西沢渓谷 2020/11/9

 尾白川渓谷に寄った翌日、今度は西沢渓谷を歩いた。1984年だから大学6年目の秋?、西沢渓谷を遡って甲武信ヶ岳に登った。この時も沢で幕営したが、カメラのフィルムが巻けなくなり、強引に引いたら切れてしまい、更に不用意に開けたことで光が入り、沢登り上部から頂上までの写真はない。今回西沢渓谷を歩いて撮ってきた写真と当時の写真を見比べていたら新しい発見があった。それは古い写真に写っていた「ホラ貝」という表示で、今回撮ってきた写真の中の案内図の中にその場所があった。 「ホラ貝」は東沢にある。つまり東沢を詰めて甲武信岳に登ったようだ。そこから十文字峠に下り、長野側の川上村からバスに乗り、電車で帰ったことはうっすらと覚えている。今回西沢渓谷を歩いたことがきっかけで不意に思い出したことがある。沢を登っていく途中、我々を追い越していく年配の男性と言葉を交わしたが、その人があっと言う間に上流に消えたのを見て、その速さに舌を巻いたことと、沢での幕営中持ってきたワインの瓶を割ってしまったSさんが、さすがにガラス破片は持って歩くには危ないのでと穴を掘って埋めたことだ。些細なことをなぜか思い出した。

西沢渓谷、正式には東沢西沢渓谷というらしい。ただこの看板は見つけられなかった。

右側に看板があるが判読できない。

 

「東沢ホラ貝」の看板

今回見た手書きの看板。「東沢溪谷」の上に「ホラ貝」とある。



十文字峠の幕営地か。三脚を立てたのか。

今回の西沢渓谷

西沢の三重の滝より先は通行止めで周回はできず引き返した。

西沢山荘は廃墟の体、36年前は賑やかだったのか。

長野県側に下りて川上村でバスを待つ。小海線に乗り、中央本線に乗り換えて西船橋に帰ったのだろう。