オッドアイ・Tの猫とその一味 第二回「Tの罠にまんまとはまる」の巻

夢の続きが見たくてすぐ眠り、稀に夢の続きが始まることがある。しかし、目覚めた時の疑問や感情が反映されてそれは意図的なものになりがちだ。慰霊碑まで戻って、その裏に書かれた文字を読んだら例えばこんな風に書かれているだろう。「平成10年9月10日Kここに眠る」

それは半ば夢であって、半ば想像だ。
そして朝思うことは、九月ならまだ雪は無いだろうから、雪崩とか凍死ではないだろうと。滑落するような山道ではなかった。病死か、と私より三つ上だったはずのKの、平成10年の年を考えてみる。今から22年前なら私が41で、彼は44。碑を建てたのは誰だろう。あれから結婚して連れ合いがいたのか。それとも岩手の両親か。夢を検証する不毛な想像をしばらく床の中で続ける。
起きてからも気になって山の地図を開く。蓼科山からも霧ヶ峰からも諏訪の町は多分見えない。諏訪湖の北東は1,000m程度の丘陵になっていて、それが蓼科からも霧ヶ峰からも諏訪の町を隠している。念のためパソコンに入っている蓼科に登った時の写真も見たが、やはり諏訪湖らしいものは写っていなかった。ではどこの山だろう。なぜ諏訪の街だと思ったのか。

また別な日。私は川で魚獲りをしている。水眼鏡を頭に掛け、五本ヤスを持って川に潜って魚を突いている。頭だけ潜って石の下にいる魚、虹色に光る魚を突こうとしている。それを突いて、橋の上で見ている女性に見せたいと思っている。虹色の魚はヤスを突こうとしたときにさっと逃げたが、再び潜るとまた同じ所にいて、躊躇せず突き出すと今度は突くことができた。突いたままの魚をかざして、橋の上の女性に見せようとしたが、よそ事を考えているのか、声を上げたり手をふったりしない。つながっていた心が離れていく切ない気持ちがこみあげてくる。もっと大きいのを突こうとまた潜ると、また石の陰にいたが、きれいだけどそれほど美味しくないと言われたことを思い出して突くのを止める。頭から水眼鏡を外しながら岸に戻り、今日獲った、二匹の魚が刺されている柳の枝を川に流す。橋の上に女性の姿はもうなかった。
その日の仕事帰り、その橋まで行ってみた。ここは村の駅伝で通るところで、地域の練習の時は良く走って通過した場所だが、最近は行ったことがなかった。橋の上からは確かに川が良く見渡せて、東京で浪人していた時代、帰省した夏にここで沢山の鮎を突いたことを思い出した。橋の袂、夢の中で女性が立っていた場所に自分も立って、どこに去ったのか四方を見た。

また別の日、別な朝。右が崖、左が緩斜面の非対称形の尾根道を歩いている。晴れたかと思えばガスに覆われるのは高い山の特徴、だから先行する登山者は見え隠れする。急坂を登り終えると一ノ倉の標柱があった。それを見てようやく自分が谷川岳の馬蹄形縦走をしていると分かる。一人なのはなぜか。YもWさんも来たがっていたのに、一人で来たのは下見のつもりか、いや下見の必要なルートでもないはずだと思いながら先行者を追う。そしてだいぶ近づいて先行者のザックの大きさを見た時に自分の背負ったザックが随分小さく軽いような気がして、もしかして日帰り装備で来たのかと急に不安になる。今なら引き返せるが、と思うと足は遅くなり、先行者の姿が見えなくなった時、突然ガスの中に山小屋が現れた。「会者定離」という看板が掛けられている。山小屋らしくない文句に管理人のセンスを疑ったが、裏には盛者必衰とか書いてあるのかと思ってひっくり返すと「山鯨時価」と書いてある。飲み屋の看板でも持ってきたのだろう。今日のうちに下山できない場所にいるならここに泊まるしかないと財布を持ってきたかどうか気になりだした。思い切ってザックを下ろすと、日帰り用のザックだと思っていたのが実は大きい縦走用で、これならテントもシュラフも財布も入っているはずだとほっとする。泊まってもいいが泊まらなくてもいい、そんな余裕が出てきたので、看板の下がった戸を少し開けて覗いてみた。中ではバトミントンをしていた。シャトルには小さな落下傘みたいのが付けられている。笑い声もなくひたすら打ち合っているので遊びではないようだ。高地トレーニングなのだろうかと興味津々で見ていると「どうぞ入って本格的に見てください」と声を掛ける人がいて、一緒にバドミントンをしているSさんだった。確かに登山もできるしバドミントンもできる、なんて良い企画なのだろうと最初は感心したが、でも疲れて山小屋に辿り着いてバドミントンする気になるかなとも思う。そしてシャトルを打っている一人が桃田のような気がして「桃田ですか」と聞くと「旦那です」と言う。「え、桃田が旦那なの」「旦那は桃田でなく丸森です」。どう見ても桃田だと怪訝に思っていると「桃田の本名は丸森です。丸森だと勝てる気がしないので桃田にしました」「へえ」と僕は言ったが、感心して良いのかどうか分からなかった。「山の上だと同じ運動をしても心肺機能が高められます。でも空気が薄いのでシャトルが飛び過ぎます。だからシャトルにパラシュートを付けて減速させます。最高でも200キロしか出ません」そういう説明を聞きながら練習を見ていると、桃田の相手をしているのがKさんだと分かった。パラシュートを付けたシャトルなら桃田の相手を彼女でもできるのかと思いながらも、私の知らないところでこういう練習をしているのが悔しいような、切ない気持ちになった。

目覚めて、桃田は芸名なのかと今更感心している。でも勝てなくて名前を変えたのならずっと前のことだろう。その頃からSさんと桃田は交流があったのだろうか。なにより桃田のスマッシュを一度受けてみたかったと悔しがる。でもパラシュートで減速した桃田のスマッシュを受けても桃田のスマッシュを受けたことにはならない気もした。寝たままスマホでバドミントンのできる山小屋で検索する。桃田、高知トレーニングでも調べる。谷川連峰の山小屋は大抵知っているが、そこに限らずそんな天井の高い山小屋はあるはずもない。

大概の夢は目覚めた時には忘れている。生々しい感情が動き、その感情で目覚めた夢でさえずっと覚えていることはないのに、詳細を逐一思い出せるような夢を見るようになった。だから昼休みにSさんの顔を見ると山小屋のことを思い出し、桃田のことが口に出そうになる。

