Tの病気は脳梗塞です。海岸の病院でリハビリしているそうですが、家に戻ることはないでしょう。だからTの猫はもうTの猫ではないのです。Tの残した物は猫塚しかなくなりました。私の父母が健康で農業をしていた時代、育苗用のビニールハウスが二棟、そこに建てられていました。母が倒れて、その看病を父がすることになって農業を止めると、ビニールハウスは片づけられて、代わりに父はトマトとナスとキュウリの畑を作りました。縁には芍薬を植えました。体力の衰えとともにキュウリとナスが無くなり、自分の自由も利かなくなった時にはそこの草刈りが私の仕事になりました。ただ、宿根草の芍薬だけは草の中に毎年花を咲かせました。私は草と一緒に芍薬を切らないよう、そこだけは慎重に草刈をしました。その草地に重機で穴を掘って、コロニャンで死んだ沢山の猫をTは埋めました。埋めて土を被せて、また埋めて土を被せたので、小さな墳丘ができました。
コロニャンで成金になり、お金があったから酒を飲んだのか、知らず知らず増え続けた猫を自分で始末する顛末の呵責から逃れるために酒に溺れたのか、いずれにせよ心の弱さには違いありません。弊衣破帽、見た目は仙人のようであっても心は弱く、俗だったということでしょう。まとわりつく湿気のような不快な感情から解放されて、ひとり風に吹かれながら稜線を歩いていきたいと願った私も、昔の記憶に苛まれ、何一つ乗り越えていない、成長していないと絶望的に思うことがあります。体は鍛錬によっていくらかでも鍛えられても、心はそうはいかないのです。
Tの墳丘にも草が生えます。種々の雑草が陣取り合戦のように勢力を伸ばそうと繁茂します。草刈りの前にそれを見ると大きな生け花です。羊の毛を刈るようにその小山の草を刈って清々すると、私はなぜか小石をひとつそのてっぺんに置きます。次の草刈りの邪魔になるようなことを敢えてして、私はTの気持ちを推し量ろうとでもするようです。
オッドアイTの猫とその一味第93話「猫塚」
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