走り始めが5:22、全く無理をしている感じではなく、その後も10㌔までは5:40前後で気持ち良く走れていた。やや下りになる14㌔辺りからは5:10台になって、中間点で1:57:50だったのを覚えている。完走できれば良い、良くてもキロ6分ペースで4時間12分台と強く思っていたのに、折り返した時には完全に4時間切りを狙っていた。25㌔までは順調に5:30ペースで走ったが、やや上りになる26㌔から足が攣る予感があり、ペースが6分に落ちた。ポケットに入れていた攣り薬(通称68番)3袋のひとつを走りながら水無しで飲んだが効き目は無く、30㌔手前のトイレに寄って、残りの二袋を飲んだ。ここで2分以上のロス、4時間を諦めると急に足が上がらなくなってよれよれの走り、31㌔こそ6分を切ったが、37㌔付近で足が止まった。酷い痙攣で立ったまま動けない。動くとどうなるか分からないくらい痛い。二年前の新潟も20㌔過ぎから足が攣ったが、こんな痛みではなく、止まってから歩くことはできた。今回は動けない。歩くことも無理だと感じた時に審判車(兼救護車)が脇に停まって声を掛けてくれた。車に乗った37㌔が9:58で、時計を止めていなかったので、その後キロ1分台で競技場まで着いた。車に乗るのさえ難儀したのに、数分の間にあのひどい痙攣はなぜか和らいでいて、階段をそろそろと上がってゴールを待つ高橋さんを観客席に探した。もう少し様子を見てから棄権するかどうか決めれば良かったかと今更の後悔を感じながら、早過ぎる到着の説明をする。競技場を去る時、まだ制限時間になっていなかったので、最後尾を走る選手を見た。するとリタイヤした自分が更に恥ずかしくなった。笹川のハーフで低体温症で棄権したことがあるが、フルマラソンは初めて。一昨年の新潟も後半は救護のバスを探しながら走ったが、あんなレースでも完走すれはそれなりの達成感があった。この50日、フル対応の準備期間としてはいかにも短いが、走ることを最優先して生活してきたので、挫折感が大きい。情けないのと悔しいで、達成感が皆無。マラソンは記録より完走、それも歩かないで完走が一番だと痛感した。新発田はこれが最後の大会でリベンジはできないが、他の大会でこの後悔を払拭しよう。