その征平さんが「いつか朳差の小屋の番人になって、夏の間だけでもあそこで過ごしたい」と良く言っていた。その希望は叶わないまま、大熊小屋からの帰り、西俣で滑落死した。もし彼が沢山のしがらみを断ち切って朳差小屋に入ったとしても、元々この小屋は管理人を置かない避難小屋だから、彼はただ親切なだけの長期逗留者でしかなかっただろう。長期逗留者は正規の水場には行かずに長者平の池塘に行って水を汲み、珈琲色の水を飲むだろう。私はその自称管理人のために週末には米と魚の缶詰と、自分のための酒を担いで朳差に登ったことだろう。管理人は下戸で、私がいつかノンアルコールだからと勧めたビールを飲んで、「この頃のノンアルコールはまるで酒のように酔うようだね」と真っ赤な顔をして言ったのだ。
忘れられない人を思い出したついでに、彼に触れた文章も再掲する。
「四十半ばで行き詰って、ふと昔を思い出して山登りを始めた。東京に居た頃友人に誘われるまま山梨や長野の山に年何回か登っていた。駅から登山口まで一日掛けて歩くようなストイックな登山で、水場を求めては幕営する気儘な山行でもあった。再開して数年は単独行、ひと月に十日山に登ることもあった。飯豊に登ったのは二年目、朳差岳の頂上で見たタカネナデシコを自然に生えた花だとは思えず、誰かが植えた園芸種だと思うほど花には疎かった。その後気の置けない仲間と登るようになったが、独りは修行、徒党を組めば娯楽だと思っている。いずれ日常を背負って喘ぎながら登ることに変わりはないが。
飯豊連峰は新潟、山形、福島三県に跨って南北に連なる山脈で、主峰は飯豊山2,105m、大日岳を最高峰として二千mを越える山々が連なっている。日本海に近いため冬は豪雪となり、真夏でもあちこちに雪田雪渓がある。稜線にはテント場を隣接する八つの避難小屋があるが、基本寝具持参の自炊である。深田久弥の「日本百名山」にも名を連ね、花の多い山としても有名であるので、山岳誌の人気アンケートでは例年上位となる。四つの登山口がある飯豊温泉の駐車場は夏の週末には全国からの車で溢れるが、大概は行き交う人も稀な静かな山域である。そんな山に近くの我々が登らないとしたら、浦安に住みながらディズニーに行ったことがないようなものだろう。おまけに山は無料だ。
苦しい息抜きが登山だが、特に飯豊はどこから登っても登る人の覚悟を問うような、いきなりの急坂で始まる。重いザックを担いでの登りは「山登りは日常を忘れさせてくれる」と云いながら終始世間話に余念がない人さえも黙らせる。そして苦労して辿り着く稜線はさながら桃源郷のように迎えてくれる。延々と続く雄大な緑の尾根、風の吹き渡る草原に色とりどりの花々が咲き乱れる。
雲の湧く稜線に私の桃源郷がある どんな感傷も許される場所 歩けなかった道も 再びは会えない人も 花のように 風のように やさしい どんな思いも 残雪に光る雲のように 眩しいだけ
永劫と刹那は、岩稜に人が連なる山では感じることはできない。
御沢から入って大石に下る縦走で、送ってくれたのも迎えてくれたのも横山征平さんだった。登れるうちに登った方が良いと送迎を買って出てくれたのだ。最終五日目、西俣のへつりの先で冷たい飲物を沢山持った彼が待っていた。二時間も歩いて迎えにきてくれたのだ。それから六年後の2012年の同じ八月、同じ西俣で彼は命を落とした。沢山の事を教えてもらったが、登れるうちに登ることだけは忘れないで守っている」
果たせない約束だけは忘れない。重い荷のように肩に食い込む。誰も覚えていないのに、それが生きている証のように。
