雪に埋もれた郵便夫を掘り出して助け、頼母木小屋に担いで運んでから、韋駄天走りで足ノ松尾根を下って一路寺泊の蟹を目指したY似で猪使いの巫女であったが、姫子の峰で休んでいた鼻黒猫に話しかけられて立ち止まった。
「私なんかは専門の郵便夫ではなくて、なんとかここまで登ってきたが、これ以上登ると命にかかわる。もしもこの手紙を三国の山小屋に着いた宛名の人に届けてくれれば貴方の望む物はなんでも上げます」
「私は朳差で蟹券三枚貰いました。これをまた別にくれるならその手紙を届けても良いような気持ちです」
Y似で猪使いの巫女がポケットから出した蟹券を手に取って、裏表仔細に眺めていた郵便夫ではあったが、やおら立ち上がって藪の中に入り、カニコウモリの葉をどっさり取ってきた。
「どうですか。こんなもんで。十枚はありますよ」
「分かりました。この手紙を届けることにします」
「途中でこの人に会っても渡さないでください。三国の小屋で渡すことが大事です。三国の小屋で読まないと意味がありません」
そうしてY似で猪使いの巫女は蟹券10枚前後と手紙を受け取って来た道を戻ることになった。手紙を預けた郵便夫の鼻黒は松の生えた尾根を登っていくY似で猪使いの巫女の姿を見送ってから、やおら立ち上がって両手をパンパンと叩いて土を払った。そしてザックからペットボトルを取り出すと、もう水の心配はないと思ったのか、グビグビと一気にのんだ。それからザックを担いで、こちらも来た道を引き返した。思わぬ僥倖に喜んで歩き始めたのだが、下り始めてすぐ松の根に足を引っかけて転がった。何回転も転がって、大きい岩に頭をぶつけ大怪我をした。岩が無かったらもっと軽傷で済んだかもしれないし、岩で止まって谷底まで落ちずに命までは助かったとも考えられる。通りかかった登山者が血だら真っ赤でぐったりする郵便夫を見つけ、電波の入る胎内ヒュッテまで走って救急車を呼んだのだ。手術のため禿頭になった郵便夫は病院のベッドで天井を見ながら「これからは少々辛くとも与えられた任務から逃げないようにしよう」と思った。
一方、蟹券十三枚前後をポケットに入れたY似で猪使いの巫女は足ノ松尾根を駆け上がって大石山、頼母木山から地神山、扇ノ地紙、門内と韋駄天で走った。休憩したのは頼母木の小屋と門内で給水した時のみである。北俣の登りで日が暮れて、合羽を着て北俣頂上の鳥居に寄っかかってしばらく眠った。そして梅花皮小屋に下り始めた時にヒメサユリの根っこを掘っていた猪を見つけてぐるぐる巻きにした。蟹券も増え、猪も捕まえて、収穫の多い山行となった。蟹券はこんな風に運命を左右する乗り換えチケットような役目がある。筆者はだから思うのであるが、もしY似で猪使いの巫女が姫子の松で引き返さず、まっすぐ寺泊に行ったとしたら、三匹の蟹の中には新鮮でない蟹が混じっていて、それにあたって救急車で運ばれ、病院の天井を何日も見ることになるのは彼女の方であったかもしれない。
まるきり全く瓜二つで、これが猪の特徴であり長所なのだ。Y似で猪使いの巫女はだから区別が付かない。薪を担いで御前坂の方から歩いてきた猪を雪渓を転がっていった猪だと思ったようだ。猪は多分出発前に用を足しに行っただけなのだが、自分の予言に自信を持っているからそう勘違いするのであろう。普通であれば数が合わないことに気付くのだが、Y似で猪使いの巫女はやはりしがない工場で働くしがない女工のYとどこか共通点があって、盥がべこべこの百番だから、数が合わないことまでは頭が働かないようであった。そのお陰で丸焼きを猪は免れ、天気予報も外れて朝日に照らされながら御前坂のジグザクを下った。後ろから見ても猪の数はやはり一匹なのだが、Y似で猪使いの巫女があんまり平然としているから、何度も確かめてしまう。そして猪が入れ替わって分からないのなら、Y似で猪使いの巫女がY本人になっていたとしても私には分からないのだろうと思うのだ。私とて同じだと思えば、本物も偽物もない気がしてくる。
この巻の教訓=前に進めば悪い夢を見なくて済むし、引き返せば悪夢にうなされる。