授業が行われている大講堂に遅れて入る。(こういう場合、僕は留年を続けている学生で、同級生はとうに卒業しているので顔見知りはいない。そして必ず遅刻していき、満杯で席を探すのに苦労するのだが)満杯でなくほっとするが、空いていると思って近づくと鞄が置いてある。前の方でも構わないと背広を着た男の横が空いていたので座る。しかし、この男は講師のようで、今教壇で話している講師と代わる代わる話すようだ。この講師の横にテレビが置かれていて、喋っている内容と関係ある映像が映し出されているようだが、それを見るためには後ろに移動しないといけないので、諦めて鞄から教材を出そうとする。その時、中身を落としてしまう。なぜか携帯用の、布でできた薄いスリッパもある。それは手を伸ばしてすぐに拾えたが、転がっていって拾えない物もある。確かに夢はそこで途絶えたのに、財布とバナナと老眼鏡と、転がっていって拾えなかった物をいつまでも覚えていた。財布には僅かなお金しか入っていないはず、それを人に見られるのが嫌だという気持ちが尾を引き、思い出しては鞄を広げて財布があることを確かめ、夢だったと改めて思う。携帯用のスリッパも入っていないからやはり夢だと。

広くて薄暗い倉庫のような建物の中で大勢の人と向き合っている。彼らは上板橋で塾講師をしていた時の教え子で、成人したのを機に集まり、私を呼んだらしい。請われて私が話し始めると彼らは一斉に私に背を向けた。コロナ対策の新しい習慣だとすぐに察知したので私は滞らず話し始めた。「君たちが小学生の時、僕は7年いた大学を卒業したばかりでした。塾で働いた四年間はその後の人生を考えると、長いようで短かったですが、想い出は夏の山で見た花のようにいつまでもきれいで輝いていました」と喋り始めながら、二十歳で集まった会なら私自身はいくつなのだろうかと思っている。四年生から六年生までを教えた期間は4年間、28歳から31歳まで。四年生は10歳、最初の年に教えた子たちだとしたら私は今38。38なら新潟から戻って資料館に勤め始めた頃と、自分の年を考えているうちに夢は覚めた。そしてうつらうつらしながら、小川、松尾、佐藤、入山、久松・・・と、当時の子供たちの名前と顔を思い出せる限り思い出そうとしたが、夢の中に出てきた子供の顔はひとりもいなかった。そして夢の中で二列三列に並んでいた子供たちは二十歳のはずなのに背丈も顔も小学生のままだったのを今更不思議に思った。

そして夢で目覚めた時に、自分が今どこに居るのか分からなくなる。東京にいた頃はよくあったことだ。目覚めた時、自分が今どこにいるのか分からない。浪人し始めた時に最初に住んだ和光市の、線路のそばのアパートなのか、公園の横のアパートなのか。西船橋なのか、上板橋なのか、それとも実家に帰ってきているのか。ぼうとしながら布団の中で考えて、はっきりとしてくるにつれ、だんだんと現在を認識する。
現在、夢の帰結は実家だ。私1人しかいなくなった家。犬と沢山の猫が集まる家。

収蔵庫で資料の整理をしていると、山小屋にいるように錯覚する。やっと着いた山小屋で自分の寝る場所を決めて、ザックから寝袋を出したり食器を出したりしている。飯豊の梅花皮の小屋、梅花皮岳から続々とパーティが降りてくるのが見えたから、じき満員になるだろうと思われた。広く場所が取れるうちに食事を済ませたいと思うと、そんなにのんびりもしていられないのに、YもWさんもIさんもいない。水を汲みに行ったのだろうかと立ち上がって窓の外を見ると、なにやらでかい花の周りに大勢が集まっていて、その中に三人もいる。花の名が分からなかったらなぜ私を呼びに来ないのだろうかと少し面白くない気持ちになりながらも、あんな大きい花は自分も覚えがないと思うと、なぜか益々疎外感が増してくる。いっそ自分も水を汲みに行って、その花を見てみようと階下へ降り玄関の戸を開けるとそこは駐車場で、目の前にある自分の車を見てここは歴史館だと気付くのであるが、実際はまだ収蔵庫に居て、両手で二宮尊徳の頭を持っていた。
犬の吠える声で目が覚めた。繋がれた犬の自由は、吠えるか吠えないか。犬小屋の中に居るか犬小屋の外に出るか、くらいなのだ。退屈でも買い物に行くこともできないし、体力づくりに近くの山に登ることもできない。労働の無い奴隷とも言える。だから犬には同情している。せめて吠える自由は束縛したくないとは思っているが、夜中に吠えるのには辟易する。近所迷惑だと思えば放ってもおけないから、シャッターを閉めに起きないとならない。月の無い夜、玄関に置いた懐中電灯を持って外に出ると、犬はまだ盛んに吠えている最中で、猫の餌場、作業所脇の冬囲い置き場に向かって吠えていた。犬を小屋の中に入れ、シャッターを閉めてから、そちらに電灯を向けると二個の目が光って、近づいていくと左右の目の色が違うオッドアイだった。二度目だが、最初に見た猫と同じかは分からない。ただ、逃げようとしないのは同じで、懐中電灯をその目の前まで持っていっても、異なる色の目を向けたままだ。そして
「右の目は未来。左の目は過去。変えられないのは現在だけ」と言った。
そこで途絶えた記憶をその朝布団の中で思い出していた。犬の吠え声で目覚めて外に出たのは夢か。猫が喋った後の記憶がないから、それで終わった夢だったのかもしれないとその時は思った。

しかし、新聞を取りに外に出た時、犬小屋のシャッターが閉まっているので開けに行くと、いつも玄関に置いてある赤い大きな懐中電灯が作業所の脇にあるのに気付いた。深夜起きてここに来た事は確かだと思うと猫の科白がまた蘇った。誰かの声に似ていたような気もする。「右の目は未来。左の目は過去。変えられないのは現在だけ」
ごく近しい人だったような気がするその声を思い出そうとした。現在接している人から始めて過去に遡り、新潟の塾、上板橋の塾、大学、浪人、高校、そして小中学校。名前は思い出せなくても不思議と顔は思い出せる。そしてその声は何となく覚えている。しばらく考えたが合点するような人物には思い至らず、そのうち「なごり雪」のイルカの声に似ているような気がしてくると、それからずっと頭の中でその歌が流れていた。

犬、朝は日向を求めて車庫の外、コンクリートの上で横になり、日差しが強くなると日陰を求めて車庫の中に移動する。与えられる食事と水で満足し、なにも持たず、求めず、時間さえ惜しいとも思わず生きている。黙然として座り、気儘であっても逸脱しない。
犬は私を見ても自分だとは思わないだろうが、私はそんな犬を見て私だと思う。それが犬と私のたったひとつの違いだ。でも、犬は犬、人は人のまま、今までもこれからも。

