コロニャのおかげでTが一時的に金満家となったとしても、やがて元の木阿弥、少しでも商才があれば自分の家をコロニャ病院にして全国の愛猫家から永続的に埋葬料を徴収することもできるだろうがと、彼の将来を危ぶんだ。昨年兄が死に母が続けざまに死んで、今は車さえなく、猫の缶詰を買うのは私の役である。そういえば、彼も毎日光兎山に登っていた時期があった。夜になっても帰らないTを心配した母親に頼まれて、私と和幸と夜の光兎山に登ったのはその頃だろう。TはSさんのように小屋番になれば良かったのだ。愛想の無い小屋番なんてどこにでもいる。日本一愛想のない小屋番になれたのに。そんなふうに今ここで彼を心配しても仕方ないので私はSさんに聞いてみた。
「梅花皮小屋の近くにコマクサが咲くと昔聞いたことがありますが、Sさんは見たことがありますか」
「そう聞く人は今でも年に何人かいますが、私が高校生で山に入ってから飯豊でコマクサを見たことはありません。梅花皮小屋の周りだと聞いたことは私もありますが、一度も見たことはありません。コマクサを知らない人が何かをコマクサと勘違いしたのかも知れません」
Sさんは30年前初めて私がこの小屋に泊まった時と同じ事を言い、一升瓶に五分の一位になった酒を飲んだ。もう少し我々の到着が早ければ酒はもっと残っていただろうし、もっと遅かったが空になっていただろう。
「コマクサは大概砂礫地帯に咲きますからね。飯豊に砂礫地帯はありません」
「私見たわよコマクサ、どこかで確かに見たはずよ」
Sさんから一升瓶を奪ってY似で猪使いの巫女は言った。
「どこらで見ましたか」
「どこかしら、でも見たことは確か、飯豊のどこかよ」
私はスマホを出して自分が撮った写真を探した。
「貴方が見たコマクサはどれですか」と聞くと
「これですわ」と指差したのがイブキジャコウソウであったので
「あっそう」と応えるしかなかった。こういう人がこの小屋の周りでコマクサを見つけたのだろう。
元々の原因は私らであるので心苦しかったが、Sさんは助けてくれたお礼だと言って夕食を作ってくれた。猪か熊か半猫丼かと出てくるまで気になったが、野菜だけのカレーであった。死んでも困るので、と言って三人の縄を解いて10人の夕食である。更にSさんは缶ビールを箱ごと持ってきた。
「これも飲みましょう。消費期限のとうに過ぎたビールで売り物になりませんが、味に変化もありません」
猪だってビールは好きだ。そして「昔みたいだ」と言った。