尾白川溪谷 2020/11/8

日向山に登る前に尾白川渓谷に立ち寄った。東京時代の山行に尾白川渓谷で幕営する写真があるので、本当にそこなのか確かめたかった。入口の橋も崖に掛けられた梯子も40年近くも前の写真とほぼ同じに見えた。子供達が泳いでいた千ヶ淵も変わらない。ただ、残っている写真はこの日のものだけで、この渓谷からどこに向かったのか分からない。沢を詰めて山に登ったのは間ノ岳、甲武信ヶ岳とが写真に残っているから、甲斐駒に登ったのかと思っても見たが、写真も無く記憶もない。渓流をただ詰めていくだけだったのか。途切れた記憶も記録も蘇ることはなかった。

恰好から夏と分かり、ザックから連泊だとも推測できる。

吊橋もほぼ変わらない。

夏で、千ヶ淵には子供達が泳いでいた。

梯子の形も変わらなかった。

そのあと幕営した写真は残っているが、翌日からどこに行ったのか。以降の写真は無い。雨で撤退しのか?

ようやく大学を卒業して塾に勤め始めた翌年、長く住んだ西船橋から塾のある上板橋に引っ越した。その際、沢山のネガを捨てた。捨てた物は沢山あったが、ネガまで沢山捨てた。捨てなかったアルバムとなぜか残っていたネガが当時の山行の手がかり。