母なら時々は犬を丸ごと洗ってもやっただろうが、母が倒れてから飼われた犬は一度も洗われたこともなく今に至っている。夏の暑い日に盥に水を入れて何度か洗うことも試みもしたが、必死に逃げようとして洗えるものではなかった。だから生まれてこの方風呂に入っていない犬は、とても犬臭い。全体犬臭い犬の耳を引っ張りながら、今日の夜は吠えるなと念じる。あまり強く引っ張ると手を噛まれるので注意しながら。
体育館に大勢集まって1,500m走の競走が始まった。生徒用の机を丸く並べたその上を走る。一周が何mなのか分からないがとにかく机から落ちないように走り始める。最初は沢山の参加者がいたが、次々と落ちてやがて数名になりスピードも上がった。そして私1人になって優勝が確定し、あとは記録だけだと思って必死で走っている時に係員が机を一つ抜いたので落ちそうになる。机を抜くことがゴールの合図だと言うが、突然目の前の机を抜かれたのでは危ないからピストルを鳴らすとかした方が良いと私は抗議する。マラソンの夢は良く見るが、大概は体が重くて思うように走れず、優勝どころかゴールの場面さえないが、特殊なレースではあっても完走し優勝したのは嬉しかったのだろう、机を抜かれた不愉快な思いは目が覚めた後に引きずらなかったが、この時も自分がどこにいるのか分からなくなった。マラソンに出るために来たどこかの町なのか。上板橋なのか、西船なのか和光市なのか。そんな風に最初の倒錯は目覚めに始まった。見ていた夢があまりにリアルで、むしろ布団の中にいる自分に現実味がない。階下に降りてコーヒーを飲んで、新聞を取りに玄関に出ても、朝のぼうとした頭ではむしろ今の方が現実感が無い。

現実にはマラソンの大会でトップでゴールテープを切ることは不可能だ。だからせめて夢で見たいと思うが、そんな儚い希望さえ実現させない。夢もまた儘ならない、不自由なものだ。奇抜な状況、展開でありながら現実を基本として逸脱しない。キロ3分を切る世界最高ペースに付いて行き、徐々に脱落者が出る中で、ラストスパートしたアフリカの選手にも振り切られず追走、最後は逆にラストスパートして優勝。こんな夢が見られるなら毎日寝るのが楽しみだし、毎朝ご機嫌で起きられるのだが。
夢の中で、これは夢ではないかと疑っても夢である確証を得ることは難しい。現実の中でまた同様で現実かどうかの確証を現実の中で得ることは難しい。ただ、マラソンで優勝する場面があれば間違いなく夢の中だ。

猫の数が減っていると叔父が言う。いい塩梅だが、鼠は増えるだろうとも言う。猫の数が減っているのは誰かが食べているからだとも。猫の餌に眠り薬を入れて、それを食べた猫が木の上に登ったら、下で大きいタモを持って待っていると、程なくストンと落ちてタモの中に入る。そんな方法を知っている叔父を私が疑いの目で見たのを察知したのか、そうやって猫を捕まえているのはTだと言う。でもTならそんなことをしなくても猫の餌をここに運んでくる時に何匹も纏わりついていると言うと「Tが狙っているのは特殊なやつだ。右と左と目の色が違う特殊な猫だ。しかも死んでも目の色が変わらないやつだから、殺してみないと分からない」

猫が生き甲斐に見えるTがまさかと思ったが、目覚めても気持ちの悪い夢だった。ただ、思い当たる節が無くも無かった。それはひと月前くらい、車庫の二階に猫が子どもを産んだとTに言った時のことだ。「どんどん増えていって一体どうするつもりなんだ。餌代だって大変だろう」と言うと「どんな色の猫だ」と珍しく口を開いた。色を聞いてなんになるんだと思いながら「真っ黒とあとは白と黒の二色が二匹」。するとTは全く興味がなさそうに「はあ」とだけ言った。猫の色に関心を持っている。沢山増やしながら珍しい毛の色、配色を目指しているのだろうか。例えば錦鯉みたいに、とその時は思ったが、叔父の話を聞いて、白猫にオッドアイが多いとウィキペディアに書いてあったことを思い出した。
本当のオッドアイは死なないと分からない、のか。そして本当のオッドアイを食べる理由はなんなのかと、思うと朝から身震いした。

夢だと思っていた叔父の話も日が経つにつれ夢のようには思われなくなる。現実より鮮烈でいつまでも忘れなられなければ現実より現実的だ。

暗くて長い廊下を看護師のあとをついて歩き、診察室に入ると医者は私に背中を向けて机で書き物をしている。前の患者のカルテだろうと椅子に座って待ちながら、ベットの横の壁に掛けられた絵を見ると山の絵だった。どこの山か、この先生は山が好きなのかと思いながら絵に描かれたサインを読もうとしたが離れていて分からない。近付いてみるのは憚れたので先生の方に視線を戻した。そしてこの時に自分はなんでここに居るのか、どんな症状があって診に来てもらっているのか分からないことにはっとした。医者が振り向けば開口一番聴かれることなのに思い出せない。どこが悪くてここまで来たんだったか、と思い出そうとした時に医者が振り返った。医者の目は左右の色が違うオッドアイだった。
「現実でないような、夢を見ているような気持になるのは現実感喪失症という病気ですが、病気というほどのことではなくて、疲労から来るひとつの症状です。ひどく疲れると食欲が無くなるのと同じです。今は現実感喪失症に効く良い薬が流行っていますからそれを出しておきます。白い猫と黒い猫と白黒の猫とをそれぞれ一匹ずつ同じ袋に入れて数分間振り回して作った薬です。これを一日三回一週間飲んでみてください。途中で良くなっても最後まで飲んでください。余って薬を人にあげる人がいますが、一週間飲まないと効き目が無いので貰った人もまたここに来ることになります」

