オッド・アイTの猫とその一味第41話「束の間の7月」

頂上から北には関川村を見下ろすことができる。そこで私の本物が私の良く知る日常を送っている。

目を転じて小屋側を見れば、飯豊の山々の連なりが見える。一番奥に飯豊本山、そして烏帽子、梅花皮、北俣、地神・・・おや、また登山者が来たようだ。

今日二番目の登山者も鼻を真っ黄色にして到着した。しかし、向こうが名乗ったので命名する必要はなかった。

「私は郵便夫のバカンスです。貴方に手紙を持ってきました」

すると前述の郵便夫が「私も郵便夫のバケーションです。バケーションと呼んでください」

名前からして彼らは休暇のつもりでここに来ているようだ。

「また近況をお知らせします。父の二度目の手術が無事終わりました。前述のように一度目は通りが悪くなった胆管の中にプラスティックの管を入れる手術でしたが、今回はプラスチックの管を取り除き、もう少しの径の大きい網の管を入れ、細くなった胆管を広げようというものです。前回の手術後、熱は下がり、食欲も戻ったので、今回の手術に発展できたのです。二度目の手術が一昨日で、その後病院の方から何の連絡もないので経過は良好と思っています。さて、その二回目の手術の日は今年一番の雪となりました。午後休んで仕事場から病院に向かったのですが、コンビニから左折して290号線を新発田に進むと、やがて前にのろのろ運転のトラックがいました。雪道なので仕方ないと思い、50キロでついていくことにしました。大体がこの裏道、ほとんど追い越し禁止です。道が大きく曲がる時にトラックは更に速度を緩め、荷台の荷物が見えました。荷物は沢山の豚でした。大きな長方体の荷台に開いた窓から豚の頭が見えました。多分それもあってトラックはゆっくり走っているのです。それで改めて後ろのナンバープレートを見ると、宮城ナンバーで、その上の車体には「東北畜研」と書かれていました。豚はこんな寒い日に裏日本の辺鄙な田舎道を裸のまま揺られて、はるばる宮城からどこに連れていかれるのでしょう。揺られる度、豚は鳴いているのかもしれませんが、車が雪道を走る音で聞こえません。同じ生き物としていかにも哀れでしかたない。やがて市街地に入ると、もう学校が終わったのか、下校する中学生達が戯れながら路肩を歩いていました。今度生まれてくるなら、能天気な中坊に生まれてきなさい、と強く思いました。私の放浪する半身、貴方は豚ですか中坊ですか、いずれにしても、貴方の納得いくまでそこでお過ごしください。

 追伸、風呂場のプラスティックの椅子が壊れました。ひびが入っただけですが、そこに尻の皮が挟まり、立ち上がる時、声が出るほど痛いです。もう使い物にならないので新しいのを買おうと思っていますが、毎日忘れて、毎晩痛い思いをして思い出すのです。風呂場の椅子に尻の皮を挟むという稀有な経験を重ねています」

豚の一節からして私の本性は感傷的である。また、私が豚でも中坊でも誉め言葉ではない。おそらく、ここにいる私に羨望を持っているのだろう。追伸はそれを胡麻化した形になっている。

「僕はここにしばらくいるつもりだニャー」

「僕もしばらくここにいるつもりだニャー」

二人の郵便夫、バカンスとバケーションはそう言ってごろごろしていた。日差しの強い日中は小屋の陰で過ごし、和らぐとどこかへ行き、鼻を真っ黄色にして帰ってきた。鼻黒医師によると

「昔は猫も言葉を使いました。あんな風に語尾にニャーを付けるのが猫語です。でも大したことは言わないし大体推測もできるのでニャーだけで済ませるようになりました。そのうち言葉も忘れて今はニャーだけです」

 ここが大変気に入ってずっといるようなことを言っていたバカンスとバケーションは申し合わせたように三日後に下山した。ずっと居るには私のような労働か、あるいは屈託が必要なのだろう。二人には持て余す程のそれが無いようだった。