吾妻連峰往復初日 13:25リフト終点≫15:05避難小屋(連休なれど他に利用者無し) ≫西大巓までピストン 2日目 西吾妻避難小屋6:23発≫梵天岩≫藤十郎山≫東大巓≫11:20烏帽子岳≫一切経≫酸ヶ平避難小屋15:00≫吾妻小富士≫酸ヶ平避難小屋 3日目一切経に登り返すも思い直して周回コースを行く。≫谷地平避難小屋 ≫谷地平湿原で渡渉のため何度か靴を脱ぐ。登山道は雪に埋もれ度々道を失うもなんとか稜線、昭元山辺りに登り付く。あとは昨日歩いた道を辿ってスキー場を下る。
天元台スキー場、最終リフトを降りて登り始める。
冬は樹氷をまとっていたオオシラビソの間を行く。
カモシカ平で展望が開けて、平らに見える稜線の奥に明日向かう一切経山が白い頂をわずかに覗かせている。
梵天岩
西吾妻山。後ろに磐梯山と檜原湖
初日の宿泊地西吾妻小屋
西大巓までピストン。後ろは西吾妻山
避難小屋。他に利用者無し
2日目、吾妻小富士まで縦走の日、先ずは右の東大巓を目指す。
地図を見ながら
オオシラビソの樹林帯をひたすら歩く。
中間点を過ぎた辺りの烏帽子山
船形山を越えると五色沼と一切経山が
家形山を振り返る
一切経山頂上
ここまで全く静かな山行だったが、吾妻小富士が見え始めると浄土平の喧騒が俄かに聞こえ始めた。酸ヶ平の避難小屋に荷物を置いてからその喧騒の中、吾妻小富士に登る。
その吾妻小富士からさっきまでいた一切経山
避難小屋に戻ると我々だけだった、床のない、周囲の壁にベンチだけある簡易な小屋に男女の一組が加わったまでは良かったが、やがてわさわさと国籍不明の五、六人若い男女が入ってきて、小屋は急に満員となった。日本人の女性がひとり、あとはどこの国の人か分からない混成チームの彼らは、登山というよりハイキングの体だった。浄土平まで車で来て、ここで一晩過ごして帰るのだろう。英語を第一、フランス語を第二外国語に選択した僕だから、喋って喋れないことはなかったが、話題が幼稚なので早く寝るように努めた。
一晩厄介になった避難小屋を後に来た道を戻ろうと一切経山に登り始めると、裕美子さんが周回コースを行くと思っていたみたいなことを言い出す。え、周回コースなんてあるのと、地図を見直して、それの方が面白いかと踵を返した。
鎌沼は凍って石庭のよう。
樹林帯に入ると道しるべは消えて
熊の足跡だけが生々しい。
谷内平の避難小屋。戸が開いていて、中を覗くと、ラー油のガラスの小瓶が粉々に噛み砕かれていた。熊の口の中は血だらけか。
近くに隠れて我々の動静を伺っているだろう熊を威嚇するため、井上陽水の「青い闇の警告」を大きな声で歌ったことを確かに覚えている。「俺は炬燵で生まれ、狭い風呂場で育ち」しかし靴を脱いで渡渉すると、雪解け水の冷たさに歌うのは忘れた。
地図を頼りに歩き、時々雪の上に出ている道標で確認して
なんとか稜線に登り付く。
左奥が西吾妻山
いろは沼辺りの平原まで戻るとトレッキングツアーの一団が
人形石に到着。後ろが2日間歩いた山々
春スキーのゲレンデを下って
両手を回して帰るのであった。