「はい、わかりました」というと医師は椅子を回転させて机に向かい何かを書き始めた。そして

「私も時々は飲みます。私の場合はまだ三級ですが、この薬を飲まないと現実と夢の区別に苦しみます。何度も死んで何度も生まれ変わり、時々医者で時として画家です。無名で極貧の画家です。だから白いのと黒いのと斑のやつとを袋に入れてぐるぐる振り回します。この病院の周りには野良猫が多いので助かります。普段から食べ物をやって警戒心を無くしておくのが一番の手です」
「あなたには二番目に効くやつを出しておきます。これを飲んでいる間は、自分より努力していない人の言葉は聞かないようにしてくだい。そうしないと効き目が薄れます」
「先生、私は何級なんですか」
「その判定は簡単ではないのです。時々4級になったり時として特級になったりしますから。ですので二番目に効くやつで様子を見ます。7日間飲んで夢も現実もいずれも肯定的に受け取れれば合格です。合格の2級です。まだ拘っていらっしゃるようでしたら特級でしょう。特級には特級の処方があります、では」
医師はこれ以上の質問を遮るように最後にそう言った。私は脱いだ上着と鞄を持たされて廊下に出たが、左右どちらに行けば良いのか分からなかったのですぐには歩き出せなかった。すると診察室の中からギューという音に続いてグルングルンという音が聞こえた。猫を袋に詰めて、そして振り回す音だろう。私の薬だろうか、それとも自分自身だろう。あるいは一週間後のための特級だろうか。私はどんな風に薬ができるのか覗いてみたい衝動に駆られたが、次の患者が看護師に付き添われてこちらに歩いてきたので、足早に歩き始めた。そして彼は特級だなとなぜか思った。つまり、今診察室で作られているのは彼のための薬なのだ。

はっきりとした夢は逐一思い出せない昨日より現実だ。医師との面談の後、私は何度か処方されたはずの薬を探したし、その病院にどうやって行ったかを思い出そうとした。しかし、薬は無く、病院に心当たりが無かったから夢かと判断するのである。
暗い廊下を歩きながら一週間分の薬をちゃんと飲んだかどうか自問自答していた。もし飲んでいなかったら再びここに来るのは無意味だし、医師からもそう言われるだろう。薬を飲んだからこそここに来たのだと自分に言い聞かせ、効果ははっきりしないと言うことに決めて診察室のドアを開けた。医師は机に向かった書きものをしていたが、着ている物が関川マラソンのTシャツだ。出たことがあるのかと聞くべきなのかどうなのかと思っていると椅子を回して振り向いた医師は「走りながら猫を探します。2時間も3時間も探す時があるのでとても良いトレーニングになります。ですから実際のところは薬よりこのランニングが病気には良いのかもしれません。結果よりも手段が大事という典型だと思っています」
医師の顔が誰かに似ていることに気づいたが、その誰かを夢の中で思い出したか、あるいは夢から覚めた後気付いたか、どちらにせよ思い出せない。思い出そうとすると、死んだ岡本の顔がなぜか浮かぶ。眼鏡をかけた白い顔、ニヒルで自嘲的な笑み。彼の父が医者だったからかもしれない。そしてまた薬を探す。「すべての人を相手にはできない。自分が尊敬できる人、好きな人だけを相手にすることが大事だ」とは夢の中て医者が言った言葉なのか、昔岡本が言ったのかは分からない。

高田馬場の酒屋で二人は一本ずつ缶ビールを買って新大久保の方に歩き始めた。車の多い駅前の通りから路地に入ると線路沿い、おそらく山手線沿いの静かな道になった。どちらかが電車の中から満開の桜を見つけ、そこに行こうと言い出したのだろう。ようやく岡本の小説が早稲田文学に載り始めた頃だったが、三月で卒業だった。だから卒業祝いの花見でもあった。道の脇の小さな公園に着いた。新しい公園に植樹されたような若い桜の木がまばらに花を付けていた。電車から見たのはこの桜ではなさそうだったが、ビールを早く飲みたいのと、それを入れた袋が重くなってきたので、ベンチに腰を下ろした。ひっきりなしに電車が通り、会話は遮断されたが、大したことも話さないので、声も張り上げず、繰り返しもせず、思いついたことを話す。我々の長くて短い学生時代の終わり。岡本がワイシャツの上に関川マラソンTシャツを着ていることに気づくと、「ああ、あの医者はやはり岡本だったのか」と思う。「こんなもんだ」と岡本が言う。「そういうものだ、か」と何も考えず答えたが、脈絡が無い気がして、思い出そうとしている。作家になれず死んでいった自分のことなのか、咲いては散り、散ってはまた春に咲く桜のことなのか、故郷に帰って徒に屈託した人生を送った私のことなのか。犬と猫が描かれたTシャツには「ちがワンでニャンでニャンでニャン」と書いてある。違うのではないのでないですか、という方言だ。
「それは違うんじゃない」とお互いに言い続けた。分からないと言うことが分かることへの愛だと思って。
また大事なことを聞きそびれたか言い忘れた気持ちになって診察室の前の廊下に出る。右に行くべきか左なのかまた迷う。どちらにも人の気配がないから、迷っているとまた右の奥から次の患者が看護師のあとについて歩いてくる。若い女性だった。そして彼女にも見覚えがあった。昔だけれど、どれくらい昔か分からない。高校以前か、大学の時か、新潟時代か、ここで働き始めてから出会った人か。多くの人の顔を思い出せるから決して記憶力が劣ってきているわけではないと思いながら一日を費やしたが徒労だった。見覚えがあると思ったのが勘違いかも知れない。
「残念!Tの罠にまんまと掛かる」
 犬と半同棲する猫は私の壁打ちにも慣れて犬小屋から出なくなった。逃げれば追うが逃げなければ追えない。犬にも多分こういう過程で近づいたのだろう。なぜ、近づく必要があったか。ふとそんな疑問が浮かんでラケットを振る手を止める。なぜ何年たっても猫は一定数以上増えないか。なぜ、Tは夏でも毛皮の襟巻をしているか。恐ろしくもあり愉快でもある想像をしながら壁打ちを続ける。強く打てば強く返る。弱く打てば弱く返る。世界はある意味物理的だ。

