新発田マラソン

11月の魚沼のハーフマラソンに申込みしようとランネットを開いている時に、新発田マラソンが今年最後となることを知った。

新発田マラソンはマラソンを始めた二年目51歳の時に初めて出て、57歳まで七年間出ている。最後は3時間35分27秒、これが3時間30分に最も近い、私のベストだ。11月の新発田マラソンから10月の新潟のフルマラソンに移ったのは、一緒にマラソンを走るようになった山仲間が5時間の制限時間ギリギリの力で、最後尾を走る審判車や救護車に追い立てられる情景がいかにも気の毒に思ったこともあるし、一年だけ二つとも走ったことがあったが、それがとてもきつかったからでもある。

 新発田マラソンは新潟陸連が主催する硬派は大会で、仮装するランナーもいないし、ゼッケンを腰などに付けていると、係員に走行を止められて直させられるような厳正な運営でもある。だからか参加者はその頃から400人前後と少なく、最初の頃、レースの後半は自分の前後にランナーの姿がいなくなり、ちゃんとコースを走っているか不安になることもあった。

 新潟シティマラソンに移ってからの最高タイムは3時間38分51秒で、ひと月後の新発田マラソンで自己最高を出した年でもあった。つまり57歳の秋、今から10年前が最も良かったことになる。その後、新発田には出なくなり、その緊張感が無くなったことで練習量も減ったからか、新潟は以降記録が伸びず、コロナ明けで久しぶりに出た2022年の大会は20㌔過ぎから足が攣り、歩いたり走ったりで一緒に出た高橋さんに追いつかれそうなタイムであった。

 9月の20日に新発田マラソンに出る事を決めてからは、とにかくできるだけ走ることにした。そして10月は300㌔越えを目標にしてなんとか達成した。山登りの泊りや、日帰りでも帰りが遅くなって、どうしても走れなかった日が7日あったので300㌔は楽ではなかったが、なんとか我慢して走っていると、10月の終わり頃には、完走の自信がついてきたし、4時間切りは到底無理でもキロ6分(4時間12分)なら走り切れるような気持になってきた。

 月間300というのは多分初めてである。フルを走り始めた頃から「SWAC式マラソンステップアップトレーニング」という本を基に練習してきた。この本はフルマラソン当日までの4ヶ月間の日々の練習メニューが、目標とする時間によって詳しく書かれているもので、この通りにこなしても月200㌔前後ではなかろうか。今回は50日しかない。とにかく完走する持久力を付け、痙攣しないような脚を作るためには走り込むしかないと腹を決めて、できるだけ走ったが、その成果がでるかどうか。