茅ヶ岳は深田久弥が68歳で死んだ山、終焉の地と言われている。百名山という本がなかったら、どういう基準で山を選んだだろうか。長野や山梨の山に行ったとしても金峰や瑞牆、木曽駒や甲斐駒に登ることはあったろうか。
深田記念公園が登山口であったが、思い掛けなく小さな公園であった。有名な「百の頂に百の喜びあり」という碑はあったが、それだけと言っていいほどで、斜面に作られた東屋は腐朽し、その下に続く公園らしきわずかな敷地は、置かれたベンチも伸び放題の茅に隠れていた。長く続く百名山ブームとこの有様のギャップを寂しく感じながら登山道に進んだ。11:47深田久弥記念公園≫13:55茅ヶ岳山頂14:40≫16:15下山

例によって梓川Pから常念、燕岳

茅ヶ岳の登山口(右上)に行く途中寄り道(現在地)


右が甲斐駒、中央にオベリスクのような尖がりが見えるから鳳凰三山か。

駐車場は立派だったが

公園は看板以外寂れていた

百の頂に百の喜びあり


登山道も立派




終焉の地の碑


頂上の三座同定盤



百の喜びあり。後ろに甲斐駒

甲斐駒

左に鳳凰三山、右に仙丈ケ岳と甲斐駒、鋸岳

後ろは金ヶ岳、その左に八ヶ岳

拡大すると赤岳が良く分かる

周回コースを下山

無事下山
翌日は乾徳山に登るつもりだったが、登山口に向かう車中で雨になり、秩父周りで帰ってきた。途中に西沢渓谷の看板が目に留まった。大学の時、Sさんと甲武信岳に登ったのはここからの沢登りだった。

帰途途中休憩した赤城SA

l稜線を黒い線でなぞっていたが

なぞらなくて分かるような良い写真は無かったものか、無かったら取れなかったか。


