうしますか。猪を煮た鍋はヒメサユリの球根10個と人間バーム10片です。熊を煮た鍋も同じです。半猫丼も同じです」
「お手数かけますので食事は結構です。ではよろしくお願いします。」
コロナ禍で暇な管理人は仲買の仕事でも始めたのだろうか。ヒメサユリの球根と人間バームは高価な値段で転売されているのかもしれない。梅花皮岳に着く頃には足下さえ見づらくなったが、右に白く見える石転びの沢に近寄らないように気をつけて坂道を下った。私と猪使いの巫女は敢えて明かりを点けずに先を行き、後からヘッドライトを点けた半猫らが続く。小屋の後ろに回って、窓から中を覗くとSさんらしき人がぐるぐる巻きにされて横たわっていた。猿ぐつわもされた彼の周りで三人が酒を飲んでいる。それはおそらSさんの酒だろうから、二重の意味で悔しいだろう。Sさんの酒と自由を奪った三人は、ヒメサユリの球根と人間バームを手に入れ、首尾良くいけばぼたん鍋と半猫丼もごちそうになろうという魂胆らしい。無闇に踏み込んで一升瓶を割ったらSさんに申し訳ない、ここは更に酩酊するのを待つかと思うのは私だけで、猪使いの巫女が玄関から乗り込んで三人を殴り倒し、Sさんを縛っていたロープで三人まとめてぐるぐる巻きにするのを私はただ窓から見ていた。私に残った仕事は三人を検分することである。
背中合わせで胴体を縛られた三人は、儲け話と酒に酔っていたところをいきなり殴り倒されたので、全く意気消沈してぐったりとうなだれていた。開いて萎んだ一日限りのニッコウキスゲの花弁のそれぞれをライトを照らして右から見て左から見て、下から覗いて分ったことは、三国の小屋のマダムと管理人。三国の小屋でヒメサユリの球根を横取りされた二人は、先回りにしてここに来たのだろう。もうひとりは見たような見ないような顔で、私が首を傾げていると、半猫丼を免れた半猫のいずれかが、人間バームの一片を手に持ち、それを男の顔になすり付けた。「こうして、こうして、紙をこうして押しつけて拓本を取りましょう。いつもは小麦粉を使いますが、これでもできます。拓本の方が特徴がよく分ります」
半猫が差し出して見せた拓本は確かに人の顔が黄色の凹凸で表現されていたが、私が彼を思い出したのは、その拓本のためでなく、首に双眼鏡をぶら下げていたからである。門内小屋に居た郵便夫は確かに我々と同行して門内小屋を出たが、同行者が多過ぎて、どこで離脱したか分らない。もともと定まった役は無いので、御西とか飯豊本山の小屋で長居している時に出会った二人の儲け話に乗ってやってきたのだろう。生々流転、どんな人間にも勲章は必要だ。首から提げた双眼鏡がなにかしら理由のある彼の勲章に違いない。