暗闇に人影があって、ヘッドライトを向けるとTだった。夜ゴミ収集場のわずかの往復で人に会うことは稀なので驚いたが、Tは私が近付くのに気付いていたらしく、光が当たるとさっと背中を向けた。愚鈍な動きしかしないTらしくないと思ったが、そのまま自分の家の玄関には向かわず、家の後ろの作業小屋の方にゆっくりと歩く。そこは鳥小屋だ。そこで十羽ほどの鶏を飼い、その卵を売って得る金がTの収入になる。Tが鳥小屋に入ると明かりが点いた。こんな夜中になにをしようというのか興味が湧いたが、私と会ったからには見られて悪いようなことはしないだろう。
大きくて青いプラスティックの盥の中に白黒の猫が大の字になって仰向けに寝ていた。私はなぜか「やはり白黒か」と納得した。Tは包丁をもってその盥の前にしゃがんでいる。Tの他にも鶏が二重になって盥を囲む。間抜けな猫は生きたまま解体され毛皮はTの襟巻になり、肉と骨と内臓は鳥の食事となるのだろうと推測する私は窓の外から見ているはずだったが、実際はTの真後ろで、私の存在に気付いたTは大の字になった猫を裏返しにしてから首をつまんで持ち、それから徐に立ち上がると、空いた片方の手で猫の前足の一方を掴んで、その肉球を私の鼻に当てた。そしてスイッチを押すように力を込めた。その時、気絶させられていた猫が正気になって「ギャッ」と反射的に爪を立てて暴れたから、正気を失いかけていた私もその痛みで正気に戻った。猫と私とほぼ同時に正気に返ったということになる。いずれも九死に一生を得たわけだが、鼻に当たる猫の肉球が心地良かったからか私に恐怖感は無く、猫同様の運命になるとしても、中身はともかく外側は猫と違って毛皮にはならないだろうと思っただけだ。
正気に返った猫は自分を食うつもりで集まっていた鶏を蹴散らしながら狭い小屋の中を猛スピードで三周すると、その勢いのまま外に出て行った。Tを詰問しようかどうしようかと迷っている私は家に戻っていて風呂場で鏡を見ていた。ピリピリと痛むのに傷は無い。その何の変哲もない、少し大きめの鼻に人差し指と中指とを押し当ててTの意図を考えようとしたが、肉球の感触ではない。少しざらっとしながら柔らかく、周りの毛がくすぐったいような肉球。

私はその後も思い出しては自分の指を鼻に押し当てた。肉球の感触ではないと分かっていても他に適当な代替物はない。そして夢であったのか現実であったのかと考えるのである。夢なら夢でそれまでだが、現実であったら鼻を肉球で押されて気を失った私はやはり解剖されて肉と皮に分けられ、それなりに処分されたのだろうか。そういう疑問を繰り返し持つことで、真実を確かめる動機を作ろうとしているのか、それを思い留まろうとしているのか、それは私自身も分からなかった。

私は収蔵庫の中で二宮尊徳の頭を持ちながら考え込んでいる。女川小学校の校庭に立っていた二宮尊徳の銅像は児童によって度々棄損した。例えば鬼ごっこであれば、この像を盾にして逃げる相手を追いかけるのが常であったので、二階から眺めれば、数人の円舞の中心に薪を担ぐ少年がいた。そのため度々首は折れ、その度に学校管理士または担任が接着したが、一度取れたものはどんなに上手く接合しても元の強度には戻らず、つまり取れ易く、当然、頭の無い二宮尊徳を囲んで遊戯が行われることもあった。接合の具合によっては、頭をやや傾げてなにか考えている様子のこともあったし、全く消沈して下を向く二宮尊徳であったりもした。「昨秋の暮れ落下した頭を冬の間校舎内に保管して修復の機会を待ったが、閉校作業に忙殺され、また三月になっても校庭はまだ雪に覆われているので、そのまま資料館に移管したい」と書かれた紙が貼ってある。小学校5年の私の担任の先生は優しさと厳しさを持っていたが、その厳しさの方で、本人と他の生徒の戒めの為に三年振りに落ちたという二宮尊徳の頭を持たせて、頭の無い銅像の横に一時間立たせた。それは図工の時間であったので好きな授業を棒に振った悔しさを良く覚えているのであるが、先生は二階の教室の窓から時々顔を出して私の立ちっぷりを監視した。他の教室の窓からも先生だけでなく、生徒の顔まで出てくるのである。

「この首はあの時持たされた首だろうか」

ほどなく首は元に戻って私はほっとしたが、銅像の周りに縄が張られて近づけなくなった。以前のように銅像を挟んで追いかけっこが出来なくなり、当然登ったりしがみついたりもできなくなり、その不自由さの原因が頭を落とした私であるようで心苦しかった。
しかし一体これが村史の何を語るのかと思うのである。

私が資料館から公民館に席を移した十数年の間に、収蔵庫は満杯になっていた。要らなくなった物、処分に困った物を悉く受け入れたからであろう。学校や役場で要らなくなった道具、学校図書の児童書、幾種もの百科事典、海外旅行の得体の知れない土産、故人が趣味として作った焼き物など、村の歴史とは関係の無い物で溢れ、無秩序に置かれている。そんな物の間を縫うようにして、あるいは押しのけながら、探し物をしなければならない。だから私は暇さえあれば収蔵庫に入って要らない物と要る物の整理している。そして段ボールに開けたり風呂敷包みを解いたりしていると、橋の上に立って川を見下ろしている。茫洋とした感情の中で夏の川面を見つめている。浪人時代の夏、しばし帰省した私は毎日ここに来て魚を獲っていた。川に潜ってヤスで突いて一日数十匹も鮎を獲った。しかし、東京に帰ると無用の殺生だったとひどく悔いた。あんなに美しく生きていたものを己の無聊のまま殺したことが孤独で単調な生活の中でいつまでも忘れられなかった。

あの頃は世界が小さな円球として自己完結していた。小さくて破綻のない完全な円球。理想も希望もはっきりしていた時代。水の中で煌く魚のようにただ美しいだけ。

薬を飲んだかどうか常に気にしている。あるいはその薬を無意識のうちに探している。病院に行ったのは夢だと思い直しても、食後なにか忘れているような気がしてきて、薬を飲んでいないと思うのだった。つまり、夢が夢の中だけで完結しなくなってきた。夢とあるいは夢想と現実がごっちゃになり明確に区別できない。夢が現実に近づき、現実との境が希薄になる。二重の生活で二倍の時間と経験を得られるようだけれど、現実に根拠のない夢を夢と識別できなければ混乱するだけだ。そして

「桃田は」とSさんに言いかけて止めて「えっ」とこちらを向く彼女に「二回戦で負けたね」と以前言ったことをまた言ってお茶を濁す。
私は逐一自分の行動を追うように記録をつけるようにした。現実と夢とを区別するために、手間だが、他に方法は無い。逐一、つまり手帳を肌身離さず持って。

2021/4/22 5時起床。机で~6:50 7:05Yが弁当 朝食準備、朝食~8時 風呂、壁打ち9:10出勤 9:25歴史館着

「あなたがあなたのまま変わらなければ過去は現在だしそのまま未来です。だから未来は過去です。現実も夢想も夢も同様ですね」と二宮尊徳の頭を撫でながら医師は言った。医師は関川Tシャツを着ていた。「ちがわんでニャンでニャンでニャン」
私はつけている記録ノートを医師に見せながら「ここでこうしていることも記録すべきでしょうか」と聞いてみた。医師は自分の着たシャツの猫の尻尾の辺りをつまんでひっぱりながら「書くことは夢の中でもできますからね。記録は絶対にはなりませんにゃあ」と言った。
そして私の方に椅子を寄せると、私の顔に右手を伸ばし、二本の指で私の鼻を押した。
「なるほどね」
私は収蔵庫の中にいて「なにがなるほどなのか」と思っている。そして自分の指で自分の鼻を押してしていることに気づき、その手を下ろしてから二宮尊徳の頭があるかどうか確かめた。
『2021/4/22確認』と付箋に書き、その額に貼った。
2021/4/23 午前公民館大ホールで夜の講演会準備。20の机と40の椅子、マイク、掲示。午後

