御嶽山の噴火からちょうど10年が経った。最悪のタイミングで噴火して多くの犠牲者を出しし、長らく登山も禁止となっていたが、少しずつ規制が緩和され、最高峰の剣ヶ峰まで行けるようになった。中ノ湯登山口8:42≫9:40行場山荘≫10:51女人堂≫2:15石室山荘12:30≫12:48二ノ池分岐≫13:15頂上13:45≫14:00二ノ池周辺14:15≫14:55石室山荘≫15:30女人堂15:40≫16:20行場山荘16:35≫17:27中ノ湯登山口
ロープウェイに乗ると最終の時間16:30に束縛されて、納得いくまで眺望を楽しめないと、黒沢口(中の湯コースから入ることに。ホテルの夕食はないので明るいうちに下山すれば良い。
最初は眺望の無いコメツガの樹林帯
行場山荘に着いて、覚明(かくめい)霊神にお参り。覚明上人は御嶽山の開祖。その布教から御嶽山信仰が始まったという。
女人堂で一気に視界が開け、頂上まで見えるようになる。
高橋さんが熱心に見ていたのはルート表示の掲示板。下山に使う予定の道が通行止めになってることに気づいた。その後石室山荘の管理人さんに確認すると、残雪が多く、危険な状態だと言うので、同じ道を戻ることに。
女人堂周辺に沢山咲いていたイワギキョウ
御嶽信仰の象徴、霊神碑。死んだら魂が御嶽山に戻れるよう、信者が建てるのだという。
少し登って振り返ると、中央アルプスとその後ろに南アルプス。左端に南アルプスの甲斐駒、中央に木曽駒と宝剣岳。右寄りに空木岳
中央アルプスを振り返りながら登る
ヘルメット装着
昨日登れなかった恵那山
石室山荘で昼食のおにぎりを食べる
ここは二ノ池との分岐
頂上直下
噴火対策のシェルターの脇を通って頂上へ
頂上に続く階段の傍に噴火で亡くなった方の名前を刻んだ慰霊碑が建てられていた。10年前の天気の良い九月の日曜日、今日の我々と同じ気持ちで登ってきた多くの登山者が突然の噴火で命を落としている。
同宿のオランダ人家族はロープウェイ利用で既に登頂していた。そのご主人に撮ってもらった。
中央アルプス、南アルプスを背景に
眼下に見えるのは二ノ池と二ノ池山荘の本館と新館。最奥に北アルプスが見えている。
奥の中央が乗鞍。その左に野口五郎、水晶、劔、立山、三角形の笠ヶ岳、薬師と黒部五郎。乗鞍の右に槍ヶ岳、そして奥穂、吊り尾根があって前穂、ずっと右、雲に半分隠れたのが常念
こちらは中央アルプスと南アルプス。中央やや右の奥に富士山が見えるとオランダ人家族に教えると大変喜んでいた。手前やや左寄りに木曽駒、小さな針のように尖がったのが宝剣岳。その山並みが続いた右、雲のかかった左が空木岳、右が南駒。後ろに南アルプス、左から鋸岳と甲斐駒、仙丈ケ岳、三角に見える北岳、間ノ岳と農鳥の頭がわずかに見え、富士山、その右横に塩見岳、ずっと右に悪沢岳と中岳、そして右端は赤石岳
頂上を下って
水の涸れた二ノ池の畔を歩く
三ノ池からの下山道(女人堂に直接つながる)は残雪で通れないということで、二ノ池の先でストップ、ここから引き返す。後ろは左に摩利支天、右奥が継子岳。
二ノ池山荘でトイレ休憩
中央アルプスを見ながらの下山
下山は石室山荘の横を通る。
イワツメクサ
女人堂で休憩。ここにロープウェイで下るはずのオランダ人家族がまだ居て、時刻は3時50分。池田さんが地図を持って話しかけ、ロープウェィの最終便が4時30分であることを教えると「I know!」という返事。ところが「I know!」でなかった。
行場山荘でコーラを飲む
ロープウェイとの分岐を過ぎた時、下からオランダ人家族の旦那と子供一人が大慌てで登ってきた。時刻は4時40分、とうに最終便を好きでいる。もう最終便の時間が過ぎているとつたない英語で終えると「I know!」と言って去っていったが、ロープウェィの山頂駅と麓駅を結ぶ登山道は無い。高橋さんが心配して追いかけた後の二人の様子。高橋さんが四人を連れて戻ってきたら、一緒に中ノ湯の登山口まで下山し、家族をロープウェイの駐車場まで送らないとならない。
家族は無事ロープウェイに乗り、我々もほっとして最後の道を歩く。
登山口到着。帰り道に驚いたのは麓の集落に建てられた霊神碑の多さ。調べると全部で二万基あるそうだ。
この日は帰途に昨日のイオンに寄ってホテルに戻った。オランダ人家族もやはり連泊していたが、会ったのは明朝、ホテルを出る時で、彼らもよほど疲れたのか、遅い朝食を取ろうという時だった。