佐藤貞治館長は村上高校の登山部の顧問で、生徒に重い荷物を持たせて自分はほぼ空身であちこちの山を縦走したことを自慢話のひとつにしていた。征平さんは関川山の会に半世紀どっぷり浸かってきた生粋の山屋であった。二人とも歴史文化財調査委員という硬い肩書もあった。そのころから歴史館にちょくちょく顔を見せるようになっていた社会教育委員長で体育協会会長の池田さんも加わって朳差登山が決まった。この登山が阿賀北山岳会の発端、濫觴、始まりである。
足ノ松尾根から入って、大石山の登りで。
鉾立峰で。
小屋の前での夕食。テントづいていた私はテント泊。
夕食後、征平さんと長者平へ行く。
2日目の朝。
朳差頂上の佐藤先生と征平さん。
鉾立峰で。
大石山先の鞍部で。後ろに小さく朳差の小屋が見える。
ポーズを取ってもらった記憶がある。
頼母木山
地神北峰から丸森を下る。
長い丸森尾根を下って飯豊山荘前に。前々日に征平さんか僕の車を回しておいたはず。
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