ギャラリー「かな漢字五人展」作品返却。鈴木先生と役場のワゴン車で村上の平野表具店、それから鈴木先生の自宅へ回って返却。戻ると講演会参加予定の啓介さんがいて、閉館後それぞれ早い夕食をとってから大ホールへ。彼にも手伝ってもらってスリッパ準備など最後の仕上げ。池田さんが会場設営を手伝うつもりで6時15分頃に来てくれる。7時開演 参加者43名。質疑応答で啓介さんがとんちんかんな質問。硬い話は固い頭に向かないと分かる。机、椅子、大勢の人が手伝ってくれて短時間で片付く。借りた道具の返却など啓介さんが最後まで手伝ってくれる。21:20帰宅。家に入る前にフットワークと壁打ち。23:30就寝

これが夢なら実際はどこにいて何をしているのか、と不図思うことがある。夢を見ている私は今どこにいて何をしているのか。

講演会の最中、前の方に夢に出てくる医者がいるような気がしていた。スクリーンに映る画像だけの明かりで会場は暗かったし、一番後ろの席の私からは距離があったのではっきりとは分からなかったが、ワイシャツの上に例の猫のシャツを着ているように見えた。講演が終わって会場を明るくし、司会席に戻って前を見ると医師らしい人は居なかったが、空席がひとつあった。受付をしていた田町さんに後で聞いてみようと思いながら、片付けでバタバタしているうちに聞きそびれる。
「地質に興味がおありなんですか」
「なんでも好きですよ。人気に関係の無いことなら」

「はあ。精神科医なのに」
「学問も技術も蓄積で進化しますが、感情だけは例外です。石器人も現代人も進化しない感情に囚われて生きて死んでいきます。だから

「今日を生きているようで過去に生きている。その延長が未来なので、未来はつまり過去ですね。
「感情が関わるのは仕事だけです。仕事だけにしないとこの仕事は務まりませんからね」

「だから過去だとか未来だとかに拘る気持ちは分かりません」
私は不図自分が何か重たい物を持っていると思い、膝元を見た。すると二宮尊徳の首があり、私は収蔵庫の中にいた。そして講演会があったのは昨日だったのか、もっと前だったのか分からなくなり、なにか不安になって階下に降りて事務室に入り、月毎の予定を書いたボードを見た。「さざれ石講演会」と21日水曜日の欄に書いてはあるが、つまり今日が何日なのかが分からない、と今更気付く。パソコンに向かっている田町さんに聞けば簡単なのだが「今日は何日だっけ」と聞くのは躊躇われた。スマホを見れば分かると思いついた時、彼女がホワイトボードの字を消し始めた。ああ、やはり予定表が間違っていたのだと思ってほっとしながら見ていると、彼女が長袖のシャツの上から着ているTシャツが「ちがわんでにゃんでにゃんでにゃん」のTシャツだ。これは多分夢だ、夢の中にいる、と察したが、夢から覚めるにはどうしたら良いか。おそらく彼女に質問すれば突飛な返事が返ってきて、それが目覚める契機になろうと
「講演会は何人ぐらい入ったっけ」と聞いた。
「それはそれは沢山入りましたよ」
「佐藤貞治先生も来られていましたか」
「先生は昨年亡くなられましたよ」
「そうか、そうでしたね。では、井上陽水は来ていましたか」
「いや来ていません。たとえ彼が地質に関心があっても講演会のことは知らないでしょう。でも館長が教えられたんですか」
「教えたかもしれません。なぜならこれは夢だから」と言いかけた時、彼女の目が猫の目のように丸く大きくなってキラリと光った。そして黒板に向き直ると、書き直していた予定を消し始めた。私はなぜか気まずさを感じ、収蔵庫の二宮尊徳の顔を見に二階に上がった。そして、今彼女はどんな予定を書いているのかと恐ろしさ半分興味半分の気持ちで二宮尊徳の頭を撫で回した。そして、猫のTシャツが出てきたら夢か夢想の中だと思った。
4月24日(木)5:40起床R(ルーティン)9:20出勤 午前中明後日の大蔵菅名周回登山のしおり作り午後運転員室に届ける。午後収蔵庫整理、途中夢想は昨日の講演会の事。田町さん猫のシャツ。17:30~20:30公民館バド21:00R23:00就寝
「判然とするとかしないとかはたいしたことではないです。判然としなければ判断できないという気持ちがむしろ問題です。なぜならこの世界に判然としたものは何もない。それに固執すれば判然としようとする努力で一生が終わります。つまり徒労です」
険しい稜線にいて、ガスってなにも見えないから怖くなくて良いのか、ガスが取れればどんな景色が見えるのかと思って歩いていたはずなのに、いつの間にかまた診察室で先生の話を聞いていた。彼は白衣を着ていた。だから、これは夢でもなく夢想でもないようだと私は思った。
私はアイゼンもピッケルも持ってこなかった事を悔いていた。カンジキにスコップと使わない物は持ってきたが、今日の山は雪が硬かった。私はなんとか進めたが、後ろからついてくる二人、多分高橋さんと石山さんが心もとない。要らない物を持って、要る物を持たない、そういうものだと思うが、その繰り返しなのが今更歯痒く思えた。なるべく強く、何度も雪面に蹴り込んでステップを深く刻むように一歩一歩登ったが、ちょっとでもバランス崩して転べばどこまで落ちるか分からない急斜面で、見上げてもピークはまだ見えない。これ以上急な斜面になれば登ることは不可能だが、引き返すのも難しい。踵を返す瞬間が危ないだろう。その時、父親の声がして、私は自分の部屋で寝ていることに気づいてほっとした。救われた気がした。父親の声は大きかったが、たとえ緊急な要件でもこれだけ大声を出せれば立派に生きている証拠だ。ベッドから跳ね起きて階段をドタバタと降りていくと茶の間に大勢の人が集まっていた。そうか、今日は父の介護の会議の日だったと慌てて席に着いて、缶コーヒーとかおやつとか用意しておいたか考えている。多分、冷蔵庫に入っているはずだから話が一段落したら出そうと思う。父親は座布団に座っている。フォーレも付けていないようだ。自分で外したのだろうか。しかし誰もそれを気にしていないようだから、外して構わなくなったのかもしれない。T施設のOさんが施設での父の様子を話している。どうやら会議はもう始まっていて、私がいないことに誰かが気付き、そして父が二階に向かって大声を出したらしい。こんな大事な会議を忘れていたなんてよほど迂闊だったと思い、掃除はしたかとか座布団はだしたかとかばかり気に掛かり、話は耳に入ってこない。T施設の人が父の現況について話している。食事に補助は必要ないとか休憩時間は本をよんでいるとか。私は参加者の顔をそれとなく確認し始めた。ケアマネジャーのOさん、ディサービスの人、訪問介護のKさん、介護用具会社のMさん、それからI病院のN医師、そして叔父のTさん。なぜTさんがいるのだろうか。父が呼んだのだろうか。それよりもN医師に父もかかっているのか。かかっているとしてもここに来たのはなぜか。私が頼んだかも知れないので、とにかく余計な疑問は持たずに今は話を聞くしかないと思っていると、いつの間にかN医師が居なくなっている。二階に上がって私の今書いている小説を見ているような気がしてならないが、席を立つわけにもいかない。N医師の登場する場面があったかどうか。あったとすれば、どういう書き方をしていたかを思い出そうとしていると、犬が鳴き出した。本気になって吠えている様子なので見に行かないわけにはいかないが、二階も気になる。「暇があれば吠えているので、一日中吠えています」と言ったがだれも笑わず、私は速やかに席を立って外に出た。犬の吠えている方向に人影はない。猫にも吠えるが一声二声程度である。犬を犬小屋に押しやってシャッターを閉めると私はなぜか壁打ちを始めた。そしてふと犬が吠えていたのは会議の途中で姿が見えなくなったN医師ではないかという気がしてきた。彼がなぜ家の周りを徘徊するか。もしかしてあの猫、オッドアイを捜しているのかと思いながらも壁打ちを続けた。そして戻ると、茶の間には誰もいなくなっていた。テーブルの上に何も無いのを見て、買っておいた缶コーヒーもお菓子も出さなかったのを後悔した。父親はもう寝たのかと部屋に入るとベッドは空で、今日は施設かと思う。だったら帰ってくるまでに庭の草刈りをしておこうかと思う。家に居る時はこの部屋の窓から見える景色が全部で、庭の草が伸びてくると、そればかり気になるようだからと、外に出で草刈り機を担ぐ。草を刈っていると見慣れない木があった。幹周は50㎝位、何十年も経っている木だろうから自分が忘れただけだろうと、少し離れて見上げてみると、やはり見慣れない花が咲いている。最初モクレンかと思ったが、白いけれどもっと大きく、高山植物のキヌガサソウに似ている。父が戻ったら聞いてみることにしてまた草刈り機を動かしていると墓があった。盛り上げられた土の上に丸い石が置いてあるだけで、墓とも言えないが墓のようでもある。もしかしてTが殺した猫をここに埋めているのだろうか。そしてそれは父に見せるためだろうかと、墓の周りの草を刈りながら恐る恐る裏にまわるとなにか書いてある。機械を止めて近づいてみると「S」と読めた。キャットのSかと思ったが、キャットにSは入らない。ああ、蓼科にあったSさんの慰霊碑を俺が持ってきたのかと納得しかけたが、こんな粗末な物ではなかったと思い直す。やはりTの猫の墓だろうか。父とTの間には約束があって、一定以上は増やさないという証拠を見せるために父が寝ている部屋の前の庭に時々埋めに来る、そんなことを考えているとまた犬が吠え始めた。「暇さえあれば吠えています。つまり一日吠えています」という自分の言葉を思い出して家の中に戻ると茶の間の仏壇の前に人がいて、手を合わせているのはN医師だった。ろうそくが灯り、線香から煙が出ていた。新しい花も差してある。医師が持ってきたものだろうか。向き直った医師にとりあえず礼を言うと「通りかったので寄ってみました。その後、薬の効き目はどうですか」と言う。「はい、だいぶ良いようです」と言いながら医師を見ると、着ているワイシャツの下着の猫の模様が透けて見えた。私はそれに気づかない振りをして「私の家の周りには沢山の猫がいますが、増えもせず減りもせず、大体一定です。多分、ときどき誰かが数匹まとめて袋に入れて振り回して気絶させてから猫の皮を取るのでしょう」と謎を掛けた。するとまた何か重たい物が膝の上にある事に気付き、下を見ると二宮尊徳の頭を両手で持っていた。

4月25日(金)

5時起床オッドアイ≫R 9時20分歴史館 午後収蔵庫整理に入ると例の夢想。夢想のきっかけは二宮尊徳の頭にある気がしたので、前回は箱に入れて棚の上に上げて置いたのに、気付いた時にはそれをちゃんと持って椅子に座っていた。面白いが不思議。啓介さんは一日庭にいて芍薬を植えていた。草取りから始めて鍬で耕し、穴を掘って球根を埋める作業。築山の斜面だから難儀だろうが、誰が頼んだわけでもない仕事を好きでやっている。17退館。どーむ17:30~19:00 ゆっくり10k。アコス食料20:30帰宅WS(壁打ち)後食事23:10就寝

「切った花梨の木は裏の山に捨ててきたよ」と軽トラの乗って近づいてきた叔父は言った。それは唐突な感じを受けたが、自分が前の事を私が忘れているだけなのかも知れないと思い「ああすみませんでした」と言う。

実際薬を飲んでいるのかどうかは分からないが、リアルな夢を見るのは依然変わらないから、たとえ飲んでいたとしても効き目はないようだ。だったら、と思ったのか医者が言っていたようにして自分で作ろうと私は大きい袋を持って餌場の陰に隠れていた。玄米30キロを入れる丈夫な紙の袋で、中には既に捕獲した一匹が入って暴れている。暴れているが声は出せない。私がガムテープで口を塞いだからだ。私は決して捕まえることのできなかった猫を捕まえることができて大変愉快な気持ちになっていた。しかし白黒は沢山いるからすぐ捕まえられたが、黒と三毛、そしてグレーもいるが、いずれも数が少ない。その三毛が今食事をしている。無心に貪る様子なので、静かにゆっくり近づくと猫は意外なほどあっさりと捕まえられた。首を掴んで入れてから、あんまり簡単なので偽物の三毛猫なのかも知れないと思い始め、試しに二匹で回してみるかとも考えた。不純物が混じると悪いので白黒の口のガムテープを剥がしてから袋ごとぐるぐると両手で回した。木の周りをぐるぐる回る虎がバターになるイメージだから、中で猫が騒いでいるうちはまだ固体なので、静かになるまで回した。回していると静かにはなったが、重くもなってくる。そして、もういいだろうと恐る恐る袋を広げてみると、中には漫画本が一冊入っていた。

そんな夢で目が覚めた。そしてなぜか高校の頃のことを思い出した。同じ集落のSsとḾが遊びに来たのだが、私は期末テストの勉強で忙しいから帰ってくれと言った。二人は集落の中学生だったと思う。一緒に良く遊んだ仲間で、春休みの無聊に任せて朴坂山にも登ったことがあった。私はそう言って机に向かったが、帰る気配が無いのが気になって落ち着かず、見に行くと空き部屋で漫画本を読んでいた。「帰れって言ったろ」と大声で怒鳴ると、持っていた本をドスンと投げ出すと階段をドタドタを下りていった。玄関の戸をバタンと閉める音まで覚えているようだ。
嫌なことだけ繰り返し思い出すのは、自分の本性が出ているからだ。

週に一、二度は収蔵庫に入って整理をしたいと思っているが、いろいろあってそうもいかない。それに二宮尊徳の頭が邪魔をするので億劫にもなってくる。箱に入れ棚に上げてもなぜか気付くと膝の上にあるので、収蔵庫に入るのも億劫になっている。
前を歩くYの荷が大きく重そうなのでテント泊の連泊だろうか。それなら自分もそれ以上の荷を担いでいるはずだが、大した重さは感じないので、ちゃんとテントを入れたかなどと不安になって後ろを歩いていると、Yのザックが足取りと関係なく動くことに気づいた。ぱんぱんに張ったザックが不規則にぶるぶる震える。不思議に思ってよく見ると、両脇から動物の肢が一本ずつ出ていて、どうやら丸ごと一匹の豚を食料として持ってきたようだ。生きているうちは確かに鮮度は保たれるが、殺してしまえば一度に食べないといけない。丸ごと一匹二人で一気に食えものだろうかと思っていると、Yが急にザックを下ろし、拳で一撃ザックの上から豚を突いた。そして「動くから重くて仕方ない」と言った。つまり気絶させて大人しくさせたようだ。動かなくなった豚の肢を良く見ると黒い毛なので白豚ではない。どうもひめさゆりの球根を食い荒らす猪を捕まえたらしい。飯豊の稜線でヒメサユリが食い荒らされた様子を見てだいぶ猪に敵対心を持っていたことは確かだ。捕まえて食えば一石二鳥だが、全部一気に食えるだろうかとまた疑問に思う。山小屋まで持っていって管理人や宿泊者に小売りするつもりなのかとYの目論見を思っていると、また猪が騒ぎ出した。悪い予感に脅えているのだろう。やはりYはザックを下ろし、私は猪に同情する気持ちで見ていると、今度はどこからか持ってきた長い竹竿の先端にザックごと猪をぶら下げ、それを旗のように掲げて歩き始めた。「こうして稜線の風に吹かれれば一週間で高級な干物になるの。一週間経ってザックから出すと猪もザック型に広がって、それをまた一週間干すの。どこの山小屋でもこれを出せば満員になるからひっぱりだこなのよ。飯豊の猪はヒメサユリの香がするから」。いつのまにか山小屋についてYは小屋の玄関の柱に竹竿を括りつけた。猪が動くと竹竿がしなった。「これを目当てに登山者がどんどん来る勘定なの」。揺れるザックにはさっきは見えてなかった前脚も突き出ていた。鼻先も出ているので、猪だと分かる。高原の風はさわやかに違いないが、このまま餓死する猪にはそうでもないだろう。ユメサユリを荒らした報いだとしても重過ぎる代償だと思いながら、Yが多分値段交渉に入っていった玄関を見ると「どなたさまもお気軽にお入りください」と書いて札が提げられていた。上を見上げると案の定、屋根は高く、山小屋らしくない山小屋で、多分バトミントンをしているに違いない。中を覗けば桃田もいてSさんもいて、落下傘付きのシャトルを打っているだろう。やはりこの山小屋はあったのだと納得した。すると桃田も本当は桃田でなく別の名で、その本名を思い出そうとしていると、Yが出てきた。Yは缶ビール二本を手に持ち、一本を私に渡した。それからA4位の大きい通帳を開いて見ていた。表紙に猪と書いてあったので、猪で稼いだお金がこの通帳に書き込まれる仕組みだろう。「よし!」と言いながら通帳を閉じたYは缶ビールを一気に飲んだ。多分、なにか目標を持って猪貯金をしているのだろう。今いくら貯まっているのか聞きたい気もしたが、下種な興味のような気がして聞けなかった。竹竿をしならせて暴れる猪を見上げながら、自分も夢を持って生きないと、と思っただけだ。

それにしてもこんなに暴れても折れない竹は特殊な竹だろうかと不思議に思っていると、小屋の裏から出てきたYはまた別の竹を持ってきて、猪を突っつき始めた。猪に対する敵愾心は相当なものだなとむしろ猪に同情的な気持ちになっていると、紐の捩れを直しているのだと言う。でも私にはやはり猪を突っついてるようにしか見えない。急所を突かれたのかやがて猪は動かなくなったが、風のせいか竹のしなりのせいか、依然ゆっくりと揺れる猪をそのままにしてYはまた竹を無暗に振り回しながら登山道を歩いていく。落とし穴を確認しに行ったのかも知れない。落とし穴は、深い穴に掘って、その上に渡した細い枝の上に草を被せて隠した構造だろう。周りに警告の立て札があって人間は掛からないが、字が読めない猪はどこんと落ちて、いくら出ようと努力しても出られないという塩梅だ。疲れて眠っているところを上から覗いて、あの竹棒でズドンと急所を突いて気絶させるのだろう。

今やもう夢か現実かは分からない。分かりようもないが、いずにしても同じだと思うようになってきた。私の行動原理が同じなら夢か現実かは問題ではない。
最初何かの落書きかと思った絵は、首を傾げながら見ていると、山小屋と竹竿にぶら下げた猪だった。Yと思われる人間がぶら下がった猪を棒で突ついている。夢で見たのを思い出して描いたのか、実際その時に記録として描いたのかは分からない。夢と違うのは猪がザックに入っていないことだ。裸のまま吊るされていて、Yの棒はその腹を的確に突いている。背の高い山小屋の玄関には「どうぞどなた様もお気軽にお入りください」の看板もあって、できる限りの情報をこの絵に入れようとしていると察知できた。こんな下手な絵は私でなければ描けない。私は山行を記録したノートを開いて、どこの山だろうと忘れているかも知れない記憶を探った。屋根の高い、ノッポの山小屋・・・・。その山小屋こそ・・・。