今までの人生とその結末を因果付ける大ピンチを我々が迎えていた頃、Y似で猪使いの巫女は大日岳を往復していたようだ。彼女ひとりがなぜ捕らえられず、仲間を残してなぜ大日岳の向かったかは分からないが、我々は煙の充満する小屋から二人の鼻黒に頭と足とを持たれて外に運び出され、そこでY似で猪使いの巫女と再会した。我々の体を厚く包んだ、燻製された花粉を剥がすのはまた別の鼻黒二人で、木槌のような物で我々の体をカツカツと軽く叩くと、パカッと割れて、それからまた別の鼻黒が箒のような物で我々の裸体から細かな花粉を払った。我々はその裸体のまま草むらで仰向けで10分うつ伏せで10分、計20分体を乾かしてから、いつの間にか脱がされていた衣類を返してもらった。我々を拘束してバームクーヘンかイワシの糠漬けにしようとした鼻黒達が一転して解放の作業をするのは、彼らの指導者が今やトイレに縛られた虜になってしまったからだ。小屋の脇のトイレにリーダー格と思しき二名、もしも死角になっているトイレの裏にもいるとしたら三から四名は、トイレの建物にぐるぐる巻きにされて、どういう扱いをされてそうなったか分からないが、もううなだれて反抗する気配がない。ただこのままではトイレを使うのは無理だ。我々が花粉のおかげでだいぶ黄色くなった体をしげしげ見ながら服を着ている時に、鼻黒達は我々の体を包んでいた花粉の破片を集める仕事をしていた。一人が袋を持ち、数人が地面に落ちた花粉塊を拾う。それは正しくバームクーヘンを手でちぎって食べる時の様態と一緒で、一方はつやつやとした湾曲面で、一方はさらっとした湾曲面だ。つまり我々の肌に接していた方がつやつやした内側に当たる。そうして集められたバームクーヘンは七袋、それらは猪二匹の背中に振り分けられた。その内一匹の猪の尻尾は確かに焦げて短くなっていた。導火線替わりになったからだ。私はこれらの滞りなく進む作業を見ているうちに、ある疑念が湧くのを禁じえなかった。花粉のバームクーヘンの横取りを最初から目的として、Y似で猪使いの巫女はひとり大日岳に登ったのではないか。鼻黒一味が我々を芯としたバームクーヘンを作る事を予め知っていて、その作業の間暇つぶしに大日岳を往復し、出来上がった時を見計らって乗っ取るという段取りであったのではあるまいか。Y似で猪使いの巫女はハクサンシャジンで花束を作り、それを焦げて短くなった猪の尻尾に縛っていた。一見無邪気なことをするように見えたが、猪が嫌がって尻尾を回そうとすると、頭をゴツンと叩いて尻尾を回すのを止めさせた。