光兎山 2004/3/28

生まれて、そして今生きている場所は、山に囲まれた河岸段丘の盆地である。東に光兎山、西に朴坂山、南は三角点山など、北は大平山から続く山、中心に女川という川が流れているのでこの地域も女川と呼ばれている。曾祖父が子供だった祖父を連れて富山県の入善からここに入植したのは大正時代、河岸段丘の原野を拓き水を引いた。光兎山は千メートルに足りない高さだが、屹立する単独峰で、遠くからでもよく分かる。家を離れていた時代は、帰省した翌朝この山を見ると故郷に戻った実感が湧いた。
中学校の時の学校登山の苦い思い出を払拭しようと思ったのか、14年の東京生活に区切りをつけて帰ってきた年の秋、急に思い立って登り、その後も一度登ったことはあったが、いずれも気まぐれ、気まぐれで登れるふるさとの山だった。
2002年に再開した時は修行の気持ちが強かった。他に行く場所も無かったのかもしれない。休みになれば山だったので祝日の多い月は10日山だったこともある。1年くらいで日帰りできる近辺の山は登り尽くして、二年目の夏に飯豊、石転びの雪渓を登るためにピッケルとアイゼンを買ったことが、三年目三月の光兎山に繋がったのだと思う。東京にいた時も冬山には行かなかった。先達のない単独行で、知識も経験もないから雪山は敬遠せざるを得なかったが、この残雪期の光兎山がその後の登山の幅を広げてくれたように思う。
↓一週間前は時間切れでここ雷峰で引き返したが、時間を掛ければ登れるという自信と、先行するトレースがあったことで勇気づけられた。


頂上からの湯蔵山、飯豊連峰

登ってきた尾根と右に女川の